倶知安町のんびり旅【その14】

過ぎし日の思い出第9弾!

アクティブなお盆休み」で述べましたが、去る昨年8月13〜16日に倶知安へ帰省しました。

町内をドライブした際、新たな史跡を発見しました!

 

〈くとさんパーク〉

ここは総合体育館に隣接する公園です。

幾度も足を運んだことがありましたが、初めて記念碑を発見しました!

以下、碑文を以って代えさせていただきます。

↑短歌「羊蹄山の残照となる薯の花 鴻司」

■碑文(表)■
吉田鴻司「河」同人会長の略歴
羊蹄山の残照となる薯の花 鴻司...

吉田鴻司氏は、昭和三十三年十二月、角川源義(当時、角川書店社長)先生の主宰した俳誌「河」の創刊号から同人として参加した。師・源義の第一のまな弟子である。現在、「河」の同人会長および選者をしている。昭和三十四年第一回の河賞を受賞。
 大正七年七月、静岡市生まれ。句集に「神楽舞」(昭和52年刊)「山彦」(昭和58年刊)「自註・吉田鴻司集」(昭和60年刊)がある。平成六年、第三句集「頃日」により第三十四回俳人協会賞を受賞。編著に「脚註・角川源義の世界」など。
鴻司氏は二十数年間、札幌市を中心にして北海道の俳句指導に通い続けた。おおらかな北海道の自然と風土と人間が、親しみやすかったからだろう。昭和四十三年八月十八日、倶知安町で第九回「河」全国大会の折も師・源義と、また、平成十一年十月十一日の「峠越えただに倶知安の青山河」の源義句碑除幕式の折も、角川照子主宰と倶知安町を訪れている。その後も吟行で何回となく、倶知安町を来訪している。
 掲句は、平成十二年六月、この地を訪れたときの句である。羊蹄山と馬鈴薯の花との照応がすこぶる絶妙である。北の大地・倶知安町の光景が鮮やかに目に浮かぶ。まさに倶知安に対する挨拶句。師・源義の抒情精神を受け継いだ本格的な俳句。
 この旅の吉田鴻司「河」同人会長の句碑建立にご協力いただいた倶知安町の多くの関係者各位、林佑子支部長をはじめとした「河」札幌支部の皆様、倶知安町在住の「河」同人、中野彰一氏などに心から感謝申しあげたい。
 「河」一筋の吉田鴻司同人会長が師・角川源義の隣に句碑の建立されることを、誰よりも本人が喜んでいるにちがいない。
 倶知安町と俳誌「河」との文化的交流が、さらに深まったといえる。
 平成十六年七月
 「河」編集長 佐川広治

■碑文(裏)■

句・書 同人会長 吉田鴻司
建立 「河」札幌支部
   句碑建立実行委員会
   代表 林佑子
竣功除幕 平成十六年七月十一日
施工 有限会社 菊池石材店

由来
略歴文 編集長 佐川広治
書 同人 中野彰一

 

↑短歌「源義 峠越え ただに倶知安の 青山河」

■碑文(表)■
俳誌「河」の第九回全国大会が、倶知安町青少年センターで開かれたのは、昭和四十三年八月十八日である。
大会には角川源義主宰、草村素子編集長など、全国から約百五十人の俳人が集まった。...
この日源義氏は、
峠越え ただに倶知安の 青山川
の句を、倶知安町に贈った。
この句は「河」十一月号に、「蝦夷山河」と題してのせた作品集の一句として表頭をかざっている。
源義氏は角川書店を創立し、民俗学者としてもすぐれた業績を残している。
緑に包まれた豊かな自然の町倶知安の町民として、いつも心にこの句をきざんでおきたいと、有志とはかりこの碑を建立した。

■碑文(裏)■

句 角川源義
書 馬場怜

角川源義句碑建立実行委員会
 代表 武内一男 田尻文雄 竹越健治
    柏谷久雄 柏谷民雄 田口治雄
    稀代祐次 文仙直己 三浦はつ恵
    永江常吉 南河健一 中野隆司
協力者
 脇山忠 中野彰一 倶知安啄木会
 横関建設工業株式会社 菊池石材店

由来文
 文 武井静夫
 書 中野歸山

 平成十一年十月十一日

 

↑転車台

 

↑転車台

 

↑転車台

 

 

■碑文■

機関区とゆかりの転車台

函館本線倶知安駅は、明治37年に北鉄線主要駅として民営により開業した。その後開通時の倶知安機関庫は小樽築港機関区倶知安支区を経て倶知安機関区と改称、最盛期には職員259名を擁し、函館、胆振、岩内各線の運行に重要な役割を果たした。
昭和60年に倶知安機関支区になり、昭和61年の国鉄の民営移管により廃止され、各施設は撤去されたが、唯一残されたこの転車台はC62型蒸気機関車が配置された昭和32年大型電動式に更新された当時のものである。

 

〈サンモリッツ大橋〉

僕が中学生の時、字比羅夫から字樺山へ抜けられる道路が開通し、そこに架かるのがサンモリッツ大橋です。

ここに記念碑があることは以前から知っていましたが、なかなか行くことができず・・・。

昨年、ようやく行くことができました!

↑サンモリッツ大橋

 

■碑文(表)■
友好と発展の架け橋

サンモリッツ大橋が北海道の施工により、二〇〇五年十二月完成しました。
ニセコアンヌプリを主峰とするニセコ連峰が古くから「東洋のサンモリッツ」と謳われ、倶知安町がスイス・サンモリッツ市と姉妹都市であることからその名をこの橋に冠しました。...
「東洋のサンモリッツ」へと至るこの橋が、末永い友好と発展を誓い合う両都市の「架け橋」となるよう願いを込め、その証として、これを建立します。
 倶知安町長 伊藤弘
 サンモリッツ市長 ペーテル・バルトゥ

Bridge of friendship and prosperity

The St. Moritz Bridge was constructed by the Hokkaido government and completed in December 2005.

The bridge was named after St. Moritz city in Switzerland in honour of the sister city agreement between Kutchan and St. Moritz. The Niseko mountain range, of which the highest peak is Mt. Niseko Annupuri, has been called the “St. Moritz the East” for many years.

We hope that this bridge will form a symbolic bridge between the two cities and long-lasting friendship and prosperity will endure.

 倶知安町長 伊藤弘
 Hiroshi Ito, Mayor of Kutchan Town
 サンモリッツ市長 Beter Barth
 Beter Barth, Mayor of St. Moritz City

■碑文(裏)■
1964年(昭和39年)2月 インスブルック冬季五輪視察のためサンモリッツ市を訪問した高橋清吉町長がハンス・フリッシュ市長との会見で姉妹都市提携を申し入れ、同年3月19日の倶知安町議会で議決、同年6月11日サンモリッツ市議会の姉妹都市提携申し入れ議会を経て、倶知安町とサンモリッツ市との姉妹都市提携は本格的に歩み始めた。
1982年(昭和57年)11月 倶知安町から初の民間訪問団(観光協会主催)名畑暢夫(観光協会会長)ら一行23名の親善訪問
1986年(昭和61年)6月 第1回サンモリッツからの公式訪問 コラド・ジョバノーリ市長ら一行9名の訪問
1988年(昭和63年)9月 第1回倶知安町によりの公式訪問 宮下雄一郎町長ら一行23名の訪問団(公式初
1990年(平成2年)1月 第2回倶知安町より公式訪問(サンモリッツ観光局設立125年記念式典参加) 宮下雄一郎町長ら一行21名の訪問団
1991年(平成3年)10月 第2回サンモリッツからの公式訪問(倶知安町開基100年記念) コラド・ジョバノーリ市長ら一行15名の訪問団
1999年(平成11年)6月 第3回サンモリッツからの公式訪問(姉妹都市35周年を記念し訪問) ペーテル・バルトゥ市長ら一行4名
               21世紀に向け両都市が更なる友好を深めるため、交流事業の調印式が行われた
2000年(平成12年)6月 第3回倶知安町よりの公式訪問 伊藤弘町長ら一行24名の訪問団
2006年(平成18年)5月 第4回サンモリッツ市長からの公式訪問(サンモリッツ大橋完成を祝し) ペーテル・バルトゥ市長ら一行5名の訪問団

平成18年5月29日建之
倶知安町観光協会
会長 脇山忠
副会長 川上正宏
 〃  中井直樹
 〃  福井実
 〃  久野賢作

 

〈感想〉
今回、予想外の史跡にたくさん出会うことができました。

今まで数々の町内の史跡を訪ね、全て訪ね尽くしたつもりでしたが、もしかするとまだまだ他にも僕の知らない史跡がたくさんあるのかもしれません!

これからも調査を続けていきます!!



倶知安町のんびり旅【その13】

過ぎし日の思い出第6弾!

去る昨年8月6日、倶知安へ帰省しました。
この日は小学校時代からの友達のT・Cくんも倶知安へ帰省する予定があったため、仕事終了後、職場近くまで車で迎えに来てくれ、一緒に倶知安へ帰省しました。
15時頃に札幌を出て、倶知安に到着したのは17時頃のことでした。
この日は雲ひとつない快晴で、字寒別、字豊岡からの羊蹄山がまさに絶景でした!
そして、自宅まで送ってくれ、祖母の仏前に手を合わせてくれたT・Cくん・・・ただただ感謝の一言です。

↑字寒別より

 

↑字豊岡より

 

その後、僕は恐らく専門学校1年生か2年生以来6〜7年振りにじゃが祭りへ。
祭りに来た人々を出迎えてくれる門、駅前通りを飾ってある提灯、毎年流れている盆踊りの歌・・・本当に涙が出るほど懐かしかったです!
蘇る懐かしい記憶とともに感慨に浸りながら祭りを楽しみました!!

 

 

 

 

 

 


そして、祭りと言えば何といっても食べ歩き!
この日はケパブ、焼き鳥(豚串)、フランクフルト、たこ焼き、焼きそば、2度目のケパブ(1回目のケパブと店は違います)・・・大いに堪能し、祭りで食べるこれらは普通に食べるよりも何十倍も美味しく感じました!!
ただ、その後に夕食も待っており、さすがにこの日は食べ過ぎ、今日は胃もたれでした(苦笑)。

 

 

 

 

 


大いに食べ歩きしているうちに夜になり、ねぶた開始!
幼少期から幾度もじゃが祭りへは行っていましたが、ねぶたを見るの、実は今回が初めてでした(笑)。
合計12組のねぶた(途中から見たので最初のは見れませんでした)、素晴らしかったです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝は早朝5時に倶知安を出発!
用事で千歳へ行くT・Cくんにこの日もまた車で札幌まで送ってもらいました。
この日はT・Cくんの弟くんやお母さんも便乗しており、お母さんには途中朝食までご馳走していただき、みなさんに感謝です。
また、みんなで和気あいあいと他愛無い話をしながら過ごした札幌までの2時間、とても楽しかったです!

 

〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)
http://importants.jugem.jp/?eid=162(倶知安町のんびり旅【その7】)
http://importants.jugem.jp/?eid=178(倶知安町のんびり旅【その8】)
http://importants.jugem.jp/?eid=233(倶知安町のんびり旅【その9】)
http://importants.jugem.jp/?eid=411(倶知安町のんびり旅【その10】)
http://importants.jugem.jp/?eid=486(倶知安町のんびり旅【その11】)
http://importants.jugem.jp/?eid=524(倶知安町のんびり旅【その12】)



倶知安町のんびり旅【その12】

過ぎし日の思い出第53弾!
去る2月20日、翌日に母方の祖父の三十七回忌の法要が実家であったため、2つ下の弟が札幌まで迎えに来てくれ、倶知安へ帰省しました。
ちょうど20日と21日に倶知安における雪まつりである雪トピアが開催されており、実家に戻る前に2010年以来6年振りに雪トピアに行ってきました。
雪トピアの会場である旭ヶ丘スキー場に着いたのが21時過ぎだったため、ほんの5分ほどの滞在でしたが(それこそ着いて間もなく照明が落ちたので 笑)、写真をたくさん撮ることができ、良かったです!
翌朝、法要の仕出しを取りに行くがてら、改めて雪トピアに足を運びました。
10〜15分ほどの滞在でしたが、6年振りの雪トピア、とても満喫できました!
また、今年はインフルや急性副鼻腔炎などの影響で、2009年4月に札幌移住以来、翌2010年から昨年まで6年連続で足を運んでいたさっぽろ雪まつりへ今年は足を運べませんでしたが、その代わりに雪トピアに足を運べてとても嬉しかったです!!
写真は毎年さっぽろ雪まつりをアップする時同様、朝と夜の写真を一緒にアップしようと思います。

















 











以下、その他の写真です。








・・・と2日間に亙って雪トピアを満喫しました。
来年ももし行けたら今度はゆっくりじっくり雪トピアを満喫できたらと思います!

〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)
http://importants.jugem.jp/?eid=162(倶知安町のんびり旅【その7】)
http://importants.jugem.jp/?eid=178(倶知安町のんびり旅【その8】)
http://importants.jugem.jp/?eid=233(倶知安町のんびり旅【その9】)
http://importants.jugem.jp/?eid=411(倶知安町のんびり旅【その10】)
http://importants.jugem.jp/?eid=486(倶知安町のんびり旅【その11】)


倶知安町のんびり旅【その11】

過ぎし日の思い出第13弾!
祖母の月命日」、「バイキングに、バッティングセンターに、初メンカラオケに」でも述べましたが、シルバーウィーク中に地元・倶知安へ去る昨年9月19日に帰省し、翌々22日まで滞在していました。
20日、町内をドライブしている時、新たな史跡を見つけました!
しかも、実家から歩いても1〜2分ほどのところに(笑)。

〈白木建設工業株式会社〉
前述の通り、実家の近くにある通称・白木建設。
この敷地内に史跡を見つけました。
小さい頃から何度も白木建設の敷地内を通ったことがありましたが、意識して見たことがなかったため、今回初めて気がつきました。
以下、碑文を以って代えさせていただきます。

↑短歌「あやうしと しりべつ川の白波を 命にかけて けふわたりけり」

■碑文■
 松浦武四郎が、ソーツケ(宗助川)探索のための尻別川を渡ったのは、安政4年(一八五七年)五月十日(陽暦六月一日)であった。
ソーツケは、サケ・マスの豊庫として名が知られていた。
 岩内の乙名セベンケが棹をとり、松浦はのち「西蝦夷日誌」にこの時の印象を和歌として残した。


↑裏

■碑文■
 父白木慶一は、昭和八年国鉄の軌道砂利納入業者として事業を始めた。
幾多の辛酸を重ね、多くの人たちの協力をえて、現在の会社の礎を築いた。
 この地は、当時砂利採集を行った尻別川のあったところなので、松浦武四郎がはじめて渡った日に思いをはせ、この碑を建立した。

 平成九年六月一日

 白木建設工業株式会社
 代表取締役社長 白木 巖
             斉藤 芳江
             皆川 悦子
             白木 稔
             白木 茂
             松澤 典子
             白木 美恵子
             白木 昇
             白木建設社員一同

 協力者
             武内 一男
             脇山 忠
           文 武井 静夫
           書 中野 歸山
             菊池石材店
     
〈感想〉
まさか実家の目と鼻の先に史跡があるなんて予想だにしませんでした。
まだまだ知らない史跡が倶知安のどこかにあることを実感した瞬間でした。
また見つけ次第、ブログで紹介しようと思います。
ちなみに、2年ほど前に比羅夫でも史跡を見つけましたが、まだ詳しく調べることができていません・・・。
倶知安へ帰省した際、できれば今年中には調べに行き、ブログで紹介したいと思います。

〈おまけ〉
以前にもブログで紹介したハンバーガー屋のパティー・ダディーへ久しぶりに行ってきました。
まるで本場アメリカへ来たかのような店内、味も申し分なく美味しかったです!
この時以来行っていないので、また行きたいと思います!!




〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)
http://importants.jugem.jp/?eid=162(倶知安町のんびり旅【その7】)
http://importants.jugem.jp/?eid=178(倶知安町のんびり旅【その8】)
http://importants.jugem.jp/?eid=233(倶知安町のんびり旅【その9】)
http://importants.jugem.jp/?eid=411(倶知安町のんびり旅【その10】)


倶知安町のんびり旅【その10】

過ぎし日の思い出第31弾!
家族6人全員揃って〜4つの節目を祝す〜』でも述べましたが、去る8月9日、僕の地元である倶知安町へゴールデンウィーク以来に帰省し、15日まで滞在していました。
おまけに、2年振りの『倶知安町のんびり旅』シリーズ(笑)!
倶知安町のんびり旅【その9】』において「倶知安町内にある史跡を完全制覇しました!」と述べましたが、何と今回の調査で僕の知らない史跡がまだ他にもあったことが分かりました。
また、諸事情によって来年度から僕の働いている認定こども園でお盆休みがなくなってしまう関係で、今年が事実上最後のお盆休みだったこともあり、今回はこれまでに訪ねた史跡を全て訪ねてきました。
今回は新たに知った史跡を詳しく紹介するとともに、今回訪ねてきた史跡の写真を全てアップしたいと思います。
倶知安マニアの方、必見です(笑)!

〈字山梨〉
倶知安町で生を受けて24年、初めて字山梨の地に足を踏み入れました。
字山梨には現在誰も住む者はおらず、1909年9月4日に開校して1941年3月31日に閉校した山梨分教場のあった場所も今となってははっきり分からず、本当に普通の山です。
しかしながら、所々に開拓当時の面影が残っており、とてもキレイな草原が一面に広がっているところもあり、歴史の面影と自然豊かな光景に本当に感動しました。
石碑を写真撮影している途中でスズメバチに追いかけられたり(10日)、忘れもしない物凄い台風がきた翌11日に再び字山梨へ行って山奥で親の車のタイヤをパンクさせてしまったことには本当に心身ともに参りましたが・・・(苦笑)。
今回の苦い経験もあり、もう恐らく二度と字山梨の地へ足を踏み入れることはないと思います。
そんな字山梨の入り口(ここの住所は字寒別)には寒別めがね橋の記念碑があります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑記念碑『倶知安幹線 寒別めがね橋記念碑』

■碑文■
沿革

 寒別めがね橋は、大正十五年約七〇〇haの水田灌漑のため、第一幹線の水路橋として完成した。その後昭和四十三年に約一、四〇〇haの水田灌漑が計画され、国営直轄により小樽開発建設部の双葉灌排事業として着工し、用水路の近代的改修が施工されるに伴ない、昭和六十一年にはめがね橋架換工事の完成を見るに至った。往時の堅牢優美な水路橋を、めがね橋の愛称をもって長く親しまれた姿を、この地に永く遺すためにこの碑を建立したものである。

昭和六十一年十月
倶知安土地改良区
倶知安町

奥へ進むと開拓の面影、キレイな草原が一面に広がっています。





〈みうら菓子舗〉
倶知安町にあるお菓子屋・みうら菓子舗。
ここで売られているお菓子は本当に美味しく、僕もお土産を買う時はだいたいここで買っています。
そのみうら菓子舗前に倶知安の基点の由来が書かれた記念碑がありますが、今まで何度もみうら菓子舗へ行っていたにも関わらず、今まで知りませんでした。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。


■碑文■
倶知安町基点の由来

 かつて、皇室御料林であった倶知安原野へ明治二十五年五月以降開墾を始める入地者が続出した。
 そのため、明治二十七年、御料林が解除され、北海道庁はこの国有未開地に七百八十の区画を設定し、順次移住民を入植させた。
 この地点が区画測量の基点であり、まちづくりの基となったものである。

倶知安町開基八十周年を記念し建立
昭和五十二年十一月三日
倶知安町長 吉田冨美雄
倶知安町文化財保護調査委員会委員長 成麁善Ρ厂

〈半月湖畔自然公園〉
倶知安町のんびり旅【その3】』の中で紹介した詳細不明の石碑・・・。
その石碑の詳細が今回の調査で判明しました。
建立年月日が2011年6月11日となっており、僕が調査した2011年5月当時には石碑が建立途中の状態だったことが伺えます。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑左:記念碑『羊蹄と共に』、右:碑文

■碑文■
羊蹄と共に
 眠る御霊よ安らかに
羊蹄と共に
 生きる我らに明日への力を
願いをこめて

同じく『倶知安町のんびり旅【その3】』で紹介した石碑

↑右:記念碑『天然記念物後方羊蹄山の盪蛙∧帯』、左:碑文

〈樺山分校〉
これまで紹介したことがありませんでしたが、樺山分校の校庭に行幸記念碑があります。
1995年5月1日発行の『倶知安町百年史 下巻』によると、1936年9〜10月にかけての昭和天皇行幸を記念して倶知安青年団樺山支部が1937年6月13日に建立したものだそうです。

↑記念碑『行幸記念』

〈地神碑〉
これまで紹介したことがありませんでしたが、倶知安町にはあらゆる地域に地神碑があります。
『倶知安町百年史 下巻』によると倶知安町内には32基の地神碑が存在するそうです。
今回の調査ではそのうち10基を自力で見つけることができました。

↑建立:1915年11月10日(所在地:字岩尾別〈岩尾別会館横〉)

↑建立:1912年9月(所在地:字岩尾別〈岩尾別会館横〉)

↑建立:1953年9月10日(所在地:字樺山〈樺山分校校庭〉)

↑建立:1914年9月18日、改修:2011年9月(所在地:字巽〈旧巽小学校裏〉)

↑建立:1914年8月19日(所在地:字豊岡〈豊岡・巽担い手センター横〉)

↑建立:1990年11月(所在地:字寒別〈寒別めがね橋記念碑横〉)

↑建立:1915年9月24日(所在地:字末広〈旧末広小学校近く〉)

↑建立:不詳(所在地:字瑞穂)

↑建立:1904年9月(所在地:字瑞穂〈集会所横〉)

↑建立:1898年3月24日(所在地:南4条東4丁目〈倶知安小学校近く〉)

〈馬頭観音〉
地神碑同様、こちらもこれまで紹介したことがありませんでしたが、『倶知安町百年史 下巻』によると倶知安町内には22基の馬頭観音が存在するそうです。
今回の調査ではそのうち7基を自力で見つけることができました。
※現在資料が手元になく、次の倶知安町帰省の際に郷土資料館で詳しい建立年月日等確認するので、それまで詳細はお待ち下さい。

↑建立:(所在地:字旭〈旭ヶ丘公園〉)

↑建立:(所在地:字岩尾別〈岩尾別会館横〉)

↑建立:1918年8月、復元:1996年9月(所在地:字岩尾別)

↑建立:(所在地:字豊岡〈豊岡・巽担い手センター横〉)

↑建立:(所在地:字扶桑)

↑建立:(所在地:南4条東4丁目〈倶知安小学校近く、上記地神碑横〉)

↑建立:(所在地:南4条東4丁目〈倶知安小学校近く、上記地神碑横〉)

〈羊蹄ハイツ〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑記念碑『峠下遺跡』

〈旭ヶ丘公園〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その2】』・『倶知安町のんびり旅【その3】』・『倶知安町のんびり旅【その4】』・『倶知安町のんびり旅【その5】』を参照のこと。
ちなみに、『倶知安町のんびり旅【その3】』で紹介した廃屋の神社は取り壊されてなくなっていました。

↑記念碑『馬鈴薯の花咲く頃となれりけり 君もこの花を好きたまふらむ』

↑記念碑『包丁塚』

↑記念碑『開基記念』

↑記念碑『一すぢの太きけむりを立たせつつ 豆からをやく風いでぬまに』

↑記念碑『旭ヶ丘公園』

↑記念碑『旭ヶ岡公園』

↑聖徳太子像

↑記念碑『出雲六社画冥王掌大神』












↑三十三観音像(うち見つけられたのは『倶知安町のんびり旅【その3】』同様12基)

↑手水鉢

↑記念碑『レルヒ少佐』

〈伊井化学工場〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その2】』・『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑伊井化学工場

↑記念像『伊井億右衛門翁之像』

〈二世古酒造〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑二世古酒造

〈大仏寺〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その4】』を参照のこと。

↑左:記念碑『われ鍬をもて山水を画おん』、右:碑文

〈旭ヶ丘霊園〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その5】』を参照のこと。

↑記念碑『倶知安隧道遭難死者慰霊碑』

↑記念碑『布袋座遭難者慰霊碑』

↑記念碑『旭ヶ丘冷水』

〈さくら公園〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑記念碑『倶知あ草分けの地』

〈レルヒ公園〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑記念像『レルヒ中佐之像』

〈岩尾別会館〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その4】』を参照のこと。

↑記念碑『拓秀峰麓郷』

〈ひらふ高原中央公園〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その9】』を参照のこと。

↑記念碑『青き山なり ニセコの山は 吾心また青々 心涼しむ』

↑公園内に咲くアジサイ(透き通った水色のアジサイがとてもキレイでした!)

〈円融寺〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その4】』を参照のこと。

↑記念碑『崇徳碑』

〈高砂水源地〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その9】』を参照のこと。

↑記念碑『霊泉』

↑記念碑『秀峰??』

〈工業発祥の地〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その5】』を参照のこと。

↑記念碑『工業発祥の地』


↑記念碑の近くにあるヒマワリ畑(一面黄色に染まるヒマワリが何とも夏らしい!)

〈旧穀倉地帯〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑記念碑『豊水沃土』

〈倶知安神社〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑記念碑『尊農開基』

↑記念碑『倶知安、小学校 発祥旧跡地』

〈八幡小学校跡地〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑右:記念碑『倶知安町は此処から創る』、左:碑文

〈山陰移住会社跡地〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑記念碑『開拓五十週年記念』

〈瑞穂小学校跡地〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑記念碑『豊穣の礎』

↑記念碑『米が稔った郷』

↑右:旧青木農場記念樹、左:碑文

↑記念碑『翔け未来へ豊穣の里』

〈六郷鉄道記念公園〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑踏切

↑汽車

↑駅の看板

↑信号機

↑記念碑『功績を讃えて』

〈倶知安町公民館〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑左:SL・79615、右:信号機

↑駅の看板とSL・79615について書かれた説明文

↑記念像『慈愛』

〈倶知安町役場〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その4】』を参照のこと。

↑記念碑『倶知安町民憲章』

〈恵暁寺〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その4】』を参照のこと。

↑記念碑『伊井億右エ門翁 顕彰碑』

〈後志総合振興局〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その4】』を参照のこと。

↑記念碑『後志高等国民学校記念』

〈東林寺〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その9】』を参照のこと。

↑記念碑『夕べせまる防雪林のうすやみに ましろくたかき山うどの花』

〈倶知安駅〉
詳しくは『倶知安町のんびり旅【その3】』を参照のこと。

↑水飲み場

↑すばるの像

↑記念碑『真夜中の倶知安駅に女の鬢の古き痍あと』

↑タイムカプセル『「2091年へのメッセージ」 1993.8.7 倶知安町』

〈現役校と廃校〉
今回、倶知安町内の現役校と廃校も訪ねてきました。
しかしながら、『倶知安町のんびり旅【その3】』でも述べたようにいつか学校の特集のようなものをやりたいと思っており(ってもう前の発言から3年も経ってしまいましたが 苦笑)、現在倶知安町内の学校の沿革をまとめ直しており、年内には完成させる予定のため、学校の特集も年内は難しいかもしれませんが、来年始めから徐々に行っていければと思っています。
そのため、今回撮影した写真は学校の特集の際に使用したいと思いますので、今回は掲載しませんことをご了承下さい。
今度こそ有言実行できるように頑張ります!
せめて、『倶知安町開基120周年』・『倶知安町のんびり旅【その3】』で簡単に学校の紹介をしているので、よろしければご覧下さい!!

〈感想〉
率直な感想・・・ブログでまとめるの疲れたぁ〜(笑)。
今回、新たに知った史跡に加え、これまでに訪ねた史跡を全て回り、歴史の跡を目の前に何とも言えない気持ちになった歴史三昧の旅でした。
上記の通り、スズメバチに追いかけられてトラウマになるほど怖い思いをしたり、台風の日に薄暗い山奥で親の車をパンクさせた時に感じた罪悪感やひとりぼっちの心細さと不安は未だに脳裏をよぎりますが、それでも悪天候の日に行くべきではないところに行くべきではないということや旅に危険はつきものだということを改めて知り、そしていい教訓ともなったため、色々な意味でいい旅だったと思います。
これでとりあえず現時点で自分が知っている史跡を全て回ったか・・・と思っていたら、14日に墓参りに行った帰り、父が運転する車で外を眺めていたら見つけてしまいました、字比羅夫で新たな石碑を(笑)。
15日には札幌へ戻ってこなければならなかった関係もあってその字比羅夫の石碑はまだ未確認のため、ぜひ次に倶知安町へ帰省した時にはそこの調査もしようと思っています。
そして、もしかするとそれ以外にも僕の知らない史跡がまだまだたくさんあるのかもしれません。
やっぱり史跡巡りは深いですねぇ〜!

〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)
http://importants.jugem.jp/?eid=162(倶知安町のんびり旅【その7】)
http://importants.jugem.jp/?eid=178(倶知安町のんびり旅【その8】)
http://importants.jugem.jp/?eid=233(倶知安町のんびり旅【その9】)


倶知安町のんびり旅【その9】

本家にて」・「束の間のドライブ」・「1年半振りの再会」でそれぞれ話題を出しましたが、先々週の11日の夜から15日まで僕は久しぶりに倶知安へ帰省しました。
3年振りの本家、高校時代の友達とのドライブ、1年半振りの幼馴染との再会・・・本当に楽しく、充実した時間でした!
一方で僕は去年の8月以来、実に1年振りに史跡を回ってきました。
実は去年の8月に史跡を回った時点で残っている史跡は2つのみとなっていました。
今回、その1つを回ってこようと思っていましたが、何と僕が持っている倶知安の資料にも載っていない史跡が2つもあることを数ヶ月前に知ったため、合計4つを回ってきました。

〈比羅夫〉
史跡巡りも兼ねて久しぶりに比羅夫を探検してきました。
比羅夫・・・ほんの数年前までは本当に殺風景で昔ながらの田舎町といった地域でしたが、ここ数年で外国からの移住者もどっと増え、あっという間に外国の田舎町の一角と変わらない風景となりました。
全文英語で書かれたバス停や看板もあります。
しかしながら、山々に囲まれた地域には変わりなく、空気も美味しく、時々足を踏み入れることでちょっとした外国観光的な気分を味わうこともできるため、個人的には今の比羅夫も好きです!
多くの洋風建築が立ち並ぶ中、昔ながらの小さな居酒屋などもあります。
 
 
 
 

ひらふ高原中央公園
この公園へは初めて行きました。
ニセコ国際ひらふスキー場の麓にある公園でした。
事前にだいたいの地図を調べていったのですが・・・これが迷った迷った(笑)。
“高原”というくらいなので大きな公園かと思えばそれほど大きくなく(笑)。
自然いっぱいのとてもキレイな公園でした。
 
 
 


また、この公園内には石碑があり、表には小説家・林芙美子の短歌、裏にはニセコ国際ひらふスキー場の歴史が書かれています。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:短歌「青き山なり ニセコの山は 吾心また青々 心涼しむ」(表)、右:スキー場の歴史(裏)

■碑文(林芙美子の短歌)■
作家林芙美子が、倶知安を訪れたのは昭和九年五月二十五日である。ニセコの風光が大変気に入り、その印象を色紙に残して二十八日札幌に向かった。
のち倶知安を舞台に「七つの燈」、「田園日記」などの小説を書いている。

■碑文(ニセコ国際ひらふスキー場の歴史)■
ニセコ国際ひらふスキー場三十年の歩み

昭和三十六年十二月 ニセコアンヌプリの初リフトがひらふコースに建設
               「ニセコひらふスキー場」と命名
               比羅夫駅より国鉄バス運行
 〃 三十七年  三月 第四十回全日本スキー選手権アルペン大会開催
               電話が架設される
 〃 三十八年  七月 ニセコ積丹小樽海岸国定公園の指定
 〃 三十九年  三月 スイス・サンモリッツ市と倶知安町との姉妹都市提携決議
 〃 四十二年十二月 ナイタースキー始まる
 〃 四十三年十二月 ひらふスキー場に初の雪上車導入
               スキー場内電気が北電化
 〃 四十五年  二月 第二十五回冬季国体スキー競技会開催
         十一月 「ニセコ国際ひらふスキー場」と命名
 〃 四十七年十二月 倶知安町「スキーの町」宣言
 〃 五十九年十二月 ゴンドラ運行
 〃 六  十年十二月 四人乗り高速リフト運行
 〃 六十一年  二月 第四十一回冬季国体スキー競技会開催
平成  三  年十二月 スキー場地区内飲料水を羊蹄山麓の水源に切り替え

平成四年十一月 建立

ニセコ国際ひらふスキー場開設三十周年
ニセコ積丹小樽海岸国定公園指定三十年
記念碑建立実行委員会
 会長 浦中政直

建立協力者
 北海道・倶知安町・サンモリッツリフト株式会社・ニセコ高原観光株式会社・山田地区有志・ニセコ国際ひらふスキー場振興会
 中野隆司書
  号歸山

〈東林寺〉
ここは我が“ふるさと”のひとつです。
どういうことか?
東林寺では幼稚園を経営していますが、その倶知安幼稚園が僕の出身園です。
倶知安幼稚園へは2年間通い、幼少期にはよく境内でも遊んだものです。
でも、境内に石碑があることを知ったのはほんの数ヶ月前という(笑)。
その石碑に書かれているのは歌人・九條武子の短歌が書かれた石碑があります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:短歌「夕べせまる防雪林のうすやみに ましろくたかき山うどの花」、↑右:碑文


■碑文■
 九條武子(一八八七‐一九二八)は京都西本願寺に二十一代宗主大谷光尊(明如上人)の次女として生まれ、九條良致に嫁いだ。
 西本願寺仏教婦人会長として活躍するとともに、佐佐木信綱に師事して歌人としての名も高かった。歌集に「金鈴」「薫染」、歌文集に「無憂華」がある。
 札幌市で開催される仏教婦人会北海道連合大会に出席するため大正十五年八月十七日の夕方汽車で倶知安驛を通った。
 碑の歌は、この時の印象を詠んだ一首で、「無憂華」にのっている。

父喜八郎 母滿寿代の遺志と東林寺のご厚意により平成七年九月十九日建立
 武内一男
    堂行
    怜子

〈高砂水源地〉
ここの石碑はずっと気にかかっていたのですが、諸事情でなかなか行くことができませんでした。
正直言うと“関係者以外立ち入り禁止”となっているので・・・(苦笑)。
高砂水源地には僕が小学4年生の時に遠足兼社会科見学で行ったことがありました。
なので、今回12年振りに水源地へ行きました。
倶知安では今でこそ当たり前のように水道水を飲むことができ、羊蹄山から湧き出た水は日本一の水といわれ、北海道遺産にも指定されています。
しかしながら、かつて水道のない時代には地下水を利用するものの水質が悪く、町民達は飲み水に大変苦労したそうです。
1953年、ようやく倶知安に水道を通すことが決まり、工事が施されました。
倶知安初の水源地、高砂水源地に記念碑が建立されています。
 

〈恵暁寺〉
ここの寺院には母方の祖父母、曽祖父母が眠っており、毎年お盆にお参りしに行っています。
境内には伊井億右衛門の顕彰碑あり、1976年6月13日に恵暁寺檀家一同によって建立されたものです(原石寄贈:浦中政直、三世住職・松下求書)。
伊井億右衛門は倶知安町内にある道内唯一のオブラート製造メーカー・伊井化学工場の創設者です。
伊井化学工場のオブラートの製造量は日本一を誇ります。
旭ヶ丘公園には伊井億右衛門の銅像が建立されています。
詳しくは「倶知安町のんびり旅【その2】」・「倶知安町のんびり旅【その3】」を参照のこと。


〈感想〉
今回、1年振りに史跡巡りをしてきました。
上記の4ヶ所を回り終えたことで倶知安町内にある史跡を完全制覇しました!
やったぁ〜!!
・・・と言いつつももしかするとまだ僕の知らない史跡が倶知安のどこかにあるのかもしれません。
狭いようで広い倶知安。
開拓から120年経つ倶知安。
まだ知られていない歴史がたくさん眠っているであろう倶知安。
本当に倶知安は奥深いです!
もちろん、ここで史跡巡りが立ち止まるわけもなく、まだ解読していない碑文、何のために建立されたのか分からない石碑など、後ほど倶知安風土館や役場に問い合わせながら調べ、いつか冊子に倶知安の史跡をまとめられたらと思っています!!

〈おまけ〉
高砂水源地へ車で向かう際、何と道路に馬が(笑)。
向かいが農家だったため、恐らくそこから放れた馬だと思うのですが・・・。
可愛かったです!



〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)
http://importants.jugem.jp/?eid=162(倶知安町のんびり旅【その7】)
http://importants.jugem.jp/?eid=178(倶知安町のんびり旅【その8】)


倶知安町のんびり旅【その8】

先週の28日、「9年振りの再会」・「家族とともに過ごす時間」で述べたように倶知安に帰省し、昨日の昼に札幌に戻ってきました。
祝・米壽」で述べましたが約2週間前にも倶知安に帰省しましたが、その時に大量にあった残雪もほとんどなくなり、ようやく倶知安でも春が訪れたという実感が湧きました。
今回は30日と2日に自転車で八幡に行ってきました。
倶知安町開基120周年」で述べましたが1984年3月に廃校となった倶知安最初の学校である八幡小学校の跡地の近くに谷地があり、そこへ行きました。
何をしに行ったかと言えばヤチブキを採りに行きました。
ヤチブキとは山菜であり、その名のごとく谷地に生えるフキのことです。
フキの一種ですが、玉子とじやお浸しなど、ホウレンソウと同じような調理に用いることができます。
谷地にはたくさんのヤチブキが生えており、育ってキレイな黄色い花を咲かせているものもありました。
また、ミズバショウもたくさん咲き誇っており、とてもキレイな眺めでした。
 
 
 

↑僕が採ってきたヤチブキ

八幡の谷地へ行き帰りする時、百年の森公園という公園の前を通ります。
公園と言っても本当に森に道がついているだけです。
僕が小学3年生の時に社会の授業で百年の森へ行き、時を同じくして僕と母と弟2人で自転車で百年の森まで行きましたが、それ以来行っていないため、もうかれこれ13年も行っていません。
以前に聞いた話だと100年以上前からある樹木が立ち並ぶことから百年の森と呼ばれているそうです。
様々な花々をその季節ごとに見ることができるため、また時間を見つけて行ってみたいものです。
写真はミズバショウやフキノトウが生え渡る小川を写しました。


ヤチブキもたくさん採り、写真もたくさん撮り、自宅に帰る前、僕はある場所へ向かいました。
個人的にこの時期になると感じることですが、「鯉のぼり」で述べたように近年鯉のぼりを飾る家庭が少なくなりましたね。
まだ地元ではちらほら見かけますが、都会ではほとんど見かけません。
個人的に5月に生まれたこともあり、昔から鯉のぼりの季節には愛着もあり、とても好きな月です。
実家でも僕達が大きくなったこともあり、数年前から飾らなくなり、少し寂しい気もします。
しかしながら、毎年倶知安で確実に鯉のぼりを見ることができるところがあります。
それは町内会の鯉のぼりです。
今年も風になびかれ、とても気持ち良さそうに鯉が泳いでいました。


今回も充実した日々を倶知安で過ごしてきました。
今度いつ帰省するか分かりませんが、行ったことのない史跡、上記しましたが百年の森など、たくさん行ってみたいところがあります。
ぜひ、次回史跡などを回ってみたいと思っています。

〈おまけ〉
その1

タイトルは「草原に咲く1輪の花」(笑)。
我ながらいい写真が撮れたと思います。
30日に八幡へ行った帰りに僕の出身校の東陵中学校の近くの場所で撮りました。


その2
1日に河川敷へ我が家の愛犬・ロンの散歩に行った時に撮影した羊蹄山とロン。
ロン、可愛い(笑)!



その3
2日に八幡で撮った夕焼け空。
なかなか見れない景色だと思います。


その4
この時期、実家では山菜三昧!
上記したようにヤチブキ、そしてアイヌネギやウドも採れるようになってきました。
山菜料理、本当に最高です!

↑2日の昼食(僕が採ってきたヤチブキで作ったお浸し)

↑2日の夕食(ごはん、ワカメと豆腐の味噌汁、トンカツ、アイヌネギ・ウド・アスパラ・シイタケの天ぷら、アイヌネギの酢味噌和え、フキの炒め物、ヤチブキのお浸し)

〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
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http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)
http://importants.jugem.jp/?eid=162(倶知安町のんびり旅【その7】)


倶知安町のんびり旅【その7】

先週、「祝・米壽」で述べましたが僕の祖母が数えで88歳、米寿を迎え、そのお祝いを家族全員でするために久しぶりに地元・倶知安へ帰省してきました。
13日の夜に帰省し、17日の朝に札幌へ戻ってきました。
倶知安に帰ったのは1月以来でした。
それにしても・・・雪が多い(笑)!
今年は過去10年以内で一番雪が降った年だったそうです。
豪雪地帯・倶知安は少し暖かくはなりつつもまだまだ雪をたくさん残していました。
本当は色々と行きたいところもあったのですが、もう少し雪が解けてから行くこととし、今回は実家の愛犬・ロンの散歩がてら近所や河川敷を回ってきました。

祖母の米寿のお祝いに祖母の住む洞爺湖へ行き、倶知安へ戻ってきたのは17時半過ぎのこと。
待ちわびた散歩を「早く早く!」と言うかのようにロンは吠えて飛び跳ねるのだった。
僕がロンと散歩に行くのは恐らく2〜3年振りのこと。
早速、近所を回って歩き、最後は河川敷へ。
夕日の映える羊蹄山、夕焼け空がとても美しかった。
 

辺り一面雪景色。
春はまだまだ遠し。
しかし、尻別川は止まることなく、凍ることなく、淀むことなく流れ続ける。
流水不腐。
 

帰り際に撮った1枚。
住宅が建ち並び、それを包み込む夕焼け空。
これもまた美しかった。
ロンも美しい夕焼け空に見とれて立ち止まる(笑)。
・・・と言うよりかは僕が写真を撮るために立ち止まり、ロンも強制的に立ち止まらされている(爆)。
 

札幌へ戻る前日、自宅近くでふきのとうを見つけた。
自宅の畑にも小さな小さな花の芽が生えてきた。
雪は残れども春はもうすぐそこだ。
 


・・・と今回は物語風にしてみました(笑)。
今度、倶知安に帰った時、また新たに見つけた史跡を訪ねてみたいと思います。

〈おまけ〉
その1

河川敷の排雪山で遊ぶロン。


その2
北海道テレビ放送(HTB)で放送されているイチオシ!の「世界に一つだけの味」のコーナーで以前倶知安のラーメン屋・なかまが紹介されました。
なかまへは数年前に一度僕も行ったことがありましたが、テレビで紹介されたこともあり、久しぶりに行ってみることにしました。
注文したのはWチャーシュー麺。
食べても食べてもチャーシューがなくならない!
・・・それくらいたくさんのチャーシューが入っているラーメンです!!
僕は醤油味を頼みましたが、スープも麺も絶品でした。
チャーシュー好きの方にはおすすめの一品です!
ちなみに、なかまはルー大柴さんも来店したことのある店です!!


〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)


倶知安町のんびり旅【その6】

過ぎし日の思い出第13弾!
9月18日、保育園では運動会が開催されました。
その代休として24日が休みとなり、23・24・25日が3連休となりました。
23日に専門学校時代の友達のH・Nくんと一緒に北海道私立幼稚園の就職活動フェアへ行き、就職活動フェアが終わった後、僕は久しぶりに実家へ帰省しました。
今回は史跡は訪ねませんでしたが、小学4年生の時、ちょっとした冒険心で訪ねた河川敷沿いから山の方へ続く道を11年振りに訪ねてみました。
いざ、河川敷沿いの道を出発!
秋の花々や晴れ晴れとした青い空が映える尻別川に見送られながら自転車で舗装も何もされていない砂利道を走り、10〜15分すると周囲が農家しかない道路に出ました。
「サイクリングコースではありません」と書かれた看板が立っていました(笑)。
 どうやら、何も知らずに11年前にサイクリングしていたコースは私有地だったようです(笑)。
 
 
 

自宅には食べ頃の野菜がたくさん実り、キレイな花々が咲いていました。
  
 
 

〈おまけ〉
札幌帰省前夜の24日の夕食は僕の一番好きな食べ物、カレーライスでした!
久しぶりに母の作ったカレーライスを食べ、とても美味しかったです!!
トマトはご近所さんにいただいたものであり、これもまたとても美味しかったです。


〈リンク〉
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http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)


倶知安町のんびり旅【その5】

去る先々週の12日、就職以来2ヶ月以上振りに地元・倶知安へ帰省しました。
13日から16日までの4日間お盆休みをいただくことができ、週休1日制の保育園ということもあり、なかなか倶知安へ帰省する機会がないため、気持ちのリフレッシュと骨休めのために帰省してきました。
その間、お馴染み?となった倶知安の史跡巡りもしてきましたので紹介したいと思います。

〈旭ヶ丘霊園〉
お盆だからというわけでもありませんが、旭ヶ丘にある霊園の慰霊碑を訪ねました。

倶知安隧道遭難死者慰霊碑
明治37年10月、倶知安に鉄道が開通しました。
トンネル工事で亡くなった方々の慰霊碑が旭ヶ丘霊園内にあります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑「遭難死者追悼之碑」

■碑文■
本道の開拓時代にあって鉄道の敷設は先人達の筆舌に尽し難い辛苦があった。間組は明治35年6月最大の難工事であった倶知安隧道(3,200吹)を請負い、全社の力を結集し、施工の進捗に努め37年5月竣功、同年10月函館、小樽間の全線開通をみた。当工事の建設に従事し、散華した殉職者は10名におよんだ。この導き霊の追悼の碑は明治37年4月に恵暁寺境内に建立されたが大正12年災害に遭い、以後幾星霜風雪に耐えて昭和45年倶知安町役場のご尽力により、ここ羊蹄山を望む旭ヶ丘霊苑に安置された。先人の労苦を偲び霊を弔い、ここに建立の趣旨を記すものである。 昭和54年4月1日
 創業90周年にあたり
  株式会社 間組 札幌支店 支店長 音羽敬三

布袋座遭難者慰霊碑
昭和18年3月6日、劇場・布袋座で起こった火災により、200人を超える死者を出しました。
この亡くなった方々の慰霊碑が上記同様、旭ヶ丘霊園内にあります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑「布袋座遭難者慰霊碑」

■碑文■
 昭和十八年三月六日春宵 倶知安産業組合慰安映画会が布袋座で催され 楽しく映画が始まった一瞬 フイルムに引火した業火と 丈余の残雪に 入場者は出口をふさがれ さかまく火焔に逃げ場を失ない あたら尊い生命を終られました
 ここに昭和四十年 二十三回忌を期して二百八名の霊を追悼し これを建立する
 昭和四十一年八月建之
 建立者
  遺族会 倶知安町農業協同組合
  倶知安町仏教会

〈工業発祥の地〉
明治26年、マッチの軸木を製造する燐寸軸木工場が創設され、倶知安の工業が発祥しました。
翌27年には同様の工場、縫部製軸所が創設されました。
軸木を岩内に運ぶために作られた道路は縫部道路と呼ばれ、工業内に作られた私塾は倶知安最初の教育所でもありました。
しかし、縫部製軸所は明治31年に火災で焼失しました。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑「工業発祥の地」

■碑文■
明治26年鈴木大吉民、このあたりの白楊樹を原料とし水力による燐寸軸木工場を創設、次いで翌27年大崎亀吉、縫部兼次郎民等ここに同様の工場を設けた。これによって2年前入植した人々の現金収入の道も拓け、入植者も跡を絶たず大いに開墾がすすんだ。
 昭和五十年十一月三日
  倶知安町文化財保護調査委員会
   委員長 上野留蔵

〈旭ヶ丘公園〉
今までもたくさん紹介してきた旭ヶ丘公園です。
今回は旭ヶ丘公園内にある三十三観音像を訪ねました。
大正12年、西国三十三箇所を巡礼できない人々のために旭ヶ丘公園内に建立されました。
三十三観音像の文字通り、33体の観音像が存在することでしょうが、今回僕が見つけられたのは12体のみでした。
 
 
 
 
 
 

〈感想〉
今回、上記の通り、就職以来2ヶ月半以上振りに倶知安へ帰省しました。
久しぶりの倶知安、久しぶりの実家・・・なかなか帰りたくても帰れなかった場所だけに本当に居心地が良かったです。
4日間なんて本当に束の間であり、1週間、2週間、1ヶ月・・・と言えば切りがありませんが、もっと倶知安にいたかったです。
やはり、生まれ育った地元が一番ですね。
また、今まで訪ねたことがなかった史跡も訪ねることができ、倶知安の歴史の奥深さを感じています。
しかし、まだまだ訪ねたことのない史跡はたくさんあると思いますので、また倶知安の本を読み、行ったことのない場所へ行ってみたいと思います。
また、次に帰れるとすれば、来月の23日〜25日に3連休があるため、その時だと思います。
その日を楽しみに、また明日からも仕事に取り組んでいきたいと思います。

〈おまけ〉
その1

13日、冬期から6月中旬まで休業中だったハンバーガー屋へ久しぶりに行ってきました。
外国人が経営しており、本場の味が楽しめ、店内も外国風の造りでとてもシャレています。
ダブルベーコンチーズバーガーというのを頼み、ドリンクつきで価格は1600円と高価格でしたが、味は価格以上の美味しさでした。
高校時代は高価格に手が出ず、パテ1枚のハンバーガーしか食べられませんでしたが、ようやくダブルを食べることができました(笑)。




その2
13日、洞爺湖から倶知安にお寺・お墓参りに来た祖母が実家へ久しぶりに来ました。
その場にいた父や母も含めみんなで1時間ほど話し、父と2人で祖母を洞爺湖まで送りに行きました。
その途中、蘭越の病院に入院する親戚の祖父を訪ねました。
今まで農家で働いていましたが、90歳を過ぎて農家もできなくなり、去年から病院に入院したそうです。
父が祖父に「うちの長男」と僕を紹介するまで、祖父には分かってもらえませんでした。
就職したことを伝えると「とにかく頑張れや」と言って、普段何もなければ寝たきり状態となり、少なくなった力を振り絞って僕の手を握ってくれました。
帰り際、「また来てな」と言っており、ぜひまた時間を見つけて行きたいものです。
病院の近くのひまわり畑がとてもキレイでした。



その3
14日、前日に岩内で働く弟が帰って来て、家族5人でお寺・お墓参りに行って来ました。
僕と弟がそれぞれ倶知安町外で就職し、なかなか家族5人で集まるのが難しい中でも、家族全員でご先祖様に手を合わせることができ、良かったです。
午後には岩内に住む親戚の伯父、伯母、従兄弟のお兄さんが遊びに来て、2時間ほど時間をともにし、とても楽しかったです。
次、みんなで集まれるのはいつなのかなぁ・・・。

〈リンク〉
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