母と2人で

祖母の命日」でも述べましたが、前日20日から21日にかけて僕は倶知安にいました。
21日は本当にとてもいい天気で、朝から町内ドライブ!
母が仕事に行く時に乗っている車を借り、朝は母を職場へ送って行きました。
母の職場に向かう途中に字花園から見える山の残雪、何と白馬の形をしていました!
どうやら、毎年同じ形になるそうです!!




その後、町内の店巡りをしたり、実家でのんびりした後、この日は父が山菜採り、弟が野球の試合で不在だったため、母の仕事終了後に昼食を食べに母と一緒に中華レストランの手風琴へ。
このちょうど1ヶ月前に父に連れていってもらった時と同様に今回も八宝菜定食、さらに久しぶりに餃子を食べましたが、相変わらず美味しかったです!
暑かったので、アイスコーヒーも最高でした!!







母とスーパーなどへ買い物、祖母のお寺参りをし、母を自宅に送った後、再び町内ドライブへ行き、羊蹄山や尻別川がとてもキレイでした!

↑字寒別より

↑字寒別より

↑字豊岡より

↑字富士見より

↑字富士見より

夜は僕のリクエストで久しぶりに実家でのジンギスカン!
ここ数年、大抵実家で食べているジンギスカンは町内にある佐藤精肉店のジンギスカンですが、最後にいつ食べたか分からないほど本当に久しぶりに食べ、とても懐かしく、本当に美味しかったです!!



21時頃、僕と同様この日に倶知安へ帰ってきており、この日のうちに札幌へ戻る小学校時代からの幼馴染のT・Cくんに車で札幌まで送ってもらいました。
夜のドライブ、とても楽しかったです!

 


祖母の命日

以下、先月21日にfacebookで投稿した日記です(一部文章変更)。
日記を投稿したその日、5月21日午前3時59分、父方の祖母が亡くなって丸1年が経ちました。
一周忌の法要はこの1週間前に無事終えましたが、せめて本当の1周忌(命日)にも手を合わせたく、前日に父が札幌まで迎えに来てくれ、倶知安へ帰省しました。
祖母の死から1年経った今となっては完全に立ち直りましたが、1年前の祖母の死は僕や弟達にとって初めての身近な身内の死で、僕の人生の中で最も辛い出来事でした。
昨年5月5日、最後になるとは思っていませんでしたが生前の祖母と最後の再会をし、それから僅か1週間ほどで祖母は意識レベルが低下し、眠ったままとなってしまいました。
その時点で僕は覚悟をしていたつもりでしたが、昨年5月20日の夜、母から「今日か明日が山」というメールが届いた瞬間、僕は30分ほど立ち上がれなくなってしまいました。
僕の中には前述の5月5日に会った時のイメージしかなく、意識レベルが低下して酸素マスクをつながれて眠ったままとなった祖母を見ていなかったこともあり、恐らく心のどこかで現実逃避をしていたのだと思いますし、即ち全く覚悟ができていなかったことと同じだったのだと思います。
僕は弟達や従姉弟を含め、孫の中で一番のおばあちゃんっ子でした。
一番のおばあちゃんっ子だからこそ祖母の最期をしっかり見届けてあげるべきでしたが、僕はそれをできませんでした。
今更後悔してもどうにもならないのですが、それでも今でもとても後悔しています。
せめてもの罪滅ぼしに祖母の通夜では一睡もせずに線香番をしたり、四十九日の他に百箇日や休みと月命日(昨年9月21日同11月21日今年2月21日)が重なれば実家に帰省して仏前に手を合わせたり、札幌の自宅では水を祀って手を合わせる陰膳を毎日欠かさず行っています。
そして、この日もまた明け方に起床して3時59分に仏前に手を合わせたり、午後には母と一緒に祖母のお寺に出向いて手を合わせてきました。
それで後悔が消えるわけではありませんが、それでも後ろばかりを振り返ってはいられず、生きている限り前へと進んでいかなくてはなりません。
祖母の孫であれたことを心から感謝し、祖母が生きられなかった1日を1日でも多く精一杯生き、これからも祖母に手を合わせていきたいと思います。
この日は亡き祖母が空の上から眩しい笑顔で僕達家族に微笑みかけているような、雲ひとつない晴れやかな1日でした。
また、この前日には父方の親戚がお参りに来てくれたり、別の父方の親戚が花を贈ってくれたりしたそうで、とてもありがたい限りでした。








祖母の一周忌

以下、先月15日にfacebookで投稿した日記です(一部文章変更)。
先月14日、父方の祖母の一周忌の法要がありました。
最愛の祖母の死から1年・・・本当に早いです。
法要は実家で行いました。
この日の倶知安は雲ひとつない快晴で、羊蹄山がとてもキレイでした。
そんな中、父方はもちろん、母方の親戚もたくさん駆けつけてくれ、中には従姉弟の旦那さんや奥さんまでもが参加してくれ、僕達5人家族を含め20人での法要となりました。
狭い実家にこんなに親戚が集まるのは初めてのことでしたが、祖母が晩年を過ごした実家で大勢の親戚とともに祖母の供養をでき、本当に良かったです。
また、このご時世、親戚で集まるのは冠婚葬祭くらいしかないため、大勢の親戚と積もり話や思い出話などを色々語り合うことができ、とても充実したひと時でした。
ちなみに、祖母の命日は先月21日で、今回はご院所さんの都合で法要が1週間早まったため、命日にも再度帰省し、手を合わせてきました。









 

ところで、2009年12月23日から始めたこのブログもいよいよ今回の書き込みで550回目を迎えました!
今度こそサボらず、マメに日々更新していけたらと思っています(苦笑)。
“継続は力なり”、これからも続けていきますので、どうぞよろしくお願い致します!


父と2人で

過ぎし日の思い出第73弾!
去る4月23〜24日にかけて僕は倶知安へ帰省していました。
23日の夜、父と一緒に中華レストランの手風琴へ行ってきました。
この日は母がご友人と函館へ行っており、実家暮らしの4つ下の弟もまた友達と札幌へ行っており、この日は父と2人きりでした。
初めて八宝菜セット(定食)を頼み、デザートに久しぶりにパフェも頼み、とても美味しかったです!




帰宅後、風呂に入った後、父と2人で晩酌。
なかなか2人きりになることもないため、色々語り合いながらしっぽりと過ごした時間、とても楽しかったです。

翌24日、岩内から戻った後、夜まで少し時間があったので、今度は実家の車で町内を1人ドライブ!
八幡から撮影した羊蹄山は本当に美しく、その付近には旬を終えようとしているヤチブキ、水芭蕉もとてもキレイでした!!






実家に帰る前に町内会の鯉のぼりを見に行きましたが、とても気持ち良さそうに泳いでいました!


24日に札幌へ戻り、翌25日の夕食には母が函館の帰りに長万部で買ってきてくれたカニ飯を食べ、とても最高でした!
倶知安で採ってきたヤチブキのお浸しもとても美味しかったです!!






・・・といった倶知安での2日間と後日談でした。
生まれ育った実家または地元はやはり安心感があり、とてもいいものです。


ロンの四十九日

過ぎし日の思い出第71弾!
去る4月23日、「束の間の集会、そして倶知安へ」でも述べましたが、この日はロンの四十九日で、小学校時代からの幼馴染のT・Cくんの車で倶知安へ帰省しました。
ロンが亡くなった時、家族の中で僕のみ実家に帰ることができず、彼岸に倶知安へ行く予定だったもののまさかの2度目のインフルで断念し、せめて四十九日くらいは帰ってお参りしたいという思いから帰省しました。
一緒に行ってくれたT・Cくんとロンの墓参りを済ませた後、実家へ行きましたが、ここ1年以上玄関にはロンがいたため、実家へ帰省した際にはいつもロンが出迎えてくれていましたが、その出迎えが今後一生ないと思うととても寂しかったです・・・。
しかしながら、いつまでも悲しんでいてもロンは成仏できないと思います。
ロンは僕の、僕達家族の思い出の中にいつまでも生き続けています。
ロンの思い出とともに、僕もまたこれからも1日1日を大切に一生懸命生きていきたいと思います。


↑昨年8月14日撮影


ロンの初七日

過ぎし日の思い出第59弾!
以下、去る3月12日にfacebookで投稿した日記です(一部文章変更)。
その3月12日、この日はロンの初七日でした。
ロンが我が家にやってきたのは今から16年前の、2000年3月11日でした。
動物とともにする生活が始まり、初めはとても新鮮でした。
次第にそれが当たり前になり、即ちロンも家族の一員と感じるようになり、今となっては家族以上の存在でした。
特にロンが亡くなってから強くそう感じました。
また、僕が実家にいた当時、父は仕事、僕達兄弟は学校という日々でしたので、特に母がロンの世話をし、赤ちゃんの時から、ここ1〜2年でロンに痴呆の症状が出てある程度の介護が必要になってからはほぼ毎日母は仕事や家事をしつつもロンにつきっきりで、母に言わせればロンは“四男”で、ロンが亡くなった事実も去ることながら、母の気持ちを考えれば本当に涙が出てきます・・・。
上手く言えませんが、時代の流れとともにペットの位置づけと言いますか、そういったものが変わりつつあると思います。
個人的なイメージですが、一昔前だと「犬=外で飼う動物」というイメージで、現に母の幼少期に飼っていた犬(名前は同じくロンで、ロンの名前はここからもらいました)は年齢とともに目が見えなくなりましたが、変わらず外で放し飼いで飼われており、最期は交通事故で亡くなったそうです。
しかしながら、現代は犬を家の中で飼うことも珍しくなく、犬専用の食事やおやつ、動物病院や動物用の薬なども充実しており、母もまた昔飼ってたロンが亡くなった時とは比較にならないくらいロンが亡くなったのが辛かったそうで、寂しく感じていたようです・・・。
昨年、祖母が亡くなった時もそうでしたが、辛い気持ちは結局時間が解決してくれるのを待つしかないのですが、僕もまた当時ロンが亡くなったことがまだ信じられず、この日も母に用事で電話しようとした際、一瞬「今、母さん、ロンの散歩に行ってる時間だよな・・・あ、亡くなったんだったっけ」と思ったほどです・・・。
火葬はこの週の週末辺りに無事終えたそうで、母はこの日ロンの墓参りに行ってきたそうです。

これ以降、僕も倶知安へ帰る度にロンの墓参りに行っていますが、今後とも倶知安へ帰省した際にはロンの墓参りに行けたらと思います。

↑ロンを撮った時のもので、ロンが我が家へやってきた次の日の写真です。即ち16年前の3月12日の写真です。


ロンの死

過ぎし日の思い出第56弾!
以下、去る3月6日にfacebookで投稿した日記です(一部文章変更)。
その3月6日、実家で16年間飼った柴犬のロンが亡くなりました。
両親と4つ下の弟とで1時間ほど外出している間に逝ってしまったと母から電話がありました。

ロンが実家にやってきた16年前、当時僕は小学4年生間近の小学3年生でした。
僕は物心つく頃から犬や猫が好きで、当時近所の多くの人が犬や猫を飼っており、とても羨ましく思っていました。
時々、ご近所さんが1日出かけるからということで犬の散歩やエサやりを頼まれたこともあり、本当に犬との散歩が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。
「いつか犬飼ってみたいな」と思っていた小学3年生のある日、父だったが母だったかもう覚えていませんが、「今度、うちで犬飼うことになったから!」というサプライズ発言があり、それから間もなく家族全員で蘭越までロンをもらいに行った日(2000年3月11日)のことは今でも鮮明に覚えています。
それからのロンとの思い出は一緒に河川敷まで散歩に行ったり、友達の飼う犬と仲良くなったり、時々家の中に入れてあげたら喜んでいたり・・・挙げると切りがありませんが、本当に数え切れない思い出ばかりです。
そんなロンもここ1〜2年前から痴呆の症状が出始め、間もなく家の中(玄関)で飼うようになりました。
しかしながら、食欲や外に行きたいという意欲はあり、食事も昔ほどは食べませんが食べていたり、足腰はだいぶ弱りましたが散歩もできていました。
この2日前の4日、母親に用事があって電話した際、「もしかしたら、ロン歩けなくなるかも・・・」という話を聞き(足腰がだいぶ弱り、散歩へは行きますが、すぐ疲れて座り込んだりしていたそうなので)、「ロン、今年1年生きてくれるかな?」という話をしていたばかりでしたが、まさかこんなに早く逝ってしまうなんて思ってもいませんでした。
数年前から実家に帰る度に「これがロンとの最後の散歩になるかも」と思いながら散歩をしてきましたが、今年は一度も散歩に連れ出してあげれなかったので、せめて年末年始祖父の法要で実家へ帰った時に散歩に連れて行ってあげれたら良かったと未だに少々後悔もしています・・・。


この日、夕方に寝た際、ある夢を見ました。
それはロンの夢です。
電話の中で母は「ロンをいつまでも置いておけないから、もし火葬やってるなら今日行く」と言っていました。
その続きというべきか、夢の中では「ロンが死んで僕が倶知安へ戻り、母に『ロンの火葬、行ってきたの?』」というと尋ねるところから始まりました。
夢の中では火葬へはまだ行かずにまだ家におり、そこにはまるで眠っているかのような安らかな顔をしたロンがおり、実家を離れて暮らしている2つ下の弟、そして昨年亡くなった祖母までもがいました。
僕がロンの顔を見ながら涙を流して手を合わせているところで夢は終わりました・・・。
きっとロンは僕の疲れ(この日の深夜、職場のクラスの謝恩会を終え、新札幌から豊平までの11キロを歩いて帰宅しました)や金欠または翌日早番で倶知安へ戻るのが厳しかった僕のためにそんな夢を見せてくれたのだと思います。
そう思うと本当に涙が溢れ出てどうしようもありませんでした・・・。

現実、この日の夜に再度母と電話した際、この日は火葬へは行かずに1日家に置いてあげ、翌日に火葬へ行くことを聞きました。
また、2つ下の弟もこの日は仕事が休みでロンの最期の姿を見に来たそうです。
僕はロンの最期の姿を直接は見れませんでしたが、父の提案で母がロンの最期の姿を写真に撮っていてくれ、後日見ることができ、良かったです。
また、運良くこの日は母が仕事が休みで、ロンの最期を看取ることは前述の通りで出かけていたためできなかったものの、出かける前までロンにたくさんかまってあげることができたそうです。
ロンに痴呆の症状が出始め、足腰も弱るなど、ある程度介護が必要になってからというもの、ロンが吠えてどうしようもない時には母が夜泣きの子をあやすようにロンをなだめたり、散歩もほぼ母が連れて行っており、ロンもきっと最後の力を振り絞って母の仕事休みの日まで生きたのだと思います。

よく「ペットは家族、肉親」という言葉を耳にしますが、ロンを飼う前まではペットはあくまでペットとしか思えず、ペットを家族または肉親と思える気持ちが分かりませんでした。
しかしながら、ロンと時間をともにするようになり、だんだんその気持ちが理解できるようになり、ロンを飼い始めてから16年経った今ではまさに家族以上、肉親以上の存在でした。
ロン、うちに来てくれてありがとう。
そして、16年間たくさんの思い出をありがとう。
今は老いて疲れた身体をゆっくり休め、安らかに眠って下さい。
合掌

↑昨年9月21日撮影(ロンの生涯最後の写真です)


長田の祖父の三十七回忌

過ぎし日の思い出第54弾!

去る2月21日、「倶知安町のんびり旅【その12】」でも述べましたが、実家で亡き母方の祖父の三十七回忌の法要がありました。
祖父・・・厳密に言えば間柄は大伯父になりますが、なぜ祖父かと言えば、それは母の生い立ちに関係あります。
母を生んだ実母(僕にとっては母方の祖母)は母が生まれた日に亡くなり、以後母は実父(僕にとっては母方の祖父)に加え、実父と同居していた実母の姉夫婦の3人に育てられ、つまり母にとっては2人の父、1人の母がいるという家庭で育ちました。
そのため、母にとって父だった以上、僕にとっても祖父になるのです。
分かりやすくするため、通称母の実父を祖父、実母を祖母、もう1人の祖父をタイトル通り長田の祖父(名字が長田だったので)、同じくもう1人の祖母を長田の祖母と呼んでいます。
今回は長田の祖父の法要でした。
5年前に実家で法要をした際、僕の他、両親、母の兄夫婦、母の姉、20年前に亡くなった母の姉の夫の7人での法要でしたが、今回は前述の7人に加え、僕の弟2人、いとこも3人来てくれ、12人での法要でした。
僕の幼少期はお盆や正月と言えばよく親戚で集まったものですが、現在親戚で集まると言えば法要か冠婚葬祭くらいなので、今回こうして大勢で集まれたことは本当に嬉しかったです。
また、長田の祖父の三十七回忌の法要と同時にこの日は昨年亡くなった父方の祖母の月命日でもあったため、祖母の法要も含め、お参りしてくることができ、母方の親戚にも祖母のお参りもまたしてもらうことができ、とても良かったです。
法要終了後、記念撮影をしましたが、ご院所さんも写真に入って下さり、とても記念になりました。
その後、大勢で食卓を囲って食べた食事は本当に美味しかったです!
5年前の法要の時から頼んでいる仕出しは倶知安町内のあったかい弁当屋という店の仕出しで、米はこしひかりを使っており、本当に何度食べても美味しかったです!!
・・・と無事に三十七回忌の法要を終えることができ、良かったです。
ちなみに、豪華な仕出しを昼に食べ、さらに夜はこの日コープで27貫入りで税込み1058円で売っていた寿司を食べ、最高に贅沢な1日でした!


本当は21日のうちに札幌へ戻る予定でしたが、翌22日は2つ下の弟が札幌に用事があり、僕も仕事が休みだったため、そのついでに乗せてもらって札幌へ戻ってきました。
昼食は僕の自宅近くの定食屋・こめますで食べ、弟にごちになりました。
こめますはななつぼしの特Aランクを使用しており、店名の通りこめを売りにしている定食屋で、米はもちろんですが、おかずもとても最高です!
僕はいつもこめますへ行くと9割型頼む唐揚げ定食のダブル(ダブルはおかずが2倍になります)をこの日も頼み、もちろんライスは特盛にし、さらに特盛のおかわりもしました(笑)。
弟はチキンカツ定食のダブルにライスの特盛、おかわりは大盛りをしていましたが、思っていたよりも多かったようで、終盤はほんの少しですが僕も手伝い(カツを一切れ食べただけです)、何とか完食できていました(笑)。
しかも、僕は札幌へ向かう途中の高速道路で立ち寄った道の駅であげいもを1つ食べたにも関わらず、完食に加え、弟の手伝いもできたという・・・胃袋どうなってるやら(笑)。



家族とともに〜2015年大晦日〜

過ぎし日の思い出第41弾!
去る昨年12月31日、この年の締めくくりの日を家族とともに過ごしました。
ここ数年、仕事の都合で2つ下の弟は不在でしたが、この日は珍しく仕事の都合がついたそうで、2011年の大晦日以来4年振りに家族全員で年越しをすることができました。
残念だったのは同居していた祖母が亡くなり、祖母と年越しができなかったことです・・・。
僕が生まれた時、母方の祖父母はすでに亡くなっており、父方にも祖父はいなかったため、昨年亡くなった父方の祖母が唯一の祖母で、僕は兄弟、従姉弟の中で一番のおばあちゃんっ子でした。
祖母とは昨年のゴールデンウィークに会ったのが最後となり、それから僅か2週間で不帰の客となりました。
祖母は8人姉弟(幼い頃に亡くなった者を含めると10人姉弟)の末っ子で、昨年まで祖母と大伯母(祖母の3つ上の姉)のみが生きていましたが、妹の祖母の方が先に亡くなり、大伯母が8人姉弟最後の1人となりました。
大伯母は祖母の葬式にも参列してくれ、久しぶりに大伯母と会うことができ、祖母は亡くなってしまいましたが祖母より年上の大伯母が元気でいてくれることがとても嬉しかったのを覚えています。
告別式を終え、別れ際に僕は大伯母に「ばあちゃんの分も長生きして下さいね」と声をかけましたが、その大伯母も告別式の4日後、ちょうど祖母の命日の1週間後に急逝し、言葉も出ないほど驚き、悲しかったのを今でも忘れません・・・。
しんみりもしつつ、家族とともに美味しいものをたくさん食べつつ、色々語り合いながら過ごした時間はとても尊く、充実した時間でした。
今年の大晦日もぜひ家族全員で揃うことができたらと思っています。





祖母の半周忌

過ぎし日の思い出第28弾!
以下、昨年11月27日にfacebookで投稿した日記です(一部文章変更)。
去る昨年11月21日、「半周忌」という言葉は存在しませんが、敢えて便宜上遣わせてもらうとしたら、この日は亡き父方の祖母の半周忌でした。
個人的には昨年5月5日が生前の祖母との最後の再会となり、それから1週間もせずに祖母は意識レベルの低下によりいつどうなるか分からない状態となり、5月21日に亡くなるまでの数日間は本当に気が気ではなく長く感じましたが、亡くなってからは本当にあっという間でした。
半周忌だった21日、僕は発表会終了後に倶知安へ帰省し、23日まで倶知安で過ごしました。
祖母の月命日、しかも半周忌の日に実家に帰省することができ、仏前で手を合わせることができ、単なる自己満足かもしれませんし、既に祖母はこの世には亡くも少しは祖母孝行になったのではと思っています。
そして、その1週間後の28日には祖母の1週間後に急逝した大伯母(祖母の姉)の半周忌で、本当に時の流れとは早いものだと改めて感じたのを覚えています。
母方の祖父母は僕の生まれる以前に他界しており、幼い頃から仏間の遺影を前に「この人があなたのおじいちゃん、おばあちゃんなんだよ」と母からよく聞かされたものですが、僕が生まれた時には既にこの世に亡き人だったために特に実感も湧かず、ご先祖供養について深く考えたり、実家にいた頃は特別仏前に手を合わせることもありませんでした。
しかしながら、昨年身近な親族を喪ったことでご先祖供養の大切さ、何より家族の尊さを深く考えさせられています。
これからも少しでも時間を見つけ、実家に帰省した暁には仏前に手を合わせ、ご先祖供養できればと思っています。




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