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  • 2018.03.17 Saturday
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幼稚園教育実習

8月23日から9月17日までの4週間、幼稚園教育実習で地元・倶知安の幼稚園へ行ってきました。
この幼稚園は僕の出身園であり、15年前の平成7年4月に年中から入園しました。
15年経った幼稚園・・・中は壁を張り替えたりなど新しくなっていましたが、生活の中で歌う歌、お片づけの時に流れる曲、さらにはぞうきんがけの時に鉢合わせしたらジャンケンをし、勝ったらまっすぐ進み、負けたら横にずれて進むなどなど、本当に細かいところまで昔のまま全く変わらず、懐かしかったです。
さて、実習が終わり、早1週間が経ちました。
出身園で過ごした4週間は本当に濃く、これから歩む保育者という道にとても大きな影響を与えてくれました。
これまでの人生の中でも忘れられない宝物となった4週間を振り返ってみたいと思います。

〈後輩〉
出身園での実習ということで、今回関わった子ども達は僕の後輩にあたる子ども達でした。
おおよそ半世代離れた子ども達と昔と変わらぬ歌や遊びなどでの時代の共有・・・本当に何とも言えない嬉しさがありました。
子ども達との会話の中でも「昔何組だったの?」・「担任の先生は誰だったの?」と子ども達に聞かれるなど、先輩後輩でなければ話せない話題も話すことができました。
例えば、僕が「先生が年長の時、今はなくなってしまったけど、X組っていうクラスがあって、先生はX組だったんだよ」と話すと、「あ、私のママもX組だったって言ってたよ」(Y・Tちゃん)という子どももおり、結構話が弾み、楽しかったです。
また、幼稚園では4週間同じクラスで実習させていただき、年長さん組(A組)で実習させていただきました。
A組の子ども達の名前は全て覚えたのですが、他のクラスの子ども達の名前をなかなか覚えられなかったのが少々残念でした(マメに話したことのない子ども達に名前を聞きましたが、なかなか全員を覚えるのは難しかったです。ネームもまた全員が全員つけていなかったので・・・いや、言い訳ですね)。
ほとんど自由遊びと預かり保育の時にしか他のクラスの子ども達とは関わることができませんでしたが、たくさんの子ども達と仲良くなることができました。

〈ニックネーム〉
出身園では子ども達が先生を呼び捨てにしてもいいことになっています。
僕が在籍した頃から園長先生は「園長ゴリラ」と呼ばれており、「『園長ゴリラ』のように、子ども達が保育者をより近くに感じ、親しみを持って関われる存在であるため」に呼び捨てが許可されているそうです。
もちろん、強制ではありません。
ちなみに、僕が在籍した頃は必ず「先生」をつけて呼ぶことになっていました。
僕のこともまた、「やすひろ(本名)」と呼び捨てにする子ども達もいれば、「やすひろ先生」と呼ぶ子ども達もいました。
正直、最初は呼び捨てにあまり慣れず、呼び捨てに納得がいきませんでした。
しかし、日々を積み重ねるに連れ、「やすひろ」と呼ぶ子どもが多くなり、呼び捨てに慣れたのもありますが、子ども達がより親近感を持ってくれた結果でもあると思うので、逆に呼び捨てで呼ばれることに「何かいいなぁ〜」と感じるようになりました。
また、呼び名は「やすひろ」・「やすひろ先生」のみならず、僕はピカチュウのネームをつけていたので「ピカチュウ」・「ピカチュウ先生」と呼ばれることもあり、「園長ゴリラ」系列で「やすひろゴリラ」と呼ばれることもありました(僕が在籍した頃から、名前の下にゴリラなどの固有名詞をつけて呼ぶ子どもがいました。伝統?なのかな 笑)。
ちなみに、「やすひろゴリラ」に加えてもうひとつ、年長さん組(B組)のH・Kくんにどこから出てきたのか分かりませんが、「やすひろチンチン」と呼ばれていました(笑)。
いつもH・Kくんは幼稚園内を走り回り、「やすひろチンチン!」と叫んでおり、少し恥ずかしかったです(笑)。
H・Kくんを真似し、同じくB組の男の子数名が「やすひろチンチン」と呼ぶようになり、終いには年少さんの女の子にまで・・・(笑)。
まあでも、恥ずかしいとは思っても嫌ではありませんでした(笑)。
ちなみに、H・Kくんが「やすひろチンチン、見て!」と言うのでH・Kくんを見ると、本当に出してました(爆)。

〈自然〉
出身園は本当に自然がいっぱい!
周りに木々が生い茂り、木で造られた遊具(ツリーハウス、ロッククライミング、ターザンロープなど)、泥遊び場、動物(ウサギ、ヤギ、カモ)も飼われています。
僕が在籍した当時は木で造られた遊具はありませんでしたし、動物もウサギしか飼われていませんでした。
園庭は僕が在籍した当時と比べるとだいぶ変わりました。
遊具も全体的に新しくなりました。
変わらないのは泥遊び場。
昔から子ども達はスコップで泥を掘り、川を作ったり、泥風呂に入ったりなどしていましたが、それは変わっていませんでした。
子ども達と泥遊びをする時には泥団子をぶつけられたり、ビーチサンダルを泥風呂の中に入れられたりしましたが、本当に楽しかったです。
また、幼稚園内ではありませんが、乗馬体験ができるところもあり、6月にはカヌーも行います。
あと、農作業体験もあり、幼稚園内にも畑があり、枝豆・トマト・とうもろこし・じゃがいもを育てていました。
ちなみに、僕が在籍した当時、農業体験は農家の畑を借りて年長さんのみが行える作業でしたが、現在は幼稚園に畑ができたこともあり、全園児が農業体験をできます。
僕が年長の時は運悪く農家の畑を借りることができず、農業体験をできないまま卒園しました。
実習では14年越しに農業体験をさせていただき、子ども達と一緒に収穫した枝豆・トマト・とうもろこしの味は本当に最高でした!

↑泥遊び場
 
↑泥団子の被害?をあおったTシャツ&短パン

〈先生〉
出身園には僕が在籍した当時の先生が園長先生を含め、4人いらっしゃいました。
その中には人生で初めて出会った先生(幼稚園最初の担任の先生)もおり、発展途上の身ではありますが、保育者として共に同じ現場に立てたことが本当に嬉しかったですし、夢にも思いませんでした。
昔と全くお変わりない笑顔、子ども達への関わりや言葉がけなど、今の子ども達に昔の自分の姿を見ていました。
また、一緒に教室を掃除した時には昔の呼び名の「やっちゃん」とも呼んでいただき、とても嬉しかったです。
これからもお元気で昔と変わらぬ先生のままでい続けて欲しいです。
また、父兄の中にも当時お世話になった先生が2人おり、そのうち1人は僕が年長の時に担任だった先生であり、もう1人は弟の担任でもあった先生です。
お2人とも本当にお変わりなく、すぐに分かりました。
その先生方のお子さんが現在幼稚園に通われているわけですが、当時僕を見ていただいた先生方のお子さん達を15年経った現在、今度は僕が見させていただいた・・・何だか不思議な巡り合わせに何とも言えない嬉しさを感じました。
また、僕が知っている先生は上記したように4人のみでしたが、僕とは面識がない先生であっても、母がかつて一緒にPTAの役員を務めた先生、実家の近所に住んでいる先生、弟の同級生のお母さん、同級生のお姉さん(面識はありませんが)の旦那さんなど、色々なところでつながっており、とても話しやすかったです。

〈にじ〉
実習させていただいたA組の子ども達に「にじ」という歌を教えました。
幼稚園では歌われていない歌であり、模造紙に歌詞を書いて貼り、1番から3番までを教えるところから始めました。
個人的にとても好きな歌であり、実習で教えたい一身で、去年ピアノを始めたばかりの僕にはとてもとても難しい楽譜でしたが、実習の2週間程前から練習を始め、毎日トータル3時間程は弾いていたかと思います。
何とか実習にも間に合い、9月3日に教えることになりました。
「はい、先生はこれからみんなに『にじ』っていう歌を教えるよ」・・・と言う前に、さすが鋭い子ども達は壁に貼ってある新しい歌詞を見つけ、「『にじ』弾いて」と最初に言ってくれたのはR・Nくんであり、本当は朝の会を行ってから教えるべきところを朝の会の前に教えました。
最初は週に2〜3回程歌えればいいかなと思っていたのですが、「にじ」は思った以上に子ども達に大人気でした。
特にK・Aくん、Y・Aちゃん、R・Aくんには「『にじ』弾いて」と毎日のように言われ、他にも最初の頃は「『にじ』嫌だ」と言っていたF・Kくんが何日か後には「『にじ』歌いたい」と言ってくれ、結果的に実習最終日までに16回も歌いました。
また、隣のB組でも「にじ」が話題になっていたようであり、本当に嬉しかったです。

〈運動会〉
9月11日、運動会があり、実習3週目の末日でした。
なので、実習中はほとんど運動会の練習がメインとなりました。
子ども達と一緒に汗を流した3週間、本当に最高の日々でした。
そして、本番も運動会の種目に出させていただけることになりました。
本番は雑用のみと考えていたため、本当に嬉しかったです。
メインで出させていただいたのは開会式、年長さんの遊戯「ソーラン節」、閉会式であり、その他はクラスの応援として参加させていただきました。
年長さんの競技はクラス対抗綱引き「ひっぱれ!けっぱれ!」、クラス対抗親子競技「おんぶで突撃」、自作の縄跳びでのクラス対抗縄リレー「Myなわリレー」、個人障害物リレー「めざせ!オリンピック」、クラス対抗リレー「リレー」などでした。
また、「ソーラン節」は奇しくも僕達の代から始まっており(平成8年)、今年15年目となり、「ソーラン節」15期生にあたる子ども達と共演させていただきました。
僕達が「ソーラン節」を踊った時、親御さん達から大好評だったそうであり、「運動会の名物遊戯にしたらどうか?」などの意見もあったそうで、それが現実のものとなり、現在まで15年間続いています。
ちなみに、僕達はアンコールで発表会でも「ソーラン節」を踊りました。
現在、出身園では公民館を借りて発表会を行っていますが、僕達の時は幼稚園の狭いホールで行っていたため、かなり窮屈だったのを覚えています。
ちなみに、幼稚園のホールで発表会を行ったのは僕が幼稚園に在籍した年までであり、次の年からは公民館で行われるようになったのですが、幼稚園の狭いホールで発表会を行うというのも、今の子ども達は経験できないわけで、いい思い出として残っています。
「ソーラン節」の踊りは変わっていましたが(毎年変わっているみたいです。弟2人の時の踊りもまた、僕達が踊った踊りとは違う踊りでした)、本当に懐かしみながら、楽しく躍らせていただきました。
ちなみに、僕達の時に比べ、踊りのレベルは高くなっており、それを踊り通した子ども達の力、本当に素晴らしかったです。
 
↑ソーラン節の衣装(左:幼稚園時代の僕、右:現在の僕)

〈涙々の別れ〉
4週間、同じクラスで実習させていただき、子ども達への愛着は本当に深いものとなっていました。
実習最終日(9月17日)には15日に行わせていただく予定だった設定保育(吹き絵)を行わせていただき、午後は子ども達と一緒に散歩(本題は子ども達が作った絵葉書をポストに投函に行くこと)に行きました。
散歩の時は2人ずつ手をつないで歩きますが、A組は25人だったため、1人余ることになり、真っ先に「やすひろ、一緒につなごう」と言ってくれたのはY・Aちゃんでした。
僕達の前にいたのはR・NくんとS・Mちゃんであり、S・Mちゃんもまた時折手をつないでくれました。
散歩が始まり、幼稚園を出始めた時からY・Aちゃんは泣きそうなしょんぼりした顔をしながら、「やすひろのこと、一生忘れないからね」と何度も言ってくれ、前にいたS・Mちゃんも「私も忘れないもん」と言ってくれました。
「この散歩が終わったら、本当にお別れなんだ」・・・僕はそう何度も思い、思い出が走馬灯のように思い出され、ジーンとして涙が出そうになるのを何度もこらえながら歩きました。
ちなみに、「やすひろいなくなるんなら、多分来週まで覚えてられないから、忘れてもいい?」(H・Iくん)という子どももいました(笑)。
散歩が終わり、幼稚園到着後、僕にとっては最後の帰りの会が始まりました。
子ども達全員にプレゼントを渡した後、僕もまたプレゼントをいただきました。
そして、最後に「にじ」を弾き、みんなの顔を見ながら歌っていると、僕にプレゼントを渡してくれた、帰りの会が始まる前には「先生ともっとサッカーやりたかった」と言って寂しそうにしていたK・Aくんが涙目になっており、僕もまた涙が出そうになり、声がつまってなかなか歌えませんでした。
「にじ」を歌った後、最後の手遊び「ぴしゃん」を行い、絵本「おおきな木」を読みました。
「おおきな木」はシェル・シルヴァスタイン作(本田錦一郎訳)の絵本であり、幼稚園児には少し難しい内容だったかもしれません。
簡単なあらすじは1本のりんごの木が仲良しの男の子に自分の体を削り、全てを“犠牲”にして全てを「与える」という物語です。
しかし、りんごの木は“犠牲”という概念にとらわれるどころか、男の子に「与える」ことに“喜び”を感じていました。
最終的にりんごの木は切り株になってしまいますが、それでもなお「与える」ことを忘れないりんごの木に感動できるなら、その感動は“犠牲”ではなく“愛”ではないのか・・・翻訳した本田氏はそう語っています。
僕は子ども達との生活を重ねるに連れ、「りんごの木」は絶対に最後に読もうと強く思うようになりました。
本田氏のあとがきは実習が終わった後に読みましたが、まさに実習中に上手く説明できなかった僕の気持ちそのものでした。
僕自身もいつのまにか子ども達のためなら、我が身を犠牲にしても構わない、与えられるものは全て与えたい・・・大げさかもしれませんが、そう思っていたのかもしれません(もちろん、贔屓ではありません。保育実習やボランティアで関わった子ども達にもまたそういった感情を抱きました)。
並びに、「おおきな木」を読むことで、子ども達に“愛”というものを伝えたかったのかもしれません。
絵本が終わった後、「おかえりのうた」を弾き、みんなとさよならの挨拶をしました。
そして、1人ひとりとタッチしながら、子ども達は「やすひろ先生、また会おうね。ウチんちにも遊びに来てね」(N・Tちゃん)、「やすひろのこと、一生忘れないよ」(H・Sちゃん、Y・Tちゃん)、「運動会、楽しかったね」(R・Aくん)などと言ってくれ、涙目なっていたK・Aくんが最後に笑顔を見せてくれた時、僕もついにこらえきれなくなり、号泣してしまいました。
そんな時、預かり保育が始まるまで一緒にいてくれたのが散歩の時に一緒に手をつないでくれたY・Aちゃんでした。
預かり保育が始まる時間になり、「じゃあ、やすひろ、元気でね!」と言って手を振るY・Aちゃんと別れました。
ちなみに、預かり保育の教室は職員室の隣にあります。
10分程経ち、職員室に用事があり、職員室に行こうとすると、預かり保育のF・Kくんに「先生、Y(Y・Aちゃん)ね、先生がいなくなるのが悲しくなったんだって。だから、近くに行ってあげて」と言われ、Y・Aちゃんのところに行くと、Y・Aちゃんが泣いていました。
Y・Aちゃんが僕に抱きついてきて涙声で「やすひろのこと、一生忘れないからね」と何度も言ってくれ、僕もまた号泣してしまいました。
すると、A組のA・Iちゃんが「私も悲しい」と言って僕に抱きついてきて泣き出すと、隣にいた同じくA組のR・Sちゃんも泣き出し、R・Aくんも、さらには「やすひろチンチン」のH・Kも「先生に会えなくなる」と言って泣き出し、本当に涙が止まりませんでした。
ここに書いた子ども達だけではなく、本当にみんなと別れるのが辛かったです。
しかし、ここまで子ども達が後ろ髪を引いてくれるまでに愛着関係を築けたことを本当に嬉しく思いました。

〈反省会〉
実習最終日の17時より、前日の公開保育(全日実習)と実習全体の反省会がありました。
先生方には本当に細かいところまで評価していただき、自分に足りなかったところ、これから身につけるべきこと、子ども達が楽しめるようにするゲームの行い方などなど、たくさんのアドバイスをいただきました。
また、僕が人生で初めて出会った、幼稚園最初の担任の先生には「久しぶりに幼稚園に来てくれて、昔と変わらない笑顔を見せてくれて、自由遊びの時には先生のクラスにも何回か顔を出してくれましたね。子ども達に通る声と優しさに加えてもうひとつ、“たくましさ”が身につけば関口くん(本名)ならいい男性職員になれると思います。頑張ってね」とありがたく、とても心強いお言葉をいただきました。
また、反省会の後はケーキとジュースをいただきながら、先生方と色々とお話をさせていただきました。
そんな中、A組で行わせていただいた手遊びやパネルシアターの話になり、先生方の前で手遊びとパネルシアターを披露させていただくことになりました。
手遊びは「フルーツパフェ」・「おおきくなったら」・「三ツ矢サイダー」・「ぴしゃん」の4つを行わせていただき、特に「フルーツパフェ」と「三ツ矢サイダー」が人気でした。
中には携帯でムービーを撮っている先生もいらっしゃいました。
パネルシアターは自作の「ブレーメンのおんがくたい」を演じさせていただき、カンペなしで演じたことを高く評価していただきました。
とても楽しい反省会でした。
反省会終了後、職員室に挨拶に行くと、担任だった先生が「関口くん頑張ったからね。はい、これご褒美」と言ってお菓子をいただきました。
その時、僕は年中だった時の自分を思い出していました。
保育現場において子どもが行事などで一生懸命頑張り、その子どもの頑張りに対し、保育者が「はい、これはご褒美だよ」と言ってお菓子やメダルなどをあげることはよくあることだと思います。
僕の幼少期もまた、何かしらの行事が終わった後にはお菓子、運動会ではメダルといったようにご褒美をもらい、そういった時の担任だった先生の言動が微かですが、記憶に残っています。
本当に担任だった先生の細かな言動が当時の自分の記憶と重なり、とても懐かしかったです。
お菓子、美味しくいただきました!
ありがとうございました!!
 
↑担任だった先生にいただいたお菓子

〈実習を通して〉
今回、本当に久しぶりに出身園に行きました。
園舎に入ったのは3年前にバザーに行った時と最近なのですが、幼稚園での生活は卒園以来14年振りでした。
昔と変わらない歌や遊び、運動会でも僕が在籍した頃に行っていた競技が現在も行われていたりなど、本当に懐かしく、子どもの時代に戻ったような気持ちになりながら、実習を楽しみました。
また、僕が在籍した頃にいらっしゃった先生は4人と少なくなりましたが、先生方の人情の温かさというのは昔と変わらず、温かい気持ちに包まれながら、とても充実した実習期間を送ることができました。
子ども達もまた、後輩に当たる子ども達ということで、特別な思いがありました。
本当にまた会いたいです。
もちろん、贔屓ではありません。
どこの幼稚園・保育園に行っても子どもは子どもであり、関わるうちに愛着が芽生えます。
また、これから就職活動も始まるため、子ども達に会いに行けるのはバザーと発表会のあと2回程であると思うので、バザーと発表会にはぜひ行きたいと思っています。
早いもので、涙々の別れから11日が経ち、一昨日からは休む間もなく施設実習が始まりました。
子ども達からもらった笑顔や元気を胸に、残り9日間となりましたが、施設実習頑張ってきます!

〈おまけ〉
その1
実習で倶知安に帰っている時、羊蹄山を撮りに行きました。
夕方はともかく、朝は雲がかかってあまりキレイに見れないことが多いのですが、運良く朝日の当たる羊蹄山を撮ることができました。
また、夕日の当たる羊蹄山も撮りました。
 
↑左:朝日のあたる羊蹄山、右:夕日のあたる羊蹄山

その2
実習が終わった次の日、札幌へ帰る前に隣町の京極の名水を飲みたいと思い、京極のふきだし公園に行ってきました。
久しぶりの生水、本当に美味しかったです!
ちなみに、某コンビニで「京極の名水」と題して販売されていますが、あれはあくまで“製品”です。
本物の生水とは天と地ほどの差があります。
ぜひ、生水を飲んだことがない方は飲みに行ってみて下さい!
また、京極の湧き水は北海道遺産にも指定されています。
 
↑左:湧き水、右:北海道遺産の石碑


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  • 2018.03.17 Saturday
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  • 00:30
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コメント
私も札幌戻る途中 ふきだし公園に行きました。
吹き出しの水は大変美味しいですね。父親の墓に供えるため汲んでかえりました。
  • うのっち
  • 2016/06/05 7:33 PM
Re: うのっちさん

ふきだし公園の湧水は本当に美味しいですよね!
お父様、さぞかし喜ばれることでしょうね。
かれこれ僕もここ数年(もしかするとこのブログに載せた時以来)ふきだし公園へ行っておらず、しばらく湧水を飲んでいないので、久しぶりに湧水を飲みたいです!
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