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倶知安町開基120周年

Congratulations!
タイトルにもあるように、来年、我が出身地の倶知安が開基120周年を迎えます。
僕もその事実をつい数日前に知りました。
数日前、倶知安町開基100年記念誌「美わしき大地の讃歌」を見ていると、記念誌が発行されたのは平成3年と書いてありました。
平成3年は1991年、来年は平成23年(2011年)・・・ということは来年は開基120周年か!
記念誌を見ながら1人で舞い上がっていました(笑)。
倶知安は明治24年(1891年)に開基、以来様々な歴史を積み上げてきました。
今回は堅苦しく語るのはやめ、僕が中学時代から撮ってきた倶知安の写真をたくさん載せながら簡潔に倶知安を語りたいと思います。

〈開拓当時の面影〉
特に瑞穂、末広、大和、八幡などの地域に開拓当時の面影を残している場所がたくさんあります。
瑞穂、扶桑(大和の近く)には遺跡もあります。
 
↑左:瑞穂、右:末広
 
↑左:大和、右:八幡
 
↑冬のドライブ中に撮った写真(地域は不詳)

〈豊穣の里〉
倶知安北部の農業史が書かれた石碑、倶知安で一番最初に米作りに成功した青木利一の功績を讃えた石碑、旧青木農場記念樹、倶知安北部開基100周年を記念した石碑が瑞穂の地にあります。
 
↑左:「豊穣の礎」、右:左側に写る木は明治39年5月に青木農場開設記念で植樹された記念樹
 
↑左:旧青木農場記念樹を示す石碑、右:「米が稔った郷」

↑「翔け未来へ豊穣の里」

〈廃校〉
僕が中学3年次から高校3年次までの4年間、郷土史を調べるにあたって最も力を入れていたのは学校の歴史です。

八幡小学校
倶知安最初の学校。明治29年9月11日、倶知安尋常小学校として開校。明治31年6月8日、倶知安第二尋常小学校の開校に伴い、倶知安第一尋常小学校と改称。昭和22年5月1日、中学校が併置され、八幡小中学校となる。のちの八幡小学校。昭和59年3月31日、廃校。
 
↑左:正門、右:石碑

瑞穂小学校
明治30年6月、米田和一が私塾を開設。翌31年3月11日、校舎を新築して4月3日に倶知安尋常小学校倶登山分校として開校。同年6月8日、独立して倶知安第二尋常小学校となる。昭和22年5月1日、中学校が併置され、瑞穂小中学校となる。のちの瑞穂小学校。昭和59年3月31日、廃校。
 
↑左:正門、右:石碑

比羅夫小学校
明治31年3月1日、服部大融が慈民教育所を開設。翌32年9月15日、比羅夫の村有地に学校の設置が決まり、10月15日に倶知安第四尋常小学校として開校。のちの比羅夫小学校。昭和62年3月31日、廃校。現在、校舎を残し、冒険家族という宿・自然生活体験センターとなっている。
 
↑左:校舎(冒険家族)、右:石碑

以下のURLは冒険家族のホームページです。
http://www.bouken-kazoku.com/

巽小学校
明治33年9月25日、倶知安第五尋常小学校として開校。のちの巽小学校。昭和59年3月31日、廃校。
 
↑左:校門、右:石碑

ちなみに、巽小学校は母の母校です。

富士見小学校
当初、富士見に開所した私立の教授所であり、明治41年4月1日に倶知安第五尋常小学校分教場となる。明治44年9月21日、独立して倶知安第七尋常小学校となる。のちの富士見小学校。昭和59年3月31日、廃校。
 
↑左:校門と石碑、右:校舎があった場所

大和小学校
当初、明治37年5月、大和に開所した私立の教授所であり、翌38年7月1日に倶知安第二尋常小学校付属ポンクトサン特別教授所となった。大正元年9月20日、独立して倶知安第八尋常小学校となる。のちの大和小学校。昭和51年3月31日、廃校。
 
↑左:石碑、右:うさぎやかめの形に切られたおんこの木

峠下小学校
明治36年4月19日、倶登山簡易教育所として開所。大正6年4月1日、独立して倶登山尋常小学校となるが、大正13年4月1日に児童数の減少により、倶知安第三尋常高等小学校倶登山分教場となる。昭和22年4月1日、再度独立して峠下小学校となる。昭和51年3月31日、廃校。現在、跡地に羊蹄ハイツという特別養護老人ホームが建てられており、少し離れた場所に校門と校舎の一部が残っている。
 
↑左:羊蹄ハイツ、右:校門と校舎の一部

寒別小学校
明治44年6月1日、倶知安第一尋常小学校付属東特別教授所として開所。大正7年6月24日、独立して東尋常小学校となる。昭和22年5月1日、中学校が併置され、寒別小中学校となる。のちの寒別小学校。昭和59年3月31日、廃校。現在、校舎を残し、FAF(フロンティア・アート・ファーム)工房という陶芸体験や羊毛加工体験ができる施設となっている。
 
↑左:校舎(FAF工房)、右:石碑

ちなみに、寒別小中学校時代、中学校に母が通っていました。
また、FAF工房は表現サークルなどでお世話になっているY・N先生のお知り合いの方が経営されており、本当に世界とは狭いものですよね。
以下のURLはFAF工房のホームページです。
http://www8.plala.or.jp/FAFkoubou/

末広小学校
明治40年4月、倶知安第二尋常小学校寒泉特別教授所として開所。大正14年6月、児童数の減少により、教授所が閉鎖。やむなく、森唯市が私立寒泉修学館を起こして授業を続け、翌15年2月に教授所が復活。昭和29年4月1日、独立して末広小学校となる。昭和55年3月31日、廃校。現在、校舎の一部を残し、倉庫として活用されているようである。
 
↑左:校舎の一部(倉庫)、右:石碑

〈倶知安唯一の木造校舎の学校並びに後志管内唯一の分校〉
倶知安には現在もなお現役で活躍する木造校舎の学校、樺山分校があります(倶知安第六尋常小学校)。
倶知安町立西小学校の分校であり、昭和9年10月14日に完成した校舎が現在も使われています。
平成17年に100周年を迎え、校舎は修繕を繰り返しながら、学校に通う子ども達を温かく包んでいます。
今の時代では珍しい複式学級であり、1・2年生、3・4年生、5・6年生の3クラス編成です。
また、数年前までは汲み取り式便所でした。
毎年、7月には新緑フェスティバルという行事が行われ、バザーや野菜・果物のたたき売りなどがあり、自然で採れた野菜をふんだんに使ったカレーなども食べられます。
ちなみに、樺山分校は祖母の母校です。
 
↑左:校舎、右:校門
 
↑左:校章、右:玄関
 
↑左:廊下、右:体育館

正月、盆に次ぐ「運動会」
 木綿の筒そでになった着物にもんぺ姿で学校に通った。冬には手が出ないようなマントを羽織ってね。私はスキーがはけないものだから、あまりにふぶいた時は舟のような形の箱に乗って馬に引っ張ってもらい、道しるし(積雪や吹雪で道路が分からなくならないよう目印として立てた棒)に沿って通ったものだ。
 運動会はお祭りみたいなもの。運動会があったのは今と同じ6月。農家はいっとき落ち着くころだから、親から子供まで家族、地域みんなが集まって、お日さまが沈むまでやっていた。お正月、お盆と、この運動会くらいしか白いご飯が食べられなかった。それくらい特別な日だった。ラジオもテレビもない時代だったからね。

上記の文章は平成17年10月の倶知安町広報に載っていた記事です。
樺山分校が100周年を迎え、昭和10年卒業の女性が樺山分校(当時は倶知安第六尋常小学校)での思い出を語った記事です。
ちなみに、「昭和10年卒業の女性」とは祖母の姉なのですが(笑)。
以下のURLは樺山分校のホームページです。
http://www.hirafu.net/~kabayama/

〈現在校〉
廃校と樺山分校を紹介したため、倶知安の現在校も紹介します!
廃校を調べていた時、並行して現在校も調べました。

小学校
現在、倶知安には4校(+樺山分校)の小学校があります。
倶知安小学校は倶知安で3番目にできた小学校(倶知安第三尋常小学校)であり、僕と弟2人の母校です。
また、倶知安で最も歴史の長い学校であり、今年112周年を迎えました。
北陽小学校は父の母校であり、校舎は倶知安の学校の中で最も新しいです。
他に、東小学校、倶知安の学校の中で最も歴史が新しい西小学校があります。
 
↑左:倶知安小学校、右:北陽小学校
 
↑左:東小学校、右:西小学校

中学校
現在、倶知安には2校の中学校があります。
倶知安中学校は父の母校であり、東陵中学校は僕と弟2人の母校です。
両校共に耐震強度の問題やアスベストが見つかったりしたこと、定員割れしていることもあり、数年後には両校統合すると同時に両校共に廃校となり、新設の中学校が1校建つそうです。
母校がなくなるというのは初めてのことであり、とても寂しいです・・・。
 
↑左:倶知安中学校、右:東陵中学校

高等学校
現在、倶知安には2校の高等学校があります。
倶知安高等学校は僕と母の母校であり、現在弟2人が通っています。
他に、倶知安農業高等学校があります。
 
↑左:倶知安高等学校、右:倶知安農業高等学校

〈倶知安風土館〉
倶知安には倶知安の様々な歴史や自然を展示した倶知安風土館という博物館があります。
僕が学校の歴史を調べる時にも資料を拝見させていただくなど、とてもお世話になりました。
ぜひ、倶知安に立ち寄った際に一度は行っていただきたい場所です。
個人的なお勧めとしては数年前にニセコアンヌプリで発見された零戦の翼です。
本当にものすごい迫力があります。
以下のURLは倶知安風土館のホームページです。
http://www.town.kutchan.hokkaido.jp/town/huudokan/huudokan.jsp
 
↑左:1階に展示されている車、右:零戦の翼
 
↑左:昔の菓子屋、右:昔の呉服店
 
↑外にある展示物

〈その他〉
かつて、比羅夫に郵便局があったそうです。
その建物が数年前まで残っていました。
その建物に併設されていたのが何と父が昔暮らしていた家であり、父がその家を出た後は4年前に亡くなった祖母の姉(樺山分校の思い出を語った祖母の姉のさらに上の姉)が住んでいました。
郵便局の廃屋は亡くなった祖母の姉の家の物置として使用されていました。


〈今日から明日という未来へ〉
さて、「簡潔に」と言っていた割りにたくさん書き込んでしまいました(笑)。
再度書きますが、来年倶知安は開基120年を迎えます。
今日から明日という未来へ、新たな歴史を積んでいきます。
そして、後世に語り継がれていくことで、倶知安の歴史が深まるのです。
これからも倶知安の歴史を見届けていきたいです。
最後に、みなさん、ぜひ倶知安に遊びに来て下さい!
以下のURLは倶知安のホームページです。
http://www.town.kutchan.hokkaido.jp/index.jsp

↑サイクリングの時に撮った蝦夷地の富士


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  • 2017.11.27 Monday
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  • 06:35
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コメント
何度もおじゃまします。
中学から高校の間にこんなに郷土のことを調べていたなんて、すごいですね!
また、こんなにたくさん学校があったなんて知りませんでした。
そして校門が残されているんですね。何だかじーんときました。
写真もとてもきれいですね!
もっと大きなサイズで見てみたいと思いました。
  • やっちゃん
  • 2012/02/25 9:30 PM
Re: やっちゃんさん

ブログの拝見、ありがとうございます!
中学3年生の時、夏休みの自由研究を何にしようかと思っていたところ、たまたま小学校時代に社会の授業で使っていた「くっちゃんの町」という地元の教育委員会や教員が集結して製作した教科書を久しぶりに見つけ、中を眺めていると、やっちゃんさんのコメントにもあるように「倶知安には昔こんなに学校があったんだ・・・調べてみたい!!!」という気持ちから調べ始めました。
場所によっては普通の空き地になっていますが、校門や二宮尊徳像、校舎など残っている場所もあるため、とても歴史を感じます。
ちなみに、廃校記念碑は峠下小学校以外には全て建立されていました。
写真もまた本当はもっと大きく載せたいところなのですが、写真の枚数も多いことや容量の関係もあり、また第三者が見やすいブログを目指しているため、写真の大きさは一定の大きさ(たまに少し大きめの写真も載せていますが)としています。
ご了承下さい!
ぜひとも、今後とも遊びに来て下さい!!

ちなみに、倶知安について書いた記事は他にもあります。
高校時代まで学校の歴史を中心に調べ、今度は倶知安の歴史を調べてみたいと思い、去年様々な場所を回って調べてきました。
以下にリンクを貼りますので、ぜひともお時間のある時にご覧下さい!

http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅〜その2〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅〜その3〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅〜その4〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅〜その5〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅〜その6〜)
  • 関口泰弘
  • 2012/02/26 11:23 AM
関口さんは郷土史家のようですね。
素晴らしいです。
写真も上手です。
が、大きさの件、了解しました。
関口さんのブログはお気に入りに登録させて頂きましたので、今後もおじゃまさせて頂きます!
私も倶知安に帰った時には、いろいろなものに注目していきたいな、と思いました。
  • やっちゃん
  • 2012/02/26 10:10 PM
Re: やっちゃんさん

郷土史、本当に好きなんです!
郷土史に関する学会に関係ある方のお知り合いの方もいるので、いずれ機会があれば学会での発表などもできればと思っています。
写真も褒めていただき、とても嬉しいです!
実はリンクにもあるパフ・ファミリーという全国で活動する札幌拠点の子ども向け音楽グループと知り合いで、宣伝広告用の写真も提供したことがあり、ちょっとしたカメラマンデビューもしていたりします(笑)。
お気に入りに登録していただけたのですか!?
大感激です!!!

保育士という仕事をしている関係上、なかなか地元に帰る時間もなく、主にプライベートや自分の趣味の野球に関する話題が多いのが現状ですが、倶知安の話題も増やせるように頑張るので、ぜひとも今後ともよろしくお願い致します。
大変楽しく読ませていただきました。倶知安小学校の木造校舎の画像というのを探していてブログに行き着きましたがグングン引き込まれ一気に読んでしまいました。昭和の時代 倶知安に8年住んでいました。倶知安幼稚園 倶知安小学校にかよっていました。あの倶知安小学校の木造校舎は未だに強烈に記憶にあります。倶知安幼稚園の建物も昔のままですか?鐘撞き台に登って勝手に鐘ついたり 裏から厚生病院にいったりとやりたい放題していました。
  • うのっち
  • 2015/10/13 11:17 PM
Re: うのっちさん

半年以上も前にコメントいただいてましたのに、お返事大変遅くなってしまい、申し訳ございません…。
ブログ読んでいただき、ありがとうございます!
mixiやfacebookのように「足あと」や「いいね!」のような機能がないので、時折「果たしてブログを読んでくれている人はいるのだろうか?」と思っていましたが、読んで下さった上にコメントまでいただくことができ、本当に嬉しい限りです。

うのっちさんは昭和に倶知安にお住まいで、しかも倶知安幼稚園、倶知安小学校に通っておられたのですね!
僕もまた倶知安幼稚園、倶知安小学校出身です!!
僕が生まれた時、既に倶知安小学校は現校舎だったので木造校舎は見たことがありませんが、倶知安出身の僕の母は全校生徒30名程度の小さな小学校(巽小学校)に通っていたので、プール学習で倶知安小学校に来た時にはとにかくその校舎の大きさと雰囲気に圧倒されたと言っていました。
また、現在僕は幼稚園教諭兼保育士として働いていますが、6年前の幼稚園実習では倶知安幼稚園に卒園以来14年振りにお世話になりました。
所々修繕はされていますが、現在も倶知安幼稚園は昔のままの木造園舎です。
…ですが、近い将来、倶知安幼稚園が認定こども園となるようで、それに伴って園舎を建て替えるそうで、とても寂しく思っています。
鐘撞き台…お寺の境内にあるものですよね?
懐かしいです!
僕もさすがに鐘はつきませんでしたが、よく鐘つき台に登っていましたよ(笑)。
園舎の写真とかは載せていませんが、実習終了後にブログ書いており、良かったらご覧下さい。
http://importants.jugem.jp/?eid=26

ここ半年以上、色々忙しく、なかなかブログ更新できませんでしたが、また近々再開する予定なので、また読みにきていただけたら幸いです(^^)
4月に倶知安に行ってきました。地震直後の不安定な時期でしたが以前から予定していた旅行のため色々悩みましたがぶらりと得意の一人旅に。
出発前の夜は暑くてクーラー入れて寝てたんですが千歳につくと軽めの冬装束に。そのあと列車で札幌まで行きましたが以前と違い新さっぽろでの乗り換えを推められました。それから地下鉄で市内に。その夜は子供時代の友人とあってススキノに繰り出しました。現在 倶知安に住んでる人はほとんど居ないこと。また私が引っ越した後 あった事件で大きな事件として 同級生の親が望羊団地のこれまた同級生をつかって街の商店主や教員、pta関係者に援助交際斡旋した事件があったそうです。これは驚きました。翌日はレンタカー借りて中山峠こえて倶知安に向かいました。中山峠頂上から羊蹄山をあげいも食べながら見た時 懐かしさで思わず涙が出そうになりました。また 旧中山峠ドライブインは火事になったらしく 反対の新しいドライブインでしたが昨夜のジンギスカンにはじまり またまた食べまくりました。それから 喜茂別にくだり京極から倶知安に。途中 八幡の倶知安神宮でお参りしてから倶知安の街に入りましたが あれよあれよという間に倶知安高校のとこまで来てしまい途中の幼稚園や色々はあっという間に過ぎてしまいました。こんなに小さな街だったのかとあらためて驚きです。子供の目線や足だと結構 距離あったんですけどね。そして裏側から倶知安幼稚園に。以前は沼や雑木林あったと記憶してますが綺麗に整備されて あの懐かしい小さな園舎がぽつんとありました。休日なんで中には入れませんでしたが外から見る限り当時のままです。それから 厚生病院裏抜けて倶知安小学校に向かいました。友人から聞いてた通り 門だけは昔のままでしたが校舎は新しいものになっていました。また 学校の門の側にあった店もなくなってました。それから文化センターの蒸気機関車を見に行きましたがこれは 冬対策でシートかかられてました。そのまま 今度は旭丘にスキー場に。私たちが途中 飛び降りまくってたリフトではなく新しいリフトにかわってロッジも新しくなってました。それから 有名なねずまちこ もう亡くなったんでしょうね。昔は皆で見に行ってました。そして 父親が勤務してた倶知安駐屯地に行き 旧官舎はなくなってまして 公道から見てますと中から人が出てきました。ここでおきまりの職務質問というか いろいろ聞かれ公道上から見たり写真とるのは自由なはずやけど 禁止されてると言い張るので押し問答に。正直 頭突き一撃で終わるような連中ですので と思いましたがせっかくの旅行が台無しになるのでそのまま帰りました。その後は1軒だけいる同級生の家に行って昔 住んでた当たりを散策しましたがまるっきり浦島太郎状態でした。帰りは京極道路で一気に吹き出しにいって 吹き出しを散策しそれから喜茂別抜けて中山峠に。そこで仮眠して下って黄金温泉にいってアイヌ記念館を見学し札幌に戻りました。駆け足の倶知安再訪でしたが40年も前と今ではまるっきり街が変ってるんで驚きというか浦島太郎状態でした。風土記館にも行きましたが小学校の写真はなくて帰った後、役場にお願いしたらスキャンした画像を何枚か送ってくださいました。ちょうど壊す前の写真で周囲の木は無くて寂しげな校舎でした。築が昭和8年ぐらいなんで築60年近い木造校舎だったんですね。私が通ってた時は築40年以上ですがやはり積雪地の為 風化もはげしかったんだと思います。以上 倶知安旅行記でした。
  • うのっち
  • 2016/06/05 7:25 PM
Re: うのっちさん

40年振りに倶知安を訪れたのですね!
僕は40年前の倶知安を知りませんが、ほんの数ヶ月振りに倶知安へ帰ってもあった建物がなくなっていたり、新しい建物が建っていたりするので、それが40年の時を経たとなるとさぞかし変わっていたことでしょうね。
久しぶりの倶知安をたくさん堪能されたようで、良かったです(^^)
貴重な旅行記、たくさんありがとうございました!
とても楽しく読ませていただきました!!
僕もまた倶知安に帰省した暁には旅行記をブログに載せていきたいと思っていますので、その時はまた拝見いただけたら幸いです(^^)
小学校の記念誌があるようです。役場の学校教育課にあります。そういえば 私が居た時は富士見や八幡の小学校がまだあった時期でした。
来月はお祭りですよね 倶知安の。帰省されますか?
  • うのっち
  • 2016/06/07 9:28 AM
Re: うのっちさん

小学校の閉校記念誌や周年記念誌などは風土館にもあり、僕も何度も見せていただいたことがあります。
八幡小学校や富士見小学校は1984年3月に閉校しています。
同じ年に閉校した巽小学校に僕の母が通っていました。
中学・高校時代に町内の学校を調べて冊子を作り、風土館に寄付したこともあります(一昨年の年末に風土館へ足を運んだ時点では展示されていました)。

ところで、お祭りとはじゃが祭りのことでしょうか?
それであれば毎年8月に行われており、今年は8月6〜7日のようです。
恐らく最後にじゃが祭りに行ったのは専門学校の時以来で、ここ数年はご無沙汰です・・・。
毎日 30度超えで蒸し焼きになりかけてます。次は金毘羅祭りぐらいに行こうかと考えてます。
今年は猛暑で10月も多分 九州は半袖クールビズです。今度は倶知安に一泊したいのと車はどっかとめて自転車でまわってみたいです。
  • うのっち
  • 2016/07/06 2:17 AM
旧青木農場について調べていて、関口さんのブログに行きあたりました。青木利一についての資料を探しています。
  • ろくさん
  • 2016/08/09 7:52 PM
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