<< 2015年度運動会 | main | 1年振りの激盛り海鮮丼 >>

祖母の四十九日

先月8日、祖母の四十九日の法要がありました。

**********
ちょうど3ヶ月前の今日、つまり5月21日、最愛の祖母が他界しました。
享年91歳、老衰でした。
僕が生まれた時、既に母方の祖父母は他界しており、父方にも祖父はおらず、5月に亡くなった父方の祖母がたった1人の祖母であり、僕は兄弟、従姉弟を含めた孫の中で最もおばあちゃんっ子でした。
母の話だと僕が既に2歳の時、当時倶知安で一人暮らしをしていた祖母の自宅に泊まりに行ったほどだったそうです(結局、夜泣きして実家に戻ったそうですが 笑)。
僕が幼稚園に年中から入園した1995年、当時まだ週休2日制ではなく、幼稚園のなかった第2・4土曜日の前日(金曜日)に祖母の自宅に泊まりに行き、一泊して帰ってくるのが恒例行事となり、当時僕の一番の楽しみでもありました。
祖母の自宅に泊まりに行ったある日、祖母が作る夕食が美味しく、つい僕は何度もおかわりし、祖母は僕が食べたいだけ食べさせてくれ、結果的に食べ過ぎでお腹を壊してしまったことがありました。
急遽、父が迎えに来て、僕が悪いのに祖母が父に叱られ、それに加えて僕は普通に立って歩けるのに「歩けない…」と言い、祖母は腰が痛いのに重たい僕をおぶって父の車まで連れて行ってくれました。
その当時は冬で、僕が重いがために祖母が何度も雪に手をつきながら、父の車まで連れて行ってくれたのを今でも鮮明に覚えています。
その後、僕が幼稚園の年長だった1996年、祖母は早くに奥さんを亡くされた、かつて父と一緒に仕事をしたことがあった方(通称:喜茂別のおじさん)の自宅へ同居することになり、喜茂別へ移り住みました。
小学校入学後にも幼稚園時代同様、夏休みや冬休みには祖母の住む喜茂別のおじさんの自宅へ泊まりに行くのが毎年恒例行事となりました。

月日は流れ、僕が小学4年生となった2000年、祖母が係りつけの病院などの都合で再び倶知安へ戻ることになり、かつて祖母が一人暮らししていた自宅は既に人手に渡っていたため、実家で同居することになりました。
大好きな祖母との夢にまで見た同居生活、本当に嬉しかったのを今でも忘れません。
この生活は僕が高校1〜2年生頃(2006〜2007年頃)まで続きました。
その後、祖母が伯母(父の姉)の自宅(洞爺湖)へ移り住むことになりました。
祖母と毎日会えなくなるのは少し寂しかったですが、祖母が元気でさえいてくれればそれで良しと思っていました。
しかしながら、2010年、祖母が1人で洞爺湖の町中へ出かけた際、めまいを起こして倒れ、救急車で町内の病院へ運ばれ、入院生活を送ったことがありました(入院原因は転倒時の骨折)。
退院以降、趣味だった畑仕事もしなくなり、町中へ出かけることもなくなりました。
それでも祖母は徐々に歳を重ねつつも元気で過ごしており、2012年4月には2つ下の弟を除き、両親、4つ下の弟、伯母とともに祖母の米寿祝いもしました。
祖母が元気でいてくれることに安心していた一昨年10月、伯母が脳梗塞で倒れてしまい、以後祖母は訪問介護やデイサービスを利用しつつ引き続き洞爺湖で暮らすことになり、この年の年末に僕は父と一緒に洞爺湖へ行き、祖母の手を引きながら年末年始の買い出しに出かけたり、温泉へも連れていきました。
それから間もなく、祖母は味覚障害のようなものが起きて年末年始の数日をほとんど飲まず食わずの状態で過ごしてしまい、昨年の年始に両親が祖母の様子を見に行った際には栄養失調を起こしており、即入院となりました。
退院後、祖母の年齢ややはり一人暮らしは心配ということもあり、昨年2月に8〜9年振りに再び実家へ戻ってきました。
両親ともに仕事をしていることもあり、デイサービスやショートステイも利用しながらの同居でした。
僕が久しぶりに実家で祖母との時間をともにしたのは5月のゴールデンウィークに帰省した時で、元気そうで何よりだったことを覚えています。
3ヶ月後の8月にはもう何年振りになるのか分からないほど久しぶりに両親、祖母、2つ下の弟、4つ下の弟と家族6人全員で揃うことができ、さらに両親が数え年で還暦並びに銀婚式、祖母が卒寿、僕達男3兄弟の一番下の弟が二十歳を迎えて兄弟全員が無事成人するなどの節目が重なり、4つの節目を6人全員で祝うことができ、最初に祖母が実家に同居することになった2000年以来15年振りに家族写真を撮影することもできました(結果的に6人全員揃っての家族写真はこの時が最後となりました・・・)。
また、寺参りや墓参りにも祖母と一緒に行きましたが、これも昨年が最後となりました・・・。

祖母の元気な姿に安心し、お盆休みを終え、僕は札幌へ戻りましたが、それから間もなく祖母は肺に水が溜まって入院し、退院後に今度は再び味覚障害や食道狭窄で食事が摂れなくなって再入院し、しばらく病院での生活を余儀なくされることになり、年末年始も病院で過ごしました。
僕は昨年12月29日〜今年1月2日の5日間、実家へ帰省しました。
上記の通り、祖母は病院での生活を送っており、僕は帰省中の5日間毎日病院へ通い、祖母に会ってきました。
祖母は流動食ですが食べれるようになって元気だったので安心しつつ、ほんの5〜10分くらい何気ない話を一言二言話したのみでしたが、今となってはとてもかけがえのない時間でした。
なぜか毎日会いに行きたくなり、欠かさず行きました。
そのため、ここ数年祖母と会うのは年に2〜3回でしたが、実に年末年始だけで5回も会うことができました。
今思えば虫の知らせだったのかもしれません・・・。
その後、祖母は1月末に普通のごはんが食べられるようになったことで退院し、2月から老人ホームへ入所して以降は普通のおかずまでも食べられるまでに回復したということを母との電話の中で聞き、まだまだ生きてくれるものだと思っていました。
ところが、ある理由から僕はゴールデンウィークに倶知安へ帰省することになり、ゴールデンウィーク直前に母に倶知安へ帰省する旨を伝えるために電話をかけたところ、母から「実はおばあちゃんが1ヶ月近く食事摂れてなくて、あまり体調が良くないんだ・・・」という話を聞きました。
そして、僕は5月4日に倶知安へ帰省し、翌5日に母と一緒に祖母のお見舞いに行ってきました。
4月10日に祖母は誕生日を迎えて90歳となり、僕は手作りの誕生日カードを祖母にプレゼントしました。
祖母はとても褒め上手で、今までどんなに下手でも「上手だね!」と必ず褒めてくれました。
しかしながら、祖母は誕生日カードを手に取ってもそれを無言でじっと眺めるのみで、相当体調が良くないことが伺えました。
老人ホームの医師の方との話し合いの末、この日のうちに祖母は病院へ移り、三度入院することになりました。
昨年、一時食事が摂れなくなった時も病院へ入院したことで普通食を食べられるまでに回復したこともあったため、普通食とまではいかなくてもまた少しは食事を摂れるように回復するものだと信じていました。
それから僅か1週間後、祖母は意識レベルが低下してほぼ眠ったままとなり、最期は両親と4つ下の弟に看取られ、5月21日3時59分に亡くなりました。
僕が祖母の亡骸を見たのは翌22日のことで、半ば現実逃避をしていた僕にとっては本当にショックが大きく、まともに食事が喉を通らず、告別式のあった24日は最後のお別れでも、火葬場でも、実家へ戻っても、札幌へ戻ってもとにかく涙が止まりませんでした・・・。

幼稚園時代、僕は祖母に「おばあちゃんは何歳まで生きたいの?」と聞いたことがありました。
祖母は「やっちゃん(僕)が高校生になるまで生きれたらいいかな」と言っていました。
しかしながら、祖母は僕の高校入学どころか、僕達3兄弟全員が成人するまで元気でいてくれました。
僕の誕生日は5月25日です。
個人的には願わくば僕の誕生日まで生きて欲しいという気持ちがとても強かったですが、残念ながら僕の誕生日の4日前に亡くなってしまいました。
本当に残念でなりませんでしたが、僕はある物凄いことに気がついたのです。
祖母が亡くなったのは上記の通りで5月21日3時59分のことでしたが、この数字を一文字ずつ足すと、5+2+1+3+5+9=「25」・・・。
上記の通り、僕の誕生日は25日、しかも僕は今年で25歳になりました。
これはきっと祖母が僕に遺してくれた最期のメッセージだったのだと僕は信じています。

孫思いで心優しい祖母が僕は小さい頃から本当に大好きでした。
僕は祖母の孫で本当に幸せでした・・・。
**********

四十九日の前日の7日、2つ下の弟が車で僕の職場まで迎えに来てくれ、実家へ帰省しました。
祖母の葬式の時以来に家族と再会し、本当に時の流れとは早いものだとしみじみ思っていました。
夕食を食べ終え、父と弟2人と一緒に何気なくテレビを見ている時、不思議な出来事が起こりました。
僕の後ろをかすかな風が吹き、床を踏みしめる音が聞こえたのです。
僕が背を向けていたのは洋服タンスがある部屋なので、誰かが僕の後ろを通り、風呂に入るのに下着でも取りに行ったものだと思っていました。
ところが、改めて周りを見渡すと父も弟2人もテレビを見ており、母も台所で洗い物をしていました。
「あれっ?」と思い、母に話したところ、奇しくも僕が座っていたのは生前祖母が座っていた場所(祖母のイスがあった場所)だったらしく、きっと祖母が僕に歩み寄ってくれたのだと確信しました。
このような不思議な体験は人生で初めてだったので、本当に何とも言えない気持ちでしたが、とても嬉しかったのを覚えています。
翌8日、ついに迎えた四十九日は両親や弟2人に加え、伯母(父の姉)や母方の伯父(母の兄)も駆けつけてくれ、法要、納骨を無事に終えることができました。
伯父は午後から仕事があって帰宅しましたが、伯母も含めて久しぶりにみんなで食卓を囲んで食べた食事(仕出し)は本当に美味しかったです。
そして、何より晴天に恵まれた中で四十九日を行うことができ、本当に良かったです。



実家で法要を終えた後、ご院所さんが説法して下さった際に紹介していたお言葉がとても印象的でした。
「今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である」
僕にとって祖母の死は「二度と立ち直れないかもしれない・・・」と一時本気で思うほどの出来事で、人生で最も訪れて欲しくなかった出来事と言っても過言ではありませんでした。
時間の流れとともに立ち直ることはできましたが、今でも時折ふとした瞬間にどうしようもなく寂しくなることもあります。
しかしながら、生きている限り、後ろへ戻ることはできず、常に前へ進んでいかなければなりません。
祖母が生きられなかった1日を今後の人生も1日でも多く生きていきたいと思います。


スポンサーサイト

  • 2017.11.25 Saturday
  • -
  • 23:47
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック
calendar
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
PR
selected entries
categories
archives
recent comment
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM