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  • 2016.08.05 Friday
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倶知安町のんびり旅【その3】

去る5月15日、冬休み以来に地元・倶知安へ帰省しました。
それは17日に運転免許更新の講習があり、僕の住民票はまだ倶知安のままのため、倶知安で講習を受けるために帰省してきました。
運転免許を取得して早3年・・・。
運転免許取得後、専門学校へ通うために倶知安から札幌へ移住したことから、ペーパードライバーでもありませんが、そんなに数多く運転しないまま現在に至っています。

ところで、運転免許の講習が終わったらすぐに札幌へ戻ろうと思っていましたが、冬休み以来の倶知安、さらに札幌−倶知安間のそれほど安くない交通費がネックとなってなかなか帰る暇のない倶知安でやりたいことも様々あり、結局22日までの1週間倶知安にいました。
その間、久しぶりに車や自転車で倶知安の様々な史跡巡りや自然巡りをしてきました。
今回、行ってきたところを紹介していきます。

〈東陵中学校近辺の自然〉
最初に、東陵中学校は僕のプロフィールにもあるように、僕が通っていた中学校です。
その近くに様々な花、谷地には水芭蕉やヤチブキの花が咲いていました。
 
 


〈伊井化学工場〉
伊井化学工場は「倶知安町のんびり旅【その2】」でも書いた通り、道内唯一のオブラート製造メーカーです。
現在、日本にはオブラート製造工場が5つしかなく、伊井化学工場はその5つのうちの1つであり、オブラート製造量は日本一です。
「伊井オブラート」というのをみなさん見聞きしたことや使ったことはありませんか?
結構有名です。
また、僕が小学4年生の時、社会の授業で伊井化学工場の職員の方が小学校に来て話を聞かせて下さり、色々なオブラート(市販されているオブラートや製品加工する前の大きい正方形状のオブラートなど)を見せて下さり、今思えばとても貴重な体験だったと思います。
その後、「オブラートを作って明日持って来ましょう」という宿題が出され、放課後に何人かで友達の家に集まり、試行錯誤しながらオブラートを作りました。
最初、でんぷんに冷水を入れて何度かき混ぜても水とでんぷんが分離し、どうしたらいいのか分からずにみんなで考えていたところ、友達のお母さんがぬるま湯を使ってでんぷんが固まったものを作って下さり、冷水ではなく温かいお湯を使うことででんぷんが固まるということを知り、各自帰宅してオブラートを作りました。
個人的にあみ出したオブラートの作り方はラップにでんぷんがき(でんぷんに熱湯を入れ、透明状の液体になったもの)を薄く塗り、それを乾かし、乾いたものを剥がすと出来上がりです。
ちなみに、上記したようにオブラートの原料はでんぷんであり、父がでんぷん工場で働いているため、でんぷんは僕が持参し、先生も含め、クラス全員に配ったように記憶しています。
特に小学生の時など、「何か自分が活躍したい!自分が!!」という気持、みなさんもありませんでしたか?
オブラートの原料がでんぷんということも父の仕事柄、クラスでは唯一僕だけが知っており、でんぷんやオブラートに関する授業をやっている時、先生に質問されたことに答えられたのはほとんど僕だけであり、僕はヒーローあるいはもう1人の先生的な感覚でした。
とても楽しかったのを覚えています。
また、伊井化学工場の近く、下記の旭ヶ丘公園の近くに伊井化学工場の創設者・伊井億右衛門の像があります。
 
↑左:伊井化学工場、右:「伊井億右衛門翁之像」

〈二世古酒造〉
上記の伊井化学工場の近くにある、大正5年創業の酒屋です。
僕はそれほどお酒を飲むわけでもなく(2ヶ月に1〜2回飲むか飲まないか)、強くもないため、二世古酒造のお酒を飲んだことはありませんが、とても美味しいという評判を幾度も耳にしたことがあります。
また、倶知安によしのみサンクスというサンクスがありますが、そのサンクス限定で二世古酒造のお酒が販売されています。
お酒をそれほど飲まない僕が言ってもあまり説得力ありませんが、お酒好きの方には二世古酒造のお酒をお勧めします!
詳しくは二世古酒造のホームページをご覧下さい。
http://www.nisekoshuzo.com/

↑二世古酒造

〈旭ヶ丘公園〉
旭ヶ丘公園は去年のゴールデンウィークにも行ってきた公園です。
去年は公園内の石碑を単に写真に撮ってきただけであり、その石碑がどのような理由の下に建立されたのか、石碑に書かれている由来や歴史までには目を配っていませんでしたので、今回さらに深く石碑が建立された理由や倶知安の歴史を深く追求してみたくなり、旭ヶ丘公園を訪ねました。

包丁塚
旭ヶ丘公園の入り口の前に北海道日本料理研究会・倶知安支部創立10周年、社団法人 北海道全調理師会・倶知安支部創立20周年を記念して建立された石碑があります。
碑文が書かれていましたがかなり崩された行書で書かれており、恥ずかしながら僕には読めませんでした。

↑「包丁塚」

旭ヶ丘公園の石碑【その1】
旭ヶ丘公園の入り口に旭ヶ丘公園を示す石碑があります。
昭和11年9月、竹中喜三郎、卯尾治三郎によって建立されたものです。

↑「旭ヶ丘公園」

倶知安町開基50周年記念碑
倶知安町開基50周年を記念し、開拓者の業績を讃え、昭和16年に石碑が建立されました。
碑文が書かれていますが、だいぶ荒れており、読めない部分もありました。

↑「開基記念」

原和一の短歌
下記の短歌は原始林同人・原和一が詠んだ詩です。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます(一部解読不明あり)。

↑短歌「一すぢの太きけむりを立たせつつ 豆からをやく風いでぬまに」

■碑文■
原始林同人
 原 和一略歴

明治三十五年八月七日 山梨県に生る
昭和二十九年倶知安 短歌会を創る
昭和三十二年北海道歌人会委員
昭和四十六年妻松原 葉と歌集「やまかげ」を出版する

※やまかげに載っている、松原葉氏の詩が書かれていますが、行書で書かれており、一部解読不明でした。

昭和四十八年八幡音頭を作詩する
昭和五十年倶知安町教育文化功労賞を受く

昭和六十年五月吉日
 建立 倶知安町文化協会
  主管 倶知安短歌会

旭ヶ丘公園の石碑【その2】
旭ヶ丘公園の入り口とはまた別の場所にあります。
こちらは大正14年9月に建立されました。

↑「旭ヶ岡公園」

廃屋の神社
十和田三十三観音が奉納されたと思われる廃屋の神社(旭ヶ丘公園内に西国三十三霊地を巡拝できない人々のために大正12年に建立された三十三観音像があります)が旭ヶ丘公園内にあります。
 

出雲六社画冥王掌大神
大正15年10月15日に建立された石碑です。

↑「出雲六社画冥王掌大神」

石塔
何の石塔かは詳細不明です。


石川啄木の短歌
詳しくは「倶知安町のんびり旅【その2】」を参照のこと。

↑短歌「馬鈴薯の花咲く頃となれりけり 君もこの花を好きたまふらむ」

〈倶知安駅前〉
石川啄木の短歌

倶知安駅前に石川啄木の短歌が書かれた石碑があります。
この短歌は啄木が倶知安駅を通った時に詠んだ短歌です。
ちなみに、旭ヶ丘公園にある啄木の短歌とはまた別の短歌です。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:短歌「真夜中の倶知安駅に女の鬢の古き痍あと」、右:碑文

■碑文■
 石川啄木が函館から小樽に向かう列車で、真夜中の倶知安駅を通ったのは、明治四十年(一九〇七)九月十四日の午前一時過ぎである。
 啄木はこの時の印象を短歌に詠んで、歌集「一握の砂」(明治四十三年十二月)に収めた。
 鬢(頭の左右側面の髪)に古い痍あとのある女は、実景であったのか、それとも真夜中の倶知安駅のイメージにふさわしいものとして、あるいは職を求めて旅するみずからの心象として、創り出したものであったのかは、定かではない。
 当時の倶知安村は開墾が始まって十五年たったばかりであった。
 駅前通りはようやく開通したものの、電灯はともっていなかった。
 この夜駅を降りた人たちの見上げた空は、王者の象徴・農耕の星として親しまれてきた〈すばる〉が輝くまでには、まだすこしの間があった。

タイムカプセル
石川啄木の短歌が書かれた石碑の隣にタイムカプセルだと思われる石碑があります。

↑「『2091年へのメッセージ』 1993.8.7 倶知安町」

倶知安の未来へ
石川啄木の短歌の碑文に書かれていることにもつながってきますが、農耕の星として親しまれてきた昴に関する像が倶知安駅前にあります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑すばるの像

■碑文■
 昴(すばる)は、銀河星団プレアテスの和名で、肉眼で6個見えるところから、連星(むつらぼし)ともいわれ、古くから王者の象徴、農耕の星として親しまれてきました。「すばるの像」は、開拓の鍬が入って100年、農業を基盤とし後志の中心として発展してきた倶知安町の未来の平和と繁栄を、天の川に遊び躍動する6人の子供の像にシンボライズしたものです。

平成5年8月 倶知安町

日本一の水
すばるの像の近くに倶知安のイメージキャラクター・ジャガ太くんの形をした水飲み場があります。
この水飲み場で出ている水は羊蹄山の麓から湧き出ている水です。
とても美味しいです!
詳しくは水飲み場について書かれた説明文を以って代えさせていただきます。
ちなみに、国際都市倶知安ならではですが、水飲み場について書かれた説明文は表は日本語、裏は英語で書かれています。

↑水のみ場と左記について書かれた説明文

■説明文(表)■
この水は羊蹄山(えぞ富士)の麓から湧出するおいしい水です
四季を通して変わらない水温でまろやかな味わいは「日本一の水」といわれています

倶知安町のキャラクター「ジャガ太くん」
特産品のじゃがいも・雪の羊蹄山・スキーのまち
そして躍進する くっちゃん を表しています

■説明文(裏)■
THIS WATER, WHICH WE BELIEVE THE BEST WATER IN JAPAN, COMES FROM MT. YOTEI.

PLEASE TRY SOME WITH HIGH REGARD FOR MT. YOTEI, HEAY SNOW, AND OUR PEOPLE WHO BROUGHT THE WATER TO US.

〈半月湖畔自然公園〉
半月湖畔自然公園は羊蹄山の麓にある公園です。
個人的には小学5年生の時に遠足で行きました。
僕の通っていた倶知安小学校から歩いて片道8キロ近くあり、翌日の筋肉痛が半端なかったのを覚えています。
今回、小学5年生以来、ちょうど10年振りに行きました。
 
↑左:公園の案内板、右:石碑(石碑に何も文字が書かれていないため、詳細不明)
 
↑左:便所(シャレた立派な建物ですが便所です 笑)、右:あずまや(休憩場)

半月湖
半月湖は公園名にもあるように半月湖畔自然公園内にある湖です。
天気が良ければ半月湖に羊蹄山がキレイに映り、逆さ富士ならぬ逆さ蝦夷富士が見られるのですが、この日はあいにくの曇りでした。
詳しくは半月湖について書かれた説明文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:半月湖について書かれた説明文、右:半月湖

■説明文■
半月湖

 半月湖(海抜270m)は、約1万年前の沖積世に羊蹄山の火山活動で生じた爆裂火口に水がたまり出来たもので、火口内の片側に溶岩円頂が形成されているため、現在のような三日月型になりました。
 周囲の森林にはクマゲラ・アオバト・ソグミ等たくさんの野鳥やエゾリス・シラネアオイ・エンレイソウ等の花が咲き始め、自生するコブシやヤマザクラ等の樹木のシロやピンクの花がミズナラの新緑に映え、見事な景観となります。
 また、秋には色とりどりの紅葉が楽しめます。

後志支庁 後志森づくりセンター

羊蹄山
半月湖畔自然公園は上記したように羊蹄山の麓にある公園のため、羊蹄山登山口に直結しており、少しだけ羊蹄山を歩きました。
また、大正10年3月3日に半月湖周辺から登山道周辺の高山植物帯が天然記念物に指定され、その記念碑が昭和40年11月20日に建立され、羊蹄山登山口近くにあります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:羊蹄山登山口に立っている看板、右:休憩場
 
↑左:「天然記念物後方羊蹄山の盪蛙∧帯」、右:碑文

■碑文■
一 名称 天然記念物後方羊蹄山の高山植物帯
二 指定年月日 大正十年三月三日
三 説明事項
 後方羊蹄山(一八九三メートル)の山麓かつ無立木地帯に至る倶知安登山道路の左右約四百五十メートル及び高山帯の無立木地の全部について指定されている
 森林地帯かつ無立木地帯までの植物の垂直分布また無立木地帯(頂上部)はエゾノツガザクラ イワイチョウをはじめ各種の高山植物に富んでいる
四 注意事項 一 許可なく指定地域内の植物を採取してはならない
 二 許可なく指定地域内に立ち入ってはならない
 三 火気の使用に注意のこと
 四 前項に違反したもの及び植物の生育に支障を与える行為をしたものは文化戝保護法により罰せられる

高山植物
半月湖、羊蹄山周辺を歩いた時、天然記念物に指定されている高山植物帯の植物をたくさん見てきました。
 
 
 
 
 

〈峠下遺跡〉
倶知安には様々な遺跡があり、峠下遺跡はそのうちの1つです。
峠下遺跡を始め、倶知安にある様々な遺跡から土器や石器が見つかっており、それらは倶知安の博物館・倶知安風土館(後述参照)に展示されています。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑「峠下遺跡」

■碑文■
 昭和33年峠下小学校児童が西北方300mの広鸞翆呂農亟鑪爐鯢縮椋亮茵当時の藤原通磨校長の努力により町遺跡発掘調査委員会が発足、34年7月名取武光北大助教授によって発掘された結果、縄文文化、無土器文化の石器であることが確認された。
 当町には倶知安神社境内・大仏寺周辺等で土・石器類が表面採取されているがこのことは知り別側が往昔大河であり採取地が堤防であったことを裏付けるものであろう。

昭和48年11月3日
倶知安町文化財保護調査委員会委員長 上野留蔵

〈豊穣の里〉
倶知安町開基120周年」でも書きましたが、倶知安北部の農業史が書かれた石碑、倶知安で一番最初に米作りに成功した青木利一の功績を讃えた石碑、旧青木農場記念樹、倶知安北部開基100周年を記念した石碑が瑞穂の地にあります。
旭ヶ丘公園同様、石碑が建立された理由や倶知安の歴史を深く追求してみたくなり、この地を訪ねました。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

倶知安北部の農業史

↑「豊穣の礎」

■碑文■
碑文

北海道開拓の初期、明治二十八年、先人は、熊笹の茂った原生の此の地に開墾の鍬を打ち下ろした。幾多の試練に耐えながら幾星霜…大正八年、西六号北五線のこの地で、ポンクトサン川の水を利用して、約七反の水田より約二石(五俵)の米の収穫を得た。翌大正九年、水田期成同盟会が設立され、同十年倶知安土功組合設立認可申請書の提出に至り、灌漑工事、造田事業が急速に進み、黄金の稲穂が波打つ美田が眺望される様になった。
以来半世紀、営々と稲作農業に励んで来たが、昭和四十年代に入り、水田経営の合理化と、農業経営を目指す近代的機械化農業への転換に意欲を燃やし、その基盤の確立と、更に五十数年を経た用水路の保全も不可能に近い状態になっているのを機に、道営圃場整備事業の気運が盛り上がり、促進期成会の設立を見た。時折りしも国の農業政策は転換期を迎え、水田の休耕転作等が要求される時でもあり田畑輪換農業をも夢見ていた。
詳細な設計を経て、昭和五十五年九月三日晴れて起工式の運びとなり夢の事業が進められた。北海道庁、開発建設部、後志支庁、土木現業所、倶知安町、倶知安土地改良区、倶知安農協等の各関係機関の協力指導の下に、関係者一致協力して、大型の圃場、灌漑排水施設のトラフ装工、前兆五十二メートルの水管橋、地区内町道の全舗装幹支線農道の完備等、隔世の感がある姿に生れ変り、併せて換地事業で農地利用の集団化も図られ、当事業の完遂を迎えたのである。
米の減反政策、水田利用再編成対策等幾多の変遷と困難を克服し、八ヶ年の歳月を経ての竣工を祝い、改めて諸関係機関に深く感謝し、ここに記念の碑を建立し、後世に、之を伝えるものである。
 昭和六十二年十一月十三日
 倶知安北部地区道営圃場整備期成会

 概要
 参加戸数 四十五戸
 工事面積 百四十ヘクタール
 総工事額 十三億四千百万円

水稲発祥の地

↑「米が稔った郷」

■碑文■
 明治32年水田を墾成し宮脇富担任の下に水稲の試作を始め両三年継続せしも好果を見ずして止む―山陰移住会社社誌
明治39年山陰移住会社解散後の一部を継いだ青木利一(岐阜県出身)はポンクトサン川から、かんがいし人との嘲笑を背に米づくりに傾注、43年に初めて米を稔らせて倶知安農業史に輝しい一夏を印した。
倶知安米のふる里、初めて米が稔った郷このあたりを今瑞穂と言う。

明治48年11月3日
倶知安町文化財保護調査委員会委員長 上野留蔵

旧青木農場記念樹
明治39年5月、青木農場開設時に植樹された記念樹です。
 


倶知安北部開基100周年記念碑

↑「翔け未来へ豊穣の里」

■碑文■
北部開基百年碑誌

 この地の開墾は明治二十八年六月二十三日山陰移住会社(島根県)二十戸の入植に始まる。すでに徳島県などから入地していた北五線以南の人たちとともに、熊笹地を覆い、巨樹密生する中、よく艱難辛苦、風雪に耐え、食糧不足に悩みながら睡眠を惜しんで努め、冷水害克服して、一致協力、良圃美田の里を創営した。
 今や豊穂連なり、じゃがいも稔るこの里は、羊蹄山・ニセコ連邦よりの青嵐薫って、余慶きわまりない。
 ここに開基百年の歴史をたどり、郷土創成の不朽の偉功を替え更に限りない未来への豊かな繁栄を、子孫に嘱するものである。

平成六年八月十四日
倶知安町長 宮下雄一郎

〈山陰移住会社跡地〉
豊穣の里から車で30秒ほどの場所にあります。
この地は島根県からの移住者を倶知安に入植させた山陰移住会社跡地であり、昭和19年に石碑が建立されました。

↑「開拓五十週年記念」

〈役場発祥の地〉
八幡の地に役場発祥の地があります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:「倶知安町は此処から創る」、右:碑文


■碑文■
明治29年4月25日 倶知安村戸長役場設置
明治29年9月11日 倶知安(現八幡)小学校創立
これに加えて巡査駐在所等創建時行政教育保安等の中心地であった

初代戸長 大井幹雄
初代校長 上田甚助
昭和47年11月3日 倶知安町

〈倶知安神社〉
尊農開基
倶知安神社の入り口に倶知安土功組合設立50周年、倶知安土地改良区改組20周年を記念した石碑が建立されています。

↑「尊農開基」

学校発祥の地
現在、倶知安神社となっているこの地に明治29年9月11日、倶知安最初の(小)学校・倶知安尋常小学校(のちの八幡小学校。昭和59年3月31日、廃校)が開校し、明治43年12月25日に上記の倶知安村戸長役場跡地に移転しました。
ここへは去年の秋にも行きました。
詳しくは「幼稚園ボランティア」を参照のこと。

↑「倶知安、小学校 発祥旧跡地」

〈旧倶知安の穀倉地帯〉
倶知安神社の向かいに倶知安西部の農業史が書かれた石碑があります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑「豊水沃土」

■碑文■
碑文

 北海道開拓の初期、明治二十五年先人は熊笹の茂った、この八幡の地に初めて開墾の鍬を打ち下ろした。
 大正十一年、土工組合発足と同時に始まった稲作は、人々の旺盛な開拓精神によって実を結び、黄金の稲穂が波打つ美田が眺望され、倶知安の穀倉地帯と呼ばれるに至った。
 その間、昭和四十年代に入ると、水田経営の合理化と農業経営の安定を目指す近代機械化農業への転換に意欲を燃やし、増原を実現した。
 昭和四十五年、時折しも国の農業政策が転換期を迎え、水田の休耕・転作等が求められており、一方田畑輸換農業をも待望していた折り、それまでの用水路の保全及び供給が不可能な状態になったのを機に、道営圃場整備事業の機運が盛り上がった。
 その後、詳細な計画を経て昭和五十年七月、晴れて機工の運びとなり待望の事業が進められ各関係機関の協力、指導の下に大型の圃場灌漑用排水トラフの装工農道の整備、舗装工事を完成させ、総合的土地改良事業を完遂したのである。
 その間、米の減反政策、水田利用の再編成対策等幾多の変遷と困難を克服して十三年の歳月を費やしての竣工を祝い、ここに記念の碑を建立し、後世に之を伝えるものである。

昭和六十三年十一月四日
倶知安町西部地区道営圃場整備事業期成会

概要
参加戸数 五十八戸
工事面積 二百三十ヘクタール
工事総額 二十八億七千九百万円

〈レルヒ公園〉
小さい頃から何度も遊びに行き、去年のゴールデンウィークにも旭ヶ丘公園へ行く前に立ち寄ったレルヒ公園。
今回も訪ねました。
理由は上記でも語っているように、倶知安の歴史を深く知るためです。
ここでも碑文を引用しながら説明を・・・と思ったのですが、札幌の自宅へ戻ってから知りましたが、何と旭ヶ丘公園にもレルヒ中佐について語られた石碑があるみたいなのです!
もっと早く知っていれば・・・(泣)。
というわけで、次回倶知安に帰省した時、旭ヶ丘公園にあるレルヒ中佐の石碑も含めて一緒に歴史を語りたいので、今回は写真のみの掲載とします。

↑「レルヒ中佐之像」

〈さくら公園〉
さくら公園はレルヒ公園から自転車で3分ほどのところにある公園であり、この公園から少し離れた倶知安橋の近くが倶知安開拓者入植跡地、ゆえに倶知安開基の場所とされています。
個人的には小学校時代、時々遊びに行った公園です。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。

↑「倶知あ草分けの地」

■碑文■
 原始林に覆われた倶知安原野に明治25年5月、仁木宇蔵氏を先達とした一行16名が入地、クトサン川筋(ここから南約400m)の猟小屋にたどりつき一夜を明かし翌日から開墾の鍬入れを行った。
 その後開拓が進むにつれこの猟小屋の跡に公設の駅逓が置かれ、この管理人として赴任したのが宮脇胤意氏(のち初代倶知安町長)であった。

昭和50年11月3日
倶知安町文化財保護調査委員会
委員長 上野留蔵

〈六郷鉄道記念公園〉
六郷鉄道記念公園(通称:六郷公園、鉄道公園)には特に幼稚園に入園する前に母と弟とよく行っていました。
実家から自転車で5分ほどであり、僕の通っていた東陵中学校の近くにあります。
また、この公園はかつて六郷駅(昭和61年10月31日に廃止となった胆振線の駅)でした。
現在、胆振線が存在した頃に活躍した汽車が展示されており、公園名にもあるように六郷鉄道記念公園となっています。
また、今は施錠されていて入れませんが、僕が小さい頃は汽車の中に入って客車のイスに座ったりなどしてよく遊んだものです。
ちなみに、「東陵中学校周辺の自然」の項目に載せた5枚目の写真、みなさん最初は「単なる道」と思ったことでしょう。
確かに今は単なる道ですが、胆振線が存在した頃はこの道に線路が通っていたそうです。
本当に歴史は深いですよね。
公園並びに胆振線などについて、詳しくは公園について書かれた説明文、胆振線の歴史について書かれた碑文を以って代えさせていただきます。

↑公園について書かれた説明文

■説明文■
六郷鉄道記念公園

後志と胆振を結ぶ大動脈として両地域発展のけん引力となった胆振線は、日本国有鉄道の改革により昭和61年10月31日廃止となった。この公園は67年の長きにわたって鉄路に刻まれた歴史の功績を永遠に伝えるため、かって胆振線で活躍した客車、緩急車をはじめ関係の諸施設を旧六郷駅構内敷地に展示し、鉄道記念公園として造成したものである。

昭和62年11月 倶知安町

旧六郷駅
 
↑左:踏み切り、右:汽車
 
↑左:駅の看板、右:信号機
 
↑左:洗面台、右:便所

SL動輪

↑左:9600型蒸気機関車動輪、右:左記の説明文

■説明文■
9600型上記機関車動輪

胆振線で活躍した9600型蒸気機関車と同型の動輪(番号9669)である。

直径1250cm 重量2.6t

胆振線生みの親の功績

↑「功績を讃えて」

■碑文■
 胆振線の生みの親中村興三松氏は明治十年七月石川県金石町(現在の金沢市)に生をうけた。海軍軍役を終えたあと志を立てて北海道倶知安町に来住、六郷市街で農産商会中村商店を起こし、大倉庫、大邸宅構えた豪商とうたわれた。
 大正八年脇方鉱山の資源輸送のため敷設された国鉄支線京極線一三・四粁の開通により明治末期からあった地域住民の鉄道願望がよみがえった。京極・喜茂別方面を商圏とし人望の厚かった中村興三松氏は、大正十五年衆望を担って私鉄胆振鉄道株式会社を設立、私戝を投げうって鉄道の敷設会社運営に奔走、昭和三十年十月京極・喜茂別間一〇・八粁の鉄道敷設を成し遂げた。
 昭和五年からは、喜茂別・伊達を結ぶ胆振縦貫鉄道実現に没頭、その中核にあって活躍し、昭和十二年着工以来およそ五年の歳月と血のにじむ努力を経て、昭和十六年十月十二日同区間五九・二粁全線開通の悲願を果たした。その後胆振線は昭和十九年七月一日国有化となった。
 時は流れ、社会が変わり国鉄合理化の嵐の中で、昭和六十一年十月三十一日中村興三松氏らが生み育てた胆振線は、京極線開通以来六十七年、全線開通以来四十五年の歴史に終止符をうったが、ゆかりのこの地に六郷鉄道記念公園を建設するにあたり半生を胆振線に捧げた氏の業績を讃えてこの碑を建立す

昭和六十三年七月
中村興三松記念碑建立期成会

遊具
 
 

〈倶知安町公民館〉
SL
六郷鉄道記念公園で汽車の話題を出したので、こちらでも汽車の話題を出します。
公民館の敷地内にSL・79615が展示されており、実際に運転席に座ることもできるようになっています。
ちなみに、ここはかつて駅だったわけではなく、単に公民館の敷地内にSLが展示されているだけです。
また、ここは実家から自転車で1〜2分ほどのところであり、小さい頃よく遊びに来ていました。
 
↑左:SL・79615、右:信号機
 
↑左:煙突、右:運転席
 
↑左:メーター、右:石炭投入口
 
↑左:倶知安駅の看板、右:SL・79615について書かれた説明文

■説明文■
「79615」のあしあと(2つ目羊蹄号)

製造年月日 大正13年2月15日
製造所 日本車輌株式会社
機関車の規格
 長さ 16.56m
 高さ 3.81m
 幅 2.62m
機関車の重量
 運転整備 95.11t
 空車 71.40t
車輪の直径 1.25m
水の量 13㎥
石炭の両 6t
最大指示力 980馬力
主な運転路線
 1.胆振線
 2.岩内線
 3.富良野線
 4.室蘭本線
 5.夕張線
 (夕張機関区をふりだしに13機関区を廻り活躍した)
運転距離 2,250.895km(地球およそ56周)
使用停止年月日 昭和49年7月6日(倶知安機関区調べ)

倶知安町・倶知安町教育委員会・倶知安町蒸気機関車保存会

子を想う親
同じく公民館の敷地内に子を想う親の姿が象徴された像があります。
昭和55年、倶知安ライオンズクラブ認証20周年を記念して建立されました。

↑「慈愛」

〈廃校〉
倶知安町開基120周年」でも書きましたが、僕が中学3年生から高校3年生までの4年間、郷土史を調べるにあたって最も力を入れていたのは学校の歴史です。
しかし、何度か上記したように、廃校となった学校の石碑もまた碑文までには目を配っていませんでした。
そのため廃校の跡地も回りました。
本来ならばここで廃校についても碑文を引用しながら述べたいところなのですが、いずれ倶知安の学校の特集的なものをこのブログでやりたいと思っていますので、今日はとりあえず写真のみの掲載とします。
また、「倶知安町開基120周年」の記事で廃校となった学校の簡単な沿革を述べているので、よろしければご覧下さい。
ちなみに、寒別小学校の石碑の正面写真を撮り忘れてしまったので、代わりに後ろの写真を載せます。
でも、なぜ後ろはしっかり撮っているのに、前は撮り忘れたんだ(笑)?
 
↑左:「學校教育發祥之地 八幡」(八幡小学校)、右:「我が瑞穂」(瑞穂小学校)
 
↑左:「愛鳥モデル校 比羅夫小学校」(比羅夫小学校)、右:「我が学舎」(巽小学校)
 
↑左:「学窓 ふじみ」(富士見小学校)、右:「大和小学校跡」(大和小学校)
 
↑左:「学舎」(寒別小学校)、右:「末広小学校跡」(末広小学校)

〈倶知安風土館〉
倶知安町開基120周年」でも紹介した倶知安風土館(通称:風土館)。
風土館へは中学・高校時代によく行ったものです(高校生以下は無料で入場できます)。
また、上記しましたが、僕が中学3年生〜高校3年生までの4年間、学校の歴史を調べるにあたって風土館の資料室を借りるなど、とてもお世話になりました。
今回、久しぶりに風土館に行ってきました。

「桑原コレクション」の部屋
この部屋は教育者でもあり、植物とともに人生を歩んだ桑原義晴氏の経歴が書かれたパネル、植物の標本が展示されています。
 
 

「鉄道」の部屋
この部屋は「六郷鉄道記念公園」の項目でも載せましたが、胆振線の駅の看板、胆振線で活用された品などが展示されており、部屋の中は昔の駅が再現されています。
 
 
 
 
 
 
 
 

「学校」の部屋
この部屋は昔の学校で使用された品々などが展示されており、部屋の中は昔の学校が再現されています。
 
 
 
 
 

「あきなう」の部屋
この部屋は昔の商い処の品々などが展示されており、昔の菓子店や呉服屋などが再現されています。
 
 
 
 
 

「すまう」の部屋
この部屋は昔の電気機器や家具などが展示されており、昔の平屋が再現されています。
 
 
 

「この指とまれ 〜あ・そ・ぼ〜」の部屋
この部屋は昔の玩具や自転車、バイクなどが展示されており、昔の遊び場が再現されています。
また、実際に玩具を使って遊ぶこともできます。
 


零戦の翼
太平洋戦争時にニセコアンヌプリ山頂で行われた着氷実験に使用され、終戦によって山頂近くの沢に廃棄されていた海軍零式戦闘機の右主翼が風土館に展示されています。
 
 

動物の標本
様々な動物の標本が飾られています。
 
 
 
 

その他
他にも様々な展示品があります。
 
↑左:昔のミシン、右:紡毛機(左)&紡ぎ車(右)
 
↑左:ミルク缶、右:昔の工具等
 
↑左:スバル360、右:耕転機シャーシ

↑SL動輪

詳しくは風土館のホームページをご覧下さい。
http://www.town.kutchan.hokkaido.jp/town/huudokan/huudokan.jsp

〈感想〉
今回、本当に短期間で倶知安の様々なところを回りました。
去年行った場所や久しぶりに行く場所など様々ありましたが、本当に楽しかったです。
しかし、そのお陰でこのブログをまとめるのに1週間近くかかりました(笑)。
特に、碑文の行書や旧字体などを解読するのが大変であり、そこに最も時間がかかりました。
また、上記したようにこれだけたくさんの場所ですので、だいぶ急ぎ足で回りました。
もう少しゆっくりと回りたかったです。
いずれまた機会を見つけてゆっくりと1つひとつ丁寧に回りたいものです。
また、今回紹介した倶知安の史跡はほんの一部に過ぎません。
行ったことのない倶知安の史跡はまだまだたくさんありますので、ぜひ今度また違う史跡を訪ねてみたいと思います。

〈おまけ〉
その1
僕が倶知安へ帰省した15日、父は山菜採りに行っていました。
父の帰宅後、倶知安近隣の町・岩内にいる親戚に父と一緒に山菜を届けに行きました。
行きは僕が車を久しぶりに運転、しかもマニュアル車であり、少し緊張しました。
岩内に着き、去年以来親戚の伯父に再会し、僕の近況を伝えました。
その後、僕よりひと足早く社会人となり、岩内で消防士をしている2つ下の弟の家へ行きましたが、弟の車がなく、弟は入れ違いで倶知安へ行っていました。
弟は非番かつ僕が倶知安へ帰省するということで、実家へ帰省して来てくれました。
僕と父も自宅へ戻り、弟とも久しぶりに再会しました。
その後、弟のマイカー・インプレッサで弟と一緒にドライブに行きました。
運転手は主に弟でしたが、途中で僕も少し運転させてもらいました。
スポーツカータイプのインプレッサであり、アクセルを少し強く踏むと80キロ近く出るような車であり、少し慎重に運転しました。
弟は今年の3月、高校卒業後にすぐに消防士となり、色々慣れないこともあるようであり、弟の悩みなどを聞きながら、少し遠回りでドライブしました。
また、ドライブの途中、羊蹄山がキレイに見える八幡の地(「旧倶知安の穀倉地帯」の項目の場所)に立ち寄りました。
夕日のあたる、残雪の羊蹄山がとてもキレイでした。


その2 
15日の夕食は父がその日に採ってきた新鮮な山菜を使った料理が主でした。
僕が実家に帰省する前まではカップラーメンかインスタントラーメン、レトルトものの生活が続いていたので、光り輝くご馳走に見えました(実際、かなりのご馳走だと思います)。
実家にいた時には感じなかった、当たり前のようにご飯をお腹いっぱい食べられることの幸福感、親へのありがたみを、未だに就職先の決まらない自分の現状だけにとても強く感じました。

↑ご飯、アズキナと豆腐の味噌汁

↑アイヌネギ&ウド&タラノメの天ぷら、アイヌネギの酢味噌和え、フキの炒め物、ヤチブキのお浸し(他はカツオのたたきとフライドチキン)

その3
16日、久しぶりにたこ焼きいっちゃんという店に行きました。
マクドナルドやケンタッキーなどのメジャーなファストフード店のない倶知安のファストフード店的な存在の店です。
個人営業の店であり、営業者の方の玄関先でたこ焼きやフライドチキン、フライドポテトを作っている小さな小さな店です。
ちなみに、この店は僕が通っていた倶知安高等学校の近くにあり、高校時代の帰り道、小腹が空いた時によく買いに行ったものです。
何度も行っているうちに店主の方とも顔馴染みとなり、この日も久しぶりにお会いし、僕の近況などについて話しました。
たこ焼きは8個入りで250円、フライドチキン&フライドポテトは110円であり、とても安く、特に小・中・高校生にはとてもお手ごろ価格で、実際小・中・高校生にも好評です。
それに何より美味い!
久しぶりにたこ焼き、フライドチキン、フライドポテトを買って食べ、本当に美味しかったです。
ちなみに、僕の高校時代はおでんもあり、特に寒い冬場は1日掛けて煮込まれたおでんが本当に美味しかったです。


その4
21日、父が今年初めてのタケノコ採りに行きました。
毎年、父はタケノコをトータル5000〜6000本ほどは採ってきます。
21日は思った以上にタケノコがたくさん採れたようであり、サミットが行われた洞爺湖に住む祖母と伯母のところへ父と一緒にタケノコを届けに行きました。
祖母には去年の5月以来、久しぶりに再会しました。
祖母は今年86歳となり、しばらく会わないうちにだいぶ歳を重ねたように見えましたが、ともかくこれからも元気で健康第一に過ごして欲しいです。
自宅へ戻ると父が採ってきたばかりのタケノコ料理がずらり!
今年初のタケノコ、本当に最高でした!!
また、札幌へ戻った22日、母が持たせてくれた前日の残りのタケノコご飯と玉子焼きを夕食で食べました。

↑タケノコご飯、タケノコと油揚げの味噌汁、タケノコの刺身(他はシャケのコロッケとミズナと豆腐のごま味噌和え)

↑タケノコご飯と玉子焼き

その5
今年11歳になった我が家の愛犬、ロンです。
柴犬のオスです。




最後に絶景の羊蹄山を1枚!
寒別小学校跡地から少し離れた場所で撮影しました。
今回、様々な場所で羊蹄山を撮影しましたが、最もキレイに撮影できた写真だと思っています。


〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)


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  • 2016.08.05 Friday
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