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  • 2018.03.17 Saturday
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3月以来に

昨日、専門学校の元クラスメイトのM・Oくんから誘いを受け、M・Oくん、E・Oくん、N・Sくん、僕の元クラスメイト4人で今日の明け方まで遊んできました。
最初はE・Oくんの家に行って同じく元クラスメイトのM・Tさんも含めて積もり話など、その後は男4人でレジャスポに行ってきました。
この4人で遊ぶのは本当に久しぶりであり、もう約2ヶ月前になりますが、3月2日にも遊びました。
その時はノルベサでのメダルゲーム、バッティングセンターでのバッティング、肝試しなどをしました。

昨日の21時近く、M・Oくんから急に電話がかかってきて、あれよあれよという間にE・Oくんの家に行くことになり、M・Oくんが車で自宅まで迎えに来てくれ、電話から約1時間半後にE・Oくんの家に到着。
E・Oくんの家ではしばらく積もり話などをし、0時頃、N・Sくんの車でレジャスポに遊びに行くことになりました。
レジャスポに行くのは個人的に初めてでした。
レジャスポ到着後、まずはロッククライミング(他の人を待つ間はトランポリン)で遊びました。
ロッククライミングをやったのは僕以外の3人です。
なぜ僕だけやらなかったのかというと、腹が出すぎていて、ロッククライミング用のベルトを締められず、できなかった(笑)!
少し痩せなきゃね・・・。
とりあえず僕はみんなのロッククライミングを見届けつつ、トランポリンで遊んでいました(笑)。
次は丸太ファイト。
これがまた面白い!
2人で向かい合って丸太にまたがり、丸太(スポンジ製)でお互いをたたき合って先に落ちた方の負けという・・・。
僕はN・Sくんとやり、辛うじて引き分けでした。
次はバッティング。
バッティングセンターのようにピッチャー(機械)が投じたボールが飛んでくる方は機械の調子が悪くてできなかったため、近くにあったトスバッティングをやりました。
次はカーレースゲーム。
僕は1回目が3位、2回目が最下位でした(笑)。
次は卓球。
卓球は個人的にあまり得意ではありませんが、いやあ本当にいい汗かきました。
僕は打ち返しは相変わらず下手でしたが、サーブは今までにないくらい上手くできました。
そして、最後はボーリング。
こちらも僕はあまり得意ではありません。
ちなみに、専門学校のボーリング大会では1年次が最下位、2年次が男子の中で最下位でした(笑)。
5ゲームやり、僕以外は合計が400点以上いっている中、僕だけ200点台であり、1ゲームの最高得点は63点でした(笑)。
また、今、手に力が入りません・・・この後、どれだけ筋肉痛になってしまうやら(笑)。
その後、レジャスポ内にあるゲーセンでUFOキャッチャーなどで遊び、お開きとなりました。

今回、本当に学生時代に戻ったように思いっきり遊び、楽しめました。
このメンバーでまた遊びたいなぁ。
去年みたいにルスツリゾートにも行きたいなぁ。
ちなみに、E・Oくんの家でテレビを観ている時、ルスツリゾートのCMが流れ、去年のルスツリゾートへ行った時の話題になりました。
また、未だ就職活動をしている中、こういった友達との交流もあってこそ、みんなから励まされ、それが原動力となり、今こうして頑張ることができています。
つぶれる要因なんてひとつもない!
落ち込む要因なんてひとつもない!!
弱気になる要因なんてひとつもない!!!
今日からもまたハローワークなどの求人に目を通し、頑張ります。


↑M・Oくんが数日前にUFOキャッチャーで取ったというRITZをもらいました。5年間の長期保存可能、災害時用保存食に最適だそうです(僕の非常食にします 笑)


久しぶりの学校

昨日、僕が通っていた専門学校の保育科のK・H先生に用事があり、久しぶりに学校に行って来ました。
1ヶ月以上振りにK・H先生に再会し、用事が済んだ後は今の僕の就職活動の状況、学校卒業後にあった出来事などをK・H先生に話し、K・H先生もまた就職した元クラスメイト数名が学校に来た話などをして下さいました。
用事が終わり、学校を出た後、近くのダイソーに立ち寄りました。
ダイソーを出て自転車で学校の前を通りかかろうとしたところ、偶然元クラスメイトのK・Nくんと遭遇しました。
K・Nくんの家に遊びに行ったのはかれこれ先々週の9日と、もう2週間も経ちました。
K・Nくんに「まだ、何人か教室に残っているよ」と言われ、K・Nくんと一緒に元クラスメイト数名が所属する介護1課に行きました。
M・Oさん、M・Kさん、S・Sさん、T・Fくんが教室に残っており、1ヶ月以上振りの久しぶりの再会をお互いに喜びました。
積もり話などを挟みつつ、久しぶりの学校の匂い、元クラスメイト達の温かさに包まれながら、楽しく懐かしいひと時を過ごしました。
こんなことを言っても切がありませんが、せめてもう1年、保育科のみんなと一緒に過ごしたかったな・・・。
卒業後も強くそう思える、時には大変なこともありましたが、本当にいいクラスでした。
みんな元気そうで良かったです。
就職先が決まったら、今度は全員揃っている時に行くつもりです。
その日を楽しみに、就職活動頑張ります!

ところで、ブログも今回の書き込みで50回目となりました。
時々、ブログを読み返し、「こんなこともあったよな」と感慨に耽っています。
ブログは一昨年の12月23日(専門学校1年次)から始め、ずっと「倶知安のマリオカート野郎」というペンネームを使って書いていました。
今までの記事で何度も折に触れている通り、僕は保育者を目指し、現在就職活動中です。
これから保育者(教育者)という道を歩むにあたり、匿名性をなくし、自らの行動に責任を持てるよう(ブログにおいては自分の書いている文章に責任を持てるよう)に心がけるため、また、上記のようにブログの書き込み50回目突破を節目とし、今回から本名での書き込みを開始します。
僕の名前は関口泰弘(せきぐち・やすひろ)といいます(詳細はプロフィールを参照のこと)。
また、ブログ名も改名し(改名と言ってもサブタイトルをつけただけですが 笑)、今回から「IMPORTANTS 〜人と風土と教育と〜」とします。
サブタイトルは日頃からお世話になっているY・N先生のアドバイスにヒントを得ました。
改めまして今後ともよろしくお願い致します。


ヒーロー

小さい頃、憧れたヒーローがみなさんそれぞれいたことと思います。
特撮、アニメ、映画などなど・・・。
僕がかつて憧れていたヒーローはスーパー戦隊第22作「星獣戦隊ギンガマン」の6人目の戦士、ヒュウガ(変身後は黒騎士)というヒーローです。
剣(ブルライアット)を天高く振り上げて「騎士転生!」の掛け声で変身し、「黒騎士ヒュウガ!」の決めゼリフ・・・とにかく全てがカッコ良かった!
ギンガマンが放送されていた当時、僕は小学2年生でした。
特に、特撮ヒーローに憧れるような幼稚園時代は逆に全く興味がなく、弟の影響でギンガマンの前作「電磁戦隊メガレンジャー」を観るようになってから、特撮ヒーローという憧れができました。
以来、僕は小学5年生の時に放送していたスーパー戦隊第25作「百獣戦隊ガオレンジャー」まで毎週ほぼ欠かさずに特撮ヒーローを観ていました。

↑ヒュウガ(変身前)

↑黒騎士(変身後)

ところで、僕の憧れだったヒュウガを演じていた俳優の小川輝晃さんもまた、ヒュウガの影響で小学2年生以来、僕が最も好きな男性俳優です。
俳優以外にも、声優や舞台でご活躍中です。
その小川さんが中心となり、東日本大震災の起こった翌12日から現在にかけてツイッターで特撮においてヒーローや敵役を演じた俳優、スーツアクター、ナレーター、声優、主題歌を歌っていた歌手などが全国の被災者の方々に向けてエールを送っています。
最近の特撮ヒーローの関係者のみならず、放送開始当時のスーパー戦隊や仮面ライダー、ウルトラマンなどの関係者もツイッターに参加し、エールを送っています。
奇しくも、僕がかつて憧れたヒーロー・ヒュウガ、そして、現在も憧れ続けている小川さんの行動が本当に素晴らしいことだと感じました。
小川さん(だけではありませんが)のコメントもいつも熱い!
小川さんはヒュウガを演じる以前にも特撮ヒーローを演じていたことがあり、僕が4歳の時に放送していたスーパー戦隊第18作「忍者戦隊カクレンジャー」のサスケ(変身後はニンジャレッド)を演じていました。
無論、僕の同級生ではギンガマンよりもカクレンジャーを観ていたという友達の方が多いですが(笑)。
ちなみに、リアルタイムではありませんが、小川さんがカクレンジャーに出演していたことを知ってから、僕もカクレンジャーを観ました。
だけど、まだ全話観ていない(笑)。
ヒュウガとサスケ、性格は全く違い、小川さんはその日のメッセージの内容によって「黒騎士ヒュウガ」として投稿したり、「ニンジャレッドサスケ」として投稿したり、時に「小川輝晃」として投稿したり、特に子どもに向けたメッセージの時は全てひらがなで投稿したりなど、小川さんの工夫も多々あります。
また、小川さんの投稿の中には「こんなときのためにヒーローだったはずなのに・・・」という言葉もあり、小川さんのとても温かな優しさが感じられました。
個人的に今まで小川さんは単に好きな憧れの俳優でしたが、ツイッターがきっかけでさらに好きになり、さらに憧れ、そして、好きや憧れだけではなく、尊敬できる僕にとっての本当のヒーローになりました。
 
↑左:サスケ(変身前)、右:ニンジャレッド(変身後)

ぜひ、かつてまたは現在もみなさんが憧れているかもしれないヒーロー達の言葉で少しでも、ほんの少しでもいいので、日本が明るくなればと祈っています。
黙祷」でも書いたように、僕も僕で何か自分にできること、やるべき様々なことに毎日一生懸命取り組んでいきたいと思います。
以下のURLより、ヒーロー達のメッセージを見ることができます。
http://twitter.com/tokusatsuhero/


優しさに支えられ

去る4月11日、専門学校北海道福祉大学校・福祉保育学科を卒業して1ヶ月が経ちました。
同時に、昨日で4月の半分が終わりました。
過ぎ去る時間は本当に早いものですね。
未だ就職先が決まらず、日々就職活動に明け暮れています。
昨日も自身9度目の就職活動、5度目の面接試験でした。
今度は受かるといいのですが・・・。

元クラスメイトのうち10人は専門学校北海道福祉大学校・介護福祉学科1年課程(通称:介護1課)への進学、それ以外は僕も含めて就職組であり、僕以外は学生として新たに学んでいるか、すでに社会人として働いているかです。
「僕だけ出遅れているのではないか・・・」と時々弱気になってしまうこともあります。
しかし、「何となく、どこでもいいから就職」はどうしても避けたく、僕は今の道を選んでいます。
何となく選んで就職したとしても長続きしないかもしれない、どこでもいいから就職したとしたらそれこそ保育者を目指して専門学校に来た意味がなくなり、共に学んだ友達と困った時などにコンタクトをとれるように札幌に残った意味もなくなってしまう・・・。
そんな僕をいつも支えてくれているのは親、先生、専門学校の元クラスメイト達です。
親は札幌での生活を許可してくれた上、経済面でのバックアップもしてくれています。
先生は日頃からお世話になっているY・N先生、専門学校2年次担任のM・N先生がいつもメールなどで気にかけて下さっています。
そして、元クラスメイト達。
メールで気にかけてくれるM・OくんやH・Nくんなど、介護1課に進んだK・Nくんは昨日の昼休みに電話をくれ、K・Nくん以外にも介護1課に進んだ元クラスメイト達と久しぶりに話しました。

今、僕はたくさんの人の優しさに支えられ、それが原動力となり、今日を生きることができています。
僕は本当に幸せです。
時々弱気になることはあっても、僕は絶対につぶれない!
焦らず、時にはクールダウンし、今日から明日へ生きていきます。
僕を支えてくれている人へ、心から「ありがとう」を伝えます。


黙祷

最後の日」でも触れたが、日本史上最大級といわれる災害、東日本大震災が起きて昨日で丸1ヶ月経った。
本当に月日が流れるのは早い・・・。
死者・安否不明者共に阪神・淡路大震災以上を記録し、未だ見つかっていない方々もいる。
諺に「天災は忘れた頃にやってくる」というのがあるが、まさにその通りだった。
被災によって亡くなった方々は「自分が今日死ぬ」なんて夢にも思わなかっただろう。
また、ここ最近でも余震によって尊い命が失われ続けている。
今後も大きな余震が起きるといわれており、被災地の方々の1人でも多くの無事を祈りたい。
本当に、いかに人間の力が自然の力にこれっぽっちも及ばないかということが改めて肝に銘じられた震災だった。

僕は北海道在住である。
街が崩壊するような大型地震、津波、ましてや被爆なんてしたこともない。
親もいて、兄弟もいて、親戚もいて、友達もいて、家もあって何より全く不自由な生活をしていないことに並々ならぬ幸せを感じている。
反面、幸せゆえに、親族を亡くして、友達を亡くして、家をなくして悲しみの癒えることのない被災者の方々の気持ちは計り知れず、心が痛む毎日である。
僕達が被災者の方々に言葉をかけるとすれば「元気出して下さい!」・「頑張って下さい!」・・・正直、これくらいの言葉しか、この虚しい言葉くらいしかかけることはできない。
しかし、自分なりのやり方で何かできることをしていきたい!
僕はそう思っている。

今、被災地復興に向けて徐々に日本は動き出している。
第二次世界大戦でボロボロになった日本が這い上がったように、日本人の持っている底力で1日でも早く、明るい明日が訪れることを祈る。
親を亡くしても強く生きようとする子ども達、子ども達に限らず、今日から明日へ生きようとする被災者の方々の姿に僕は本当に勇気をいただいている。
このいただいた勇気を胸に、僕が今できること、やるべき様々なことに一生懸命取り組みたいと思う。

末筆ながら、被災によって亡くなられた方々のご冥福、並びに被災者の方々の心身のご健全を心からお祈り致します。
−黙祷−


久しぶりの再会

3日前の4月9日、久しぶりに専門学校の元クラスメイトのK・Nくんの家に遊びに行ってきました。
K・Nくんと最後に会ったのは専門学校の卒業式〜3次会の時以来であり、ほぼ1ヶ月振りの再会でしたが、全くそんな気がしませんでした。
本当に時の流れの早さを感じます。
14時頃、K・Nくんの自宅に到着しました。
僕は昼食をとっておらず、親切にもK・Nくんが一緒にご飯食べようと誘ってくれ、K・Nくんの家でご飯を食べました。
おかずはK・Nくんのおばあちゃんが作ったという煮付けがありましたが、K・Nくんが目玉焼きを作ってくれ、K・Nくんの愛情のこもった目玉焼きは本当に最高でした。
就職活動、めげずに頑張れそうだ(笑)。
昼食後、まずはスーパーファミコンのスーパードンキーコング3をやりました。
久しぶり(・・・といっても今年の1月以来ですが)にやり、とても楽しかったです。
ちなみに、僕は2時間ちょいあればスーパードンキーコング3を全クリできます(ちょっと自慢 笑)。
2時間くらいやった後、今度はWiiのドンキーコングリターンズをやり、だいぶ進化しており、少し難しかったです。
最後はWiiのマリオカートをやり、本当に久しぶりにやりましたが、久しぶりにしては上手くできました。
そして、帰ろうとしたところ、K・Nくんのお母さんが帰宅され、少しお話しました。
帰り際、K・Nくんのお母さんからたくさんの食料品や使わないという日用品をいただき、一人暮らしの僕にとっては本当に助かります。
ありがとうございました!

帰る途中、前日の「今日ドキッ」でやっていたワンコインの店(みゆきちゃん)に行ってみたくなり、行ってみることに。
そこで海鮮丼定食というのを頼みましたが、このボリュームといったらない!
たっぷりのご飯にたっぷりの刺身、それに加えてたくさんの惣菜がついて何と1000円!!
安すぎる!!!
今度、ぜひまた行きたいです。
もちろん、K・Nくんの家にも!



引越しの手伝い

いよいよ、最近の話題に!
3月28〜30日にかけて、専門学校の元クラスメイトのM・Oくんの引越しの手伝いをしました。
なぜ手伝うことになったのかというと、M・Oくんの親御さんが都合がつかずに札幌に来れず、引越し業者にも見積もり直前でドタキャンされ、レンタカーでトラックを借りて引越しを行うことになったため、荷物運びなどを手伝うことになりました。

28〜29日
12時半に地下鉄の改札で待ち合わせ、予約を入れてある13時までにニッポンレンタカーへ向かいました。
最初は僕がトラックの運転手を務め、M・Oくんの旧居へ。
荷物整理できているのかな・・・と思いきや、何とほとんどできておらず(笑)。
とりあえず、僕はダンボールを買いにホームセンターへ。
ダンボールを買い、M・Oくんの旧居へ戻り、荷物をダンボールに詰め、約2時間後に一度M・Oくんの新居へ2人で荷物運びをしました。
運転手はM・Oくん。
帰宅後、またダンボールに荷物を詰めたり、トラックに積めるものは積み、第2陣(M・Oくんの新居への荷物運び)&M・Oくんの旧居の整理をしました。
今度の運転手は僕でした。
帰宅後、選手交代で第3陣&M・Oくんの旧居の整理をしました。
M・Oくんの帰宅後、最後の大きな荷物(冷蔵庫や洗濯機など)を積み、運転手交代でM・Oくんの新居へ向かいました。
朝6時過ぎ、ようやく大掛かりな作業は終わり、運転手交代でM・Oくんに自宅まで送ってもらい、僕は一度帰宅しました。
昼に2人でレンタカーを返しに行き、M・Oくんはマイカーを取りに車屋へ、僕は帰宅しました。

29〜30日
29日の23時半過ぎ、M・Oくんがマイカーで僕を自宅まで迎えに来て、M・Oくんの旧居へ向かいました。
M・Oくんは掃除と仮眠、僕はM・Oくんのマイカーで細々したものをM・Oくんの新居へ運びに行きました。
朝4時過ぎ、僕は帰宅し、2人とも一旦仮眠をとり、10時過ぎに2人とも起き、掃除(主にM・Oくんは風呂場とトイレ、僕はキッチン)をしました。
午後、僕は一度M・Oくんの新居へ細々したものを運び、帰宅後、2人で最後の荷物を積み込み、最後の荷物運びをしました。
その後、2人でホームセンターへ行き、買い物を済ませた後、M・OくんのマイカーでM・Oくんの旧居近くのゲーセンに行き、UFOキャッチャーなどで遊んだ後、近くのなか卯で食事を済ませ、別のゲーセンに行って遊び、お開きとなりました。
そして、M・Oくんに自宅まで送ってもらい、帰宅しました。

3日間、M・Oくんと行動を共にし、大変でしたが、とても楽しかったです。
またさらに親交が深まりました(笑)。
ちなみに、28日、2人だと大変だからということで同じく元クラスメイトのK・Nくんにも手伝ってもらおうと連絡しましたが、家族と温泉旅行中でした(笑)。


表現サークルの面々で

過ぎし日の思い出第13弾!
3月18日、旧自宅の引越し2日前、表現サークルなどでお世話になり、個人的には現在も日頃からお世話になっているY・N先生、サークルメンバーのH・Zくん、僕の3人でY・N先生行きつけのジャズバー・JERICHO(ジェリコ)に飲みに行きました。
それは東日本大震災の影響により、Y・N先生が専門学校の卒業祝賀会に来ることができなくなり、お互い一緒に飲みたかったため、時間を作り、飲みに行くことになりました。
サークルメンバー全員に声をかけ、本当はもっと多くいても良かったのですが、職場研修や引越しなどでほとんどみんな都合がつかず、今回は3人でした。
しかし、少人数で飲むのもなかなかいいものでした。
18時に待ち合わせ、3人揃ったところでJERICHOに向かいましたが、開いているはずの時間に開いておらず、JERICHOの向かいにあるジャズバー・GERSHWIN(ガーシュウィン)で30分ほど時間をつぶし、いよいよJERICHOに。
酒を飲んだり、つまみを食べたりしながら、専門学校での思い出やここだけトークなどをして時間を過ごしました。
5時間ほど共に時間を過ごし、0時近くにお開きに。
最後に、祝賀会の時に渡せなかった色紙をY・N先生に渡し、Y・N先生はとても感極まっておられました。
サークルメンバーみんなで時間のない中で色紙を書き、何とか出来上がり、一時は郵送も考えましたが、一緒に飲みに行くことになり、Y・N先生にじかに渡すことができ、喜んでいただけたのが僕達は最高に嬉しかったです。
ぜひ、また一緒に飲みに行きたいです!
ちなみに、今回は全てY・N先生がおごって下さいました。
本当にありがとうございました!


どろんこクラブin感覚統合

過ぎし日の思い出第12弾!
今まで、どろんこクラブのボランティア体験記を書く上で何度か出していた「感覚統合」。
感覚統合とは小学生以下の障がいを持った子ども達が緑ヶ丘療育園のプレイルームでトランポリンやエアバレル、平均台などを使って子どもの感覚発達を促す活動です。
僕は感覚統合に7回参加し、そのうち6回は同じ小学6年生の男の子(Fくん)、他の1回は小学1年生の男の子(Gくん)を担当させていただきました。

4月24日
自身初めての感覚統合でした。
担当させていただいたのはFくんです。
Fくんは喜んでいたかと思えば、急に怒り出したりなど、「どうやって関わればいいのだろう?」というのが僕が持った一番最初の感想でした。
また、Fくんはとてもバランスをとる能力に優れており、エアバレルの上に乗り、エアバレルを回しても上手にバランスをとってエアバレルの上に乗っていられます。
とにかく、一番最初は僕もいっぱいいっぱいであり、なかなかFくんの表情にまで目を配ることもできず、エアバレルを回したり、揺らしたりの繰り返ししかできませんでした。

5月8日
自身2回目の感覚統合でした。
担当させていただいたのは前回と同くFくんでした。
職員の方に「エアバレルで遊ぶ時はFくんの表情を見ながら回りたり、揺らしたりするといい」というアドバイスを受けつつ、Fくんと関わりましたが、まだ僕は表情をよく見れていない部分やどのように遊べばいいのか分からない部分もあり、前回と同じような関わりしかできませんでした。

5月22日
自身3回目の感覚統合でした。
担当させていただいたのはGくんです。
遊びがほぼ1つに集中する前回まで担当させていただいたFくんとは対象的に、今回担当させていただいたGくんはトランポリンや平均台など、様々な遊びに興味を示していました。
また、Gくんはボールプールに入る時、僕の手を引き、「一緒に入ろう」という仕草も見せてくれました。

10月9日
久しぶりの参加で、自身4回目の感覚統合でした。
担当させていただいたのは1・2回目の時と同じくFくんであり、以降ずっとFくんを担当させていただきました。
保育実習幼稚園教育実習後というのもあり、僅かかもしれませんが、子どもとの関わりにも1〜3回目の時に比べると慣れ、課題としていた「子どもの表情を見る」というのもある程度は達成できたと思います。
相変わらず、Fくんはバランスをとるのが上手く、エアバレルのみで遊ぶことが多かったです。

10月23日
自身5回目の感覚統合でした。
今回、Fくんは睡眠不足によって情緒不安定であり、少し機嫌を損ねることが多く、なかなか笑わなかったりと表情から読み取ることもできず、少し難しい日でした。
Fくんがエアバレル中心で遊んでいること、バランスをとるのが上手いのはいつも通りでした。

11月13日
自身6回目の感覚統合でした。
今回、Fくんを担当させていただくのも5回目となり、Fくんの方もまた、僕が出迎えると笑顔を見せてくれたりと、Fくんも少し僕のことを覚えてくれたのかなと感じ、嬉しく思いました。
また、今回はFくんがたくさんのいい笑顔を見せてくれました。
特に、エアバレルを揺らすと喜んでくれ、職員の方にも「安心して任せられた」と言っていただきました。

2月26日
自身7回目、僕にとっては平成22年度最後の感覚統合でした。
どろんこの行事ボランティアには参加していましたが、感覚統合は久しぶりでした。
当時、小学6年生だったFくんもこの春から中学1年生になり、最後の関わりでした。
今回はFくんが感覚統合で得た感覚発達を見るテスト的な日であり、Fくんがエアバレル、ホーススイングなどで遊ぶ時、Fくんの体のどの部分に力が入っているか、どの部分が発達したかというのを職員の方が見ていました。
今回も特にエアバレルを揺らすと、Fくんはとてもいい笑顔を見せてくれました。
Fくんはどろんこクラブのボランティアで最も多く関わった子どもでした。
難しいこともあり、分からないことも今でも多くありますが、Fくんとたくさん関わることができて良かったです。

以上、7回の感覚統合への参加体験記でした。
本来は3月12日の感覚統合にも参加する予定でしたが、担当させていただく予定の子どもが来ないことになり、15時半以降のどろボラ会のみの参加となりました。
どろボラ会では1年間の反省を行った後、子ども達からのメッセージをまとめたスライドショーを見ました。
ちなみに、僕は11日の夜から12日の朝まで専門学校の卒業祝賀会〜3次会を行っていたため、とても朝からボランティアに行けるような状態ではありませんでした(笑)。
感覚統合に参加できなかった残念さもありますが、逆に都合も良かったです(笑)。

どろんこクラブのボランティアでは本当に様々なことを勉強させていただきました。
今後、保育者を目指す上でとてもためになることを勉強させていただき、とても良かったです。
そして、様々な学校・学科のボランティアさんとも交流でき、良かったです。
ぜひ、これからもスキルアップなどのため、時間があればどろんこクラブのボランティアに参加したいと思います!

〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=19(どろんこクラブinオリンピアボウル)
http://importants.jugem.jp/?eid=21(どろんこクラブinさとらんど)
http://importants.jugem.jp/?eid=33(どろんこクラブinバーバリアンズ定山渓グラウンド)
http://importants.jugem.jp/?eid=34(どろんこクラブinモエレ沼公園)
http://importants.jugem.jp/?eid=38(どろんこクラブin滝野すずらん公園)


最後の日

過ぎし日の思い出第11弾!
3月11日、あの東日本大震災が起こった日、僕が通っていた専門学校北海道福祉大学校の卒業式があり、福祉保育学科を卒業しました。
早いもので、卒業式並びに東日本大震災から昨日で丸1ヶ月経ちました。

卒業式
9時半開場に間に合うように、卒業式が行われる札幌市民ホールに行き、開場待ちをしているクラスメイト数名と会い、数分程話しました。
9時半に開場し、10時から卒業式が始まりました。
前日、僕は表現サークルのDVD制作をしており、ほとんど一睡もしておらず、卒業式では30分程爆睡していました。
あれよあれよという間に卒業式が終わり、ロビーで学科長から卒業証書を受け取り、集合写真撮影の順番待ちをしました。
13時過ぎに写真撮影が終わり、帰宅しました。
祝賀会以降に参加できないクラスメイトもおり、そういったクラスメイトと写真撮影を行いつつ、しばしの別れをしました。

祝賀会
16時開場に間に合うように、祝賀会が行われるルネッサンスサッポロホテルへ。
しかし、会場の場所が分からず、電話をしても震災の影響でつながらず、うる覚えの住所を思い浮かべつつ、何とか会場へたどり着きました。
僕はクラス委員長だったこともあり、受付をしてくれているクラスメイトのM・OさんとS・Kさんと一緒に受付に立ち、参加者が全員揃うのを待ちました。
17時、祝賀会開始。
クラスメイト達や先生方と立食を楽しみつつ、色々なクラスメイト達と写真も撮りました。
残念だったのが、震災の影響で表現サークルなどでお世話になったY・N先生が来ることができなくなり、祝賀会で一緒に飲むことができなかったこととサークルメンバーで書いた色紙をメンバー全員で渡すことができなかったことです(後日、Y・N先生とサークルメンバーのH・Zくんと僕とで飲みに行きましたが)。
そして、大抽選会に。
くじ運の悪い僕は当たるわけがないだろうと思っていましたが、何と・・・今回は当たりました(笑)。
当たったのはQUOカード1000円分でした。
19時、お開きとなりました。


2次会
祝賀会会場から歩いて30分程の居酒屋に行き、ここで祝賀会に参加しなかったクラスメイト達とも合流。
学校を辞めた元クラスメイトも2人来てくれました。
ここでもクラスメイト達や先生方との思い出話などに花が咲き、とても楽しかったです。
僕はクラスメイト達と話をしつつ、暇を見つけてはクラスメイト達や先生方と写真をパチリ。
あっという間に時間が過ぎ、先生方とはここでお別れとなりました。
また、3次会に参加できないクラスメイト達ともしばしの別れをし、とても名残惜しかったです。

↑店の方が作って下さった特製ケーキ。本当に美味かった!

3次会
23時過ぎから朝6時にかけての大宴会!
本当にみんなハイテンションで大盛り上がりでした!!
ちなみに、保育科の先生ではありませんが、2年生前期に授業をして下さったM・F先生も来て下さいました。
途中でクラスメイト数名、M・F先生が帰りました。
その後も歌い続けるクラスメイト、寝るクラスメイト、ゲーセンに行くクラスメイトと様々でしたが(僕も明け方にM・Oくんと一緒にゲーセンで遊びました)、楽しい時間を過ごしました。
そして、朝になり、6時にお開き。
みんなでカラオケ店を去り、最後に元クラス委員長ということで僕に締めの挨拶を頼まれ、少し挨拶をし、解散。
本当の本当にみんなとしばしの別れとなりました。

2年前、右も左も分からない札幌へ来て、専門学校に入学しました。
しかし、入学当初は「学校辞めたい」・「何でこんなところに来ちゃったんだろう」・「就職すれば良かった」と思っていました。
周囲には知り合いが誰もいなく、自分から話しかける勇気も湧かず、孤独な毎日・・・。
ノイローゼに近い時期もありました。
そんな僕にできた一番最初の友達がH・Nくんでした。
その後にK・Nくんと仲良くなり、パソコン室で席が隣になったM・Oくんとも仲良くなり、僕を含めた4人で1年生の時に保育園の公開保育を見に行ったり、ゲーセンに遊びに行ったり、学校で何か行う時にもこの4人で行うことが多かったです。
僕にとっては特に仲の良かった3人でしたし、他の3人もまた、「この4人のメンバー」という意識があったようです。
宅飲みやカラオケを交えて色々語り合ったM・Oくん、いつも本音でぶつかってきてくれたH・Nくん、僕も含めて色々な人に誕生日プレゼントを企画してくれたK・Nくん(僕は専門学校に来て人生で初めて友達から誕生日プレゼントをもらいました)・・・。
そして、他にも男女問わず、たくさんの友達ができ、専門学校入学当時は「一番楽しかったのは地元・倶知安の学校以外にはあり得ない」と思っていましたが、今は本当に専門学校での生活が一番楽しかったと思っています。
友達もまた、本当の優しさを持った友達が多く、震災でメールがつながらないからと僕が自主制作したDVDのお礼をわざわざ電話でしてきてくれた友達(A・Kさん)、いつも自分のこと以上にみんなのことを気にかけてくれていた友達、一生懸命ひたむきにみんなのためにと頑張ってくれていた友達などなど、本当にいい友達がたくさんいました。
また、友達の中にはたまたまインターネットで学校を知って入学した友達、就職口が見つからずに専門学校への入学を決めた友達などなど、たくさんいます。
僕もまた、リンクに載せていますが、知り合いのパフ・ファミリーという子ども向けの音楽団体に入ってうたのおにいさんをしたいという夢も高校時代は特に持っていましたが(今も夢が消えたわけではありあません)、本当に高校卒業後すぐにその道に進まず、専門学校に入学して良かったと思っています。
そうしなければ、素晴らしい友達と出会うこともなく、今の自分もなかったわけですから・・・。
偶然の重なりが運命の巡り合わせとなり、みんなと出会うことができました。
本当に偶然に感謝です。
「人生即別離」・・・会うは別れの始まり、別れは新たなる出会いの始まり。
しかし、永遠の別れではない。
またいつでも会える!
世界はつながっているんだ!!
こんな僕だけど、これからの人生もヨロシクね!



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