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  • 2018.03.17 Saturday
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3人でクレープにボーリングにカラオケに

3日前、専門学校時代からの友達のK・Nくんから誘いを受け、M・Oくんと一緒に3人で遊んできました。
この日は僕は早番、2人は休日で、早い時間から遊ぶことができました。
僕は仕事帰りにM・Oくんの車に便乗させてもらい、一緒に待ち合わせ場所へ。
K・Nくんと合流した後、遊ぶ前にABCマートでM・Oくんの買い物につき合いました。
その後、マリオンクレープへ行きました。
専門学校1年次、僕達3人とH・Nくん、K・Nさん、H・HさんとでM・Oくんのおごりでマリオンクレープのクレープを食べに行ったのがもう3年も前になることをしみじみ思い出しつつ、美味しくクレープを食べて過ごしました。
そして、いよいよ遊びにディノスへ。
まずはボーリングを5ゲームして楽しみました。
個人的には一度くらい100点を超えたかったのですが、最高得点が96点と少し悔しかったです。
その後はお馴染みのまねきねこでのカラオケを3時間ほどワイワイガヤガヤ楽しみながら過ごしました。
最後は富士サファリパークのCMソングを3人で熱唱してお開きに(笑)。
全員社会人となった今、こうして複数人で集まって遊ぶ機会はなかなかありませんが、そうした中でもお互いの時間が上手く合い、長い時間一緒に遊ぶことができ、とても楽しかったです!
また、時間を見つけて遊べたらいいなぁ〜!!


46年振りのイニング11点

先週の21日、日本ハムVSオリックス16回戦において46年振りとなるイニング11点を記録しました。
イニング11点は日本ハムトップタイ記録だそうです。
リアルタイムで観ることができなかったのが残念ですが(そもそも中継していたのだろうか 笑)、スポーツニュースで目にし、とても興奮しました!
1(オリックス)対2(日本ハム)の1点リードで迎える5回裏、
3番・糸井嘉男選手:内野安打
4番・中田翔選手:三塁ゴロ
5番・稲葉篤紀選手:一死二塁、二塁打で1点(1対3)
6番・陽岱鋼選手:四球
7番・ホフパワー選手:四球
8番・鶴岡慎也選手:一死満塁、単打で1点(1対4)
9番・金子誠選手:一死満塁、二塁打で3点(1対7)
1番・田中賢介選手:単打
2番・飯山裕志選手:三振
3番・糸井嘉男選手:二死一・三塁、単打で1点(1対8)
4番・中田翔選手:四球
5番・稲葉篤紀選手:二死満塁、単打で2点(1対10)
6番・陽岱鋼選手:二死一・二塁、単打で1点(1対11)
7番・ホフパワー選手:四球
8番・鶴岡慎也選手:二死満塁、単打で2点(1対13)
9番・金子誠選手:三塁ゴロで三死
という打線の猛攻でこの回、一挙11点をもぎ取りました。
7回表に2点を返されますが、そのまま9回を逃げ切り、3対13の大量点差で日本ハムの勝利となりました。
翌日のスポーツ紙も全紙日本ハムの内容で一面を飾っていました。
この勢いでぜひとも今年はリーグ優勝、そして日本一となってくれることを期待しています!



ゲームに夕食に思い出話に

先週の21日、専門学校時代からの友達のK・Nくんが僕の家に遊びに来てくれました。
K・Nくんが僕の家に遊びに来るのも早くもこれで3回目となりました。
この日はK・Nくんの持ってきてくれたパワプロ、僕が持ってるプロ野球スピリッツをして遊びました。
ちなみに、僕がK・Nくんと初めてパワプロをやった時には30点や20点の大差をつけられて負けていましたが、回数を重ねるごとに次第に10点差や5点差に点差を縮めてきました。
そして、この日ようやくK・Nくんに初勝利することができました!
4対1で迎えた9回裏、1点差にまで詰め寄られたギリギリな勝利でしたが、本当に嬉しかったです!!
雄叫びあげました(笑)。
その後、僕の家の冷蔵庫にある残り物を使って豚汁を作ることに。
ところが、じゃがいもを切り過ぎてしまい、前回K・Nくんが来た時に買ったイカも残っていたため、イカカレーも一緒に作りました。
やっぱり1人で食べるよりも2人で食べた方が断然美味しく、K・Nくんも美味しそうに食べてくれて良かったです!
夕食後は2人で専門学校時代に撮った写真や動画を見て思い出に浸りながら過ごしました。
僕は翌日も仕事だったため、23時頃にお開きとしました。
夕方前から夜まで長い時間ゆっくりと遊び、とても楽しかったです!
個人的にはしばらくK・Nくんの家に行っていないため、また時間を見つけて今度は僕の方からK・Nくんの家にお邪魔できたらと思っています。




お互いに社会人2年目となり

先週一週間、ずっと早番続きでなかなかブログ更新できなかった関口です。
1週間前になってしまいましたが、先週の20日の深夜、専門学校時代からの友達のM・Oくんが僕の家に泊まりに来てくれました。
M・Oくんが僕の家に泊まりに来るのは「夜遅くの集い」で述べましたが6月25日以来と2ヶ月振りのことでした。
お互いに社会人2年目となり、僕に至っては今年再就職をした経緯もあって今の職場は1年目ですが、M・Oくんは勤務2年目となって仕事の量も増えたそうで、前年度は少なくとも1ヶ月に4〜5回は僕の家に泊まりに来てくれたM・Oくんも今年4月以降は今回を含めてたった5回と少なくなりました。
仕方ないですが、こうして一緒に過ごすことができるのはとても楽しいです。
この日、職場の飲み会の帰りだったM・Oくんが僕の家に着いたのは深夜2時過ぎのことでした。
お互いに翌日は仕事ということもあり、今回は10〜15分ほど話してすぐ眠りにつきました。
翌朝5時45分に起床し、6時に家を出て途中まで一緒に地下鉄に乗って僕は職場へ、M・Oくんは自宅へと向かいました。
ほんの束の間でしたが、M・Oくんと一緒に時間を過ごすことができて良かったです!
今度はお互いに時間のある時にゆっくりと過ごしたいものです。


日本プロ野球史上37人目の通算300本塁打

一昨日、巨人の高橋由伸選手が日本プロ野球史上37人目となる通算300本塁打を達成しました。
今年、主に6番打者としてスタメン出場している高橋選手。
ここ数年は度重なる故障で2008年以降は規定打席に一度も達した年はなく、代打での起用も増えた高橋選手。
そんな中でも高橋選手は1試合のみの出場に留まった2009年を除いて2008年、2010年、2011年と2桁本塁打を重ね、昨季終了時点で292本まで本塁打を重ねていました。
そして、いよいよ一昨日、今季8本目の本塁打を放ち、300本塁打を達成しました。
本当におめでとうございます!
また、同時に5年振りとなる規定打席到達も見えてきました。
ぜひ、今年は規定打席に到達していただければと思っています。
今後とも高橋選手のご健闘をお祈りします。


学生時代以来の2人オール

先週の15日の夜、専門学校時代からの友達のM・Oくんからの誘いを受け、まねきねこへカラオケをしに行ってきました。
翌日は僕もM・Oくんも休みだったため、学生時代以来久しぶりに2人で朝までオールしました。
アニソン、昭和の名曲、懐かしい曲などなどたくさん歌って盛り上がりました!
“オール”と書きましたが、3時半頃から30分か1時間ほど仮眠をするつもりが、終了時間の6時まで寝てしまい、結局最後は寝て起きてお開きに(笑)。
しかしながら、お互い社会人となって休日もなかなか合わない中、こうして久しぶりにカラオケをオールでき、とても楽しかったです!
なかなかお互いの休日は合いませんが、また時間を見つけてゆっくりと遊べたらと思います。


倶知安町のんびり旅【その9】

本家にて」・「束の間のドライブ」・「1年半振りの再会」でそれぞれ話題を出しましたが、先々週の11日の夜から15日まで僕は久しぶりに倶知安へ帰省しました。
3年振りの本家、高校時代の友達とのドライブ、1年半振りの幼馴染との再会・・・本当に楽しく、充実した時間でした!
一方で僕は去年の8月以来、実に1年振りに史跡を回ってきました。
実は去年の8月に史跡を回った時点で残っている史跡は2つのみとなっていました。
今回、その1つを回ってこようと思っていましたが、何と僕が持っている倶知安の資料にも載っていない史跡が2つもあることを数ヶ月前に知ったため、合計4つを回ってきました。

〈比羅夫〉
史跡巡りも兼ねて久しぶりに比羅夫を探検してきました。
比羅夫・・・ほんの数年前までは本当に殺風景で昔ながらの田舎町といった地域でしたが、ここ数年で外国からの移住者もどっと増え、あっという間に外国の田舎町の一角と変わらない風景となりました。
全文英語で書かれたバス停や看板もあります。
しかしながら、山々に囲まれた地域には変わりなく、空気も美味しく、時々足を踏み入れることでちょっとした外国観光的な気分を味わうこともできるため、個人的には今の比羅夫も好きです!
多くの洋風建築が立ち並ぶ中、昔ながらの小さな居酒屋などもあります。
 
 
 
 

ひらふ高原中央公園
この公園へは初めて行きました。
ニセコ国際ひらふスキー場の麓にある公園でした。
事前にだいたいの地図を調べていったのですが・・・これが迷った迷った(笑)。
“高原”というくらいなので大きな公園かと思えばそれほど大きくなく(笑)。
自然いっぱいのとてもキレイな公園でした。
 
 
 


また、この公園内には石碑があり、表には小説家・林芙美子の短歌、裏にはニセコ国際ひらふスキー場の歴史が書かれています。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:短歌「青き山なり ニセコの山は 吾心また青々 心涼しむ」(表)、右:スキー場の歴史(裏)

■碑文(林芙美子の短歌)■
作家林芙美子が、倶知安を訪れたのは昭和九年五月二十五日である。ニセコの風光が大変気に入り、その印象を色紙に残して二十八日札幌に向かった。
のち倶知安を舞台に「七つの燈」、「田園日記」などの小説を書いている。

■碑文(ニセコ国際ひらふスキー場の歴史)■
ニセコ国際ひらふスキー場三十年の歩み

昭和三十六年十二月 ニセコアンヌプリの初リフトがひらふコースに建設
               「ニセコひらふスキー場」と命名
               比羅夫駅より国鉄バス運行
 〃 三十七年  三月 第四十回全日本スキー選手権アルペン大会開催
               電話が架設される
 〃 三十八年  七月 ニセコ積丹小樽海岸国定公園の指定
 〃 三十九年  三月 スイス・サンモリッツ市と倶知安町との姉妹都市提携決議
 〃 四十二年十二月 ナイタースキー始まる
 〃 四十三年十二月 ひらふスキー場に初の雪上車導入
               スキー場内電気が北電化
 〃 四十五年  二月 第二十五回冬季国体スキー競技会開催
         十一月 「ニセコ国際ひらふスキー場」と命名
 〃 四十七年十二月 倶知安町「スキーの町」宣言
 〃 五十九年十二月 ゴンドラ運行
 〃 六  十年十二月 四人乗り高速リフト運行
 〃 六十一年  二月 第四十一回冬季国体スキー競技会開催
平成  三  年十二月 スキー場地区内飲料水を羊蹄山麓の水源に切り替え

平成四年十一月 建立

ニセコ国際ひらふスキー場開設三十周年
ニセコ積丹小樽海岸国定公園指定三十年
記念碑建立実行委員会
 会長 浦中政直

建立協力者
 北海道・倶知安町・サンモリッツリフト株式会社・ニセコ高原観光株式会社・山田地区有志・ニセコ国際ひらふスキー場振興会
 中野隆司書
  号歸山

〈東林寺〉
ここは我が“ふるさと”のひとつです。
どういうことか?
東林寺では幼稚園を経営していますが、その倶知安幼稚園が僕の出身園です。
倶知安幼稚園へは2年間通い、幼少期にはよく境内でも遊んだものです。
でも、境内に石碑があることを知ったのはほんの数ヶ月前という(笑)。
その石碑に書かれているのは歌人・九條武子の短歌が書かれた石碑があります。
詳しくは碑文を以って代えさせていただきます。
 
↑左:短歌「夕べせまる防雪林のうすやみに ましろくたかき山うどの花」、↑右:碑文


■碑文■
 九條武子(一八八七‐一九二八)は京都西本願寺に二十一代宗主大谷光尊(明如上人)の次女として生まれ、九條良致に嫁いだ。
 西本願寺仏教婦人会長として活躍するとともに、佐佐木信綱に師事して歌人としての名も高かった。歌集に「金鈴」「薫染」、歌文集に「無憂華」がある。
 札幌市で開催される仏教婦人会北海道連合大会に出席するため大正十五年八月十七日の夕方汽車で倶知安驛を通った。
 碑の歌は、この時の印象を詠んだ一首で、「無憂華」にのっている。

父喜八郎 母滿寿代の遺志と東林寺のご厚意により平成七年九月十九日建立
 武内一男
    堂行
    怜子

〈高砂水源地〉
ここの石碑はずっと気にかかっていたのですが、諸事情でなかなか行くことができませんでした。
正直言うと“関係者以外立ち入り禁止”となっているので・・・(苦笑)。
高砂水源地には僕が小学4年生の時に遠足兼社会科見学で行ったことがありました。
なので、今回12年振りに水源地へ行きました。
倶知安では今でこそ当たり前のように水道水を飲むことができ、羊蹄山から湧き出た水は日本一の水といわれ、北海道遺産にも指定されています。
しかしながら、かつて水道のない時代には地下水を利用するものの水質が悪く、町民達は飲み水に大変苦労したそうです。
1953年、ようやく倶知安に水道を通すことが決まり、工事が施されました。
倶知安初の水源地、高砂水源地に記念碑が建立されています。
 

〈恵暁寺〉
ここの寺院には母方の祖父母、曽祖父母が眠っており、毎年お盆にお参りしに行っています。
境内には伊井億右衛門の顕彰碑あり、1976年6月13日に恵暁寺檀家一同によって建立されたものです(原石寄贈:浦中政直、三世住職・松下求書)。
伊井億右衛門は倶知安町内にある道内唯一のオブラート製造メーカー・伊井化学工場の創設者です。
伊井化学工場のオブラートの製造量は日本一を誇ります。
旭ヶ丘公園には伊井億右衛門の銅像が建立されています。
詳しくは「倶知安町のんびり旅【その2】」・「倶知安町のんびり旅【その3】」を参照のこと。


〈感想〉
今回、1年振りに史跡巡りをしてきました。
上記の4ヶ所を回り終えたことで倶知安町内にある史跡を完全制覇しました!
やったぁ〜!!
・・・と言いつつももしかするとまだ僕の知らない史跡が倶知安のどこかにあるのかもしれません。
狭いようで広い倶知安。
開拓から120年経つ倶知安。
まだ知られていない歴史がたくさん眠っているであろう倶知安。
本当に倶知安は奥深いです!
もちろん、ここで史跡巡りが立ち止まるわけもなく、まだ解読していない碑文、何のために建立されたのか分からない石碑など、後ほど倶知安風土館や役場に問い合わせながら調べ、いつか冊子に倶知安の史跡をまとめられたらと思っています!!

〈おまけ〉
高砂水源地へ車で向かう際、何と道路に馬が(笑)。
向かいが農家だったため、恐らくそこから放れた馬だと思うのですが・・・。
可愛かったです!



〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=7(倶知安町のんびり旅)
http://importants.jugem.jp/?eid=20(倶知安町のんびり旅【その2】)
http://importants.jugem.jp/?eid=56(倶知安町のんびり旅【その3】)
http://importants.jugem.jp/?eid=61(倶知安町のんびり旅【その4】)
http://importants.jugem.jp/?eid=73(倶知安町のんびり旅【その5】)
http://importants.jugem.jp/?eid=90(倶知安町のんびり旅【その6】)
http://importants.jugem.jp/?eid=162(倶知安町のんびり旅【その7】)
http://importants.jugem.jp/?eid=178(倶知安町のんびり旅【その8】)


1年半振りの再会

昨日の夜、小学校時代からの友達のR・KくんとK・Kくんと去年の成人式と中学の同窓会以来1年半振りに再会しました。
R・Kくんに迎えに来てもらい、3人で行く予定だったラーメン屋へ・・・のはずがラーメン屋が閉まっており、一時スーパーの駐車場でどこで夕食を食べるか話し合い、誰も行ったことのなかった中華料理屋の華翔へ。
僕は醤油チャーシューメンを頼みましたが、とても美味しかったです!
「今度、倶知安でラーメン食べる時に華翔もリストの1つだね」と話しながら美味しく楽しく時間を過ごしました。


お腹も膨れ、華翔を出た後はR・Kくんの車でドライブしつつ、店の駐車場や公園の脇に車を停めてトークタイム!
積もりに積もった話や近況など本当にたくさん話すことができ、とても楽しかったです!
たっぷり話したところで今回は私用で参加しなかった、僕にとっては幼稚園時代からの友達のK・Wくんのところにも3人で会いに行きました。
束の間でしたが、そこでもまた話が弾み、とても楽しかったです!
そして、最後はなぜか虫の話で爆笑の渦に包まれ、お開きになりました(笑)。

上記の通り、R・KくんとK・Kくんと会うのは去年の1月以来1年半振りのことでした。
2人とも元気そうで良かったです。
僕もなかなか倶知安に帰省できなかったり、倶知安に帰省してもお互いの都合が上手く合わなかったりとなかなか集まる機会にも恵まれませんが、今回こうして3人で集まれたこと、束の間でもK・Wくんのところへ行って話すことができたのはとても良かったです!
ぜひ、今度はもう少し大勢で、できれば泊りがけでどこか行けたら嬉しく思います。
次の機会を楽しみにしています!


束の間のドライブ

一昨日、高校時代からの友達のS・Iくんと久しぶりに会いました。
S・Iくんと会うのは「駆け足で岩内、そして倶知安へ」で述べましたが先月の6日と1ヶ月以上前のことでした。
今月から倶知安で働いているS・Iくんが仕事帰りに倶知安へ帰省中の僕の顔を見に来てくれ、S・Iくんの車で瑞穂小学校の跡地見物兼車の中で積もり話をして過ごしました。
束の間でしたが、久しぶりにS・Iくんの元気な顔を見ることができて良かったです。
今度、また時間を作ってS・Iくんとゆっくり過ごすことができればと思っています。


本家にて

一昨日、個人的には3年振りとなりますが倶知安町内にある父方の本家へ行ってきました。
今年2月、本家に住んでいた大伯父が亡くなり、大伯父の初盆ということもあり、仕事で来れなかった2つ下の弟を除いて父、母、4つ下の弟と家族4人に加え、祖母と伯母も一緒に本家へお参りに行ってきました。
本家ではこの日の午前中にお寺参りで個人的には6年振りに再会した伯従母と又従姉とも落ち合い、本家に住む大伯母も含めて9人で集まり、2時間近くワイワイ話してとても楽しい時間を過ごすことができました。
かつて、毎年お盆にはお寺参りやお墓参りの後に親戚大勢で温泉へ行くのが恒例行事で、毎年行ったことのない温泉を探して行くのがとても楽しみでした。
また、同じくお盆に僕と父と伯従父で近隣の町へ行ってイキのいいイカを買ってきて作ったイカ刺しと今は亡き大伯母が作ってくれた巻き寿司を親戚大勢で本家で食べたことも一度あり、もう10年以上前のことですがつい昨日のことのように覚えています。
しかし、時の流れとともに恒例行事も次第に途切れ、今では親戚で集まることもほとんどなくなってしまいました・・・。
そのような中で今年は9人という大人数の親戚で集まることができ、本当に良かったと思います。
1928年に建ったという本家から久しぶりに見渡す山々や木々、広々とした畑・・・自然いっぱいの風景がとても懐かしく、空気もとても美味しかったです。
今年をきっかけに、またこれから毎年親戚で集まれたらいいのになぁと心の中で思う今日この頃です。
 
 
 


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