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  • 2018.03.17 Saturday
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祖母の四十九日

先月8日、祖母の四十九日の法要がありました。

**********
ちょうど3ヶ月前の今日、つまり5月21日、最愛の祖母が他界しました。
享年91歳、老衰でした。
僕が生まれた時、既に母方の祖父母は他界しており、父方にも祖父はおらず、5月に亡くなった父方の祖母がたった1人の祖母であり、僕は兄弟、従姉弟を含めた孫の中で最もおばあちゃんっ子でした。
母の話だと僕が既に2歳の時、当時倶知安で一人暮らしをしていた祖母の自宅に泊まりに行ったほどだったそうです(結局、夜泣きして実家に戻ったそうですが 笑)。
僕が幼稚園に年中から入園した1995年、当時まだ週休2日制ではなく、幼稚園のなかった第2・4土曜日の前日(金曜日)に祖母の自宅に泊まりに行き、一泊して帰ってくるのが恒例行事となり、当時僕の一番の楽しみでもありました。
祖母の自宅に泊まりに行ったある日、祖母が作る夕食が美味しく、つい僕は何度もおかわりし、祖母は僕が食べたいだけ食べさせてくれ、結果的に食べ過ぎでお腹を壊してしまったことがありました。
急遽、父が迎えに来て、僕が悪いのに祖母が父に叱られ、それに加えて僕は普通に立って歩けるのに「歩けない…」と言い、祖母は腰が痛いのに重たい僕をおぶって父の車まで連れて行ってくれました。
その当時は冬で、僕が重いがために祖母が何度も雪に手をつきながら、父の車まで連れて行ってくれたのを今でも鮮明に覚えています。
その後、僕が幼稚園の年長だった1996年、祖母は早くに奥さんを亡くされた、かつて父と一緒に仕事をしたことがあった方(通称:喜茂別のおじさん)の自宅へ同居することになり、喜茂別へ移り住みました。
小学校入学後にも幼稚園時代同様、夏休みや冬休みには祖母の住む喜茂別のおじさんの自宅へ泊まりに行くのが毎年恒例行事となりました。

月日は流れ、僕が小学4年生となった2000年、祖母が係りつけの病院などの都合で再び倶知安へ戻ることになり、かつて祖母が一人暮らししていた自宅は既に人手に渡っていたため、実家で同居することになりました。
大好きな祖母との夢にまで見た同居生活、本当に嬉しかったのを今でも忘れません。
この生活は僕が高校1〜2年生頃(2006〜2007年頃)まで続きました。
その後、祖母が伯母(父の姉)の自宅(洞爺湖)へ移り住むことになりました。
祖母と毎日会えなくなるのは少し寂しかったですが、祖母が元気でさえいてくれればそれで良しと思っていました。
しかしながら、2010年、祖母が1人で洞爺湖の町中へ出かけた際、めまいを起こして倒れ、救急車で町内の病院へ運ばれ、入院生活を送ったことがありました(入院原因は転倒時の骨折)。
退院以降、趣味だった畑仕事もしなくなり、町中へ出かけることもなくなりました。
それでも祖母は徐々に歳を重ねつつも元気で過ごしており、2012年4月には2つ下の弟を除き、両親、4つ下の弟、伯母とともに祖母の米寿祝いもしました。
祖母が元気でいてくれることに安心していた一昨年10月、伯母が脳梗塞で倒れてしまい、以後祖母は訪問介護やデイサービスを利用しつつ引き続き洞爺湖で暮らすことになり、この年の年末に僕は父と一緒に洞爺湖へ行き、祖母の手を引きながら年末年始の買い出しに出かけたり、温泉へも連れていきました。
それから間もなく、祖母は味覚障害のようなものが起きて年末年始の数日をほとんど飲まず食わずの状態で過ごしてしまい、昨年の年始に両親が祖母の様子を見に行った際には栄養失調を起こしており、即入院となりました。
退院後、祖母の年齢ややはり一人暮らしは心配ということもあり、昨年2月に8〜9年振りに再び実家へ戻ってきました。
両親ともに仕事をしていることもあり、デイサービスやショートステイも利用しながらの同居でした。
僕が久しぶりに実家で祖母との時間をともにしたのは5月のゴールデンウィークに帰省した時で、元気そうで何よりだったことを覚えています。
3ヶ月後の8月にはもう何年振りになるのか分からないほど久しぶりに両親、祖母、2つ下の弟、4つ下の弟と家族6人全員で揃うことができ、さらに両親が数え年で還暦並びに銀婚式、祖母が卒寿、僕達男3兄弟の一番下の弟が二十歳を迎えて兄弟全員が無事成人するなどの節目が重なり、4つの節目を6人全員で祝うことができ、最初に祖母が実家に同居することになった2000年以来15年振りに家族写真を撮影することもできました(結果的に6人全員揃っての家族写真はこの時が最後となりました・・・)。
また、寺参りや墓参りにも祖母と一緒に行きましたが、これも昨年が最後となりました・・・。

祖母の元気な姿に安心し、お盆休みを終え、僕は札幌へ戻りましたが、それから間もなく祖母は肺に水が溜まって入院し、退院後に今度は再び味覚障害や食道狭窄で食事が摂れなくなって再入院し、しばらく病院での生活を余儀なくされることになり、年末年始も病院で過ごしました。
僕は昨年12月29日〜今年1月2日の5日間、実家へ帰省しました。
上記の通り、祖母は病院での生活を送っており、僕は帰省中の5日間毎日病院へ通い、祖母に会ってきました。
祖母は流動食ですが食べれるようになって元気だったので安心しつつ、ほんの5〜10分くらい何気ない話を一言二言話したのみでしたが、今となってはとてもかけがえのない時間でした。
なぜか毎日会いに行きたくなり、欠かさず行きました。
そのため、ここ数年祖母と会うのは年に2〜3回でしたが、実に年末年始だけで5回も会うことができました。
今思えば虫の知らせだったのかもしれません・・・。
その後、祖母は1月末に普通のごはんが食べられるようになったことで退院し、2月から老人ホームへ入所して以降は普通のおかずまでも食べられるまでに回復したということを母との電話の中で聞き、まだまだ生きてくれるものだと思っていました。
ところが、ある理由から僕はゴールデンウィークに倶知安へ帰省することになり、ゴールデンウィーク直前に母に倶知安へ帰省する旨を伝えるために電話をかけたところ、母から「実はおばあちゃんが1ヶ月近く食事摂れてなくて、あまり体調が良くないんだ・・・」という話を聞きました。
そして、僕は5月4日に倶知安へ帰省し、翌5日に母と一緒に祖母のお見舞いに行ってきました。
4月10日に祖母は誕生日を迎えて90歳となり、僕は手作りの誕生日カードを祖母にプレゼントしました。
祖母はとても褒め上手で、今までどんなに下手でも「上手だね!」と必ず褒めてくれました。
しかしながら、祖母は誕生日カードを手に取ってもそれを無言でじっと眺めるのみで、相当体調が良くないことが伺えました。
老人ホームの医師の方との話し合いの末、この日のうちに祖母は病院へ移り、三度入院することになりました。
昨年、一時食事が摂れなくなった時も病院へ入院したことで普通食を食べられるまでに回復したこともあったため、普通食とまではいかなくてもまた少しは食事を摂れるように回復するものだと信じていました。
それから僅か1週間後、祖母は意識レベルが低下してほぼ眠ったままとなり、最期は両親と4つ下の弟に看取られ、5月21日3時59分に亡くなりました。
僕が祖母の亡骸を見たのは翌22日のことで、半ば現実逃避をしていた僕にとっては本当にショックが大きく、まともに食事が喉を通らず、告別式のあった24日は最後のお別れでも、火葬場でも、実家へ戻っても、札幌へ戻ってもとにかく涙が止まりませんでした・・・。

幼稚園時代、僕は祖母に「おばあちゃんは何歳まで生きたいの?」と聞いたことがありました。
祖母は「やっちゃん(僕)が高校生になるまで生きれたらいいかな」と言っていました。
しかしながら、祖母は僕の高校入学どころか、僕達3兄弟全員が成人するまで元気でいてくれました。
僕の誕生日は5月25日です。
個人的には願わくば僕の誕生日まで生きて欲しいという気持ちがとても強かったですが、残念ながら僕の誕生日の4日前に亡くなってしまいました。
本当に残念でなりませんでしたが、僕はある物凄いことに気がついたのです。
祖母が亡くなったのは上記の通りで5月21日3時59分のことでしたが、この数字を一文字ずつ足すと、5+2+1+3+5+9=「25」・・・。
上記の通り、僕の誕生日は25日、しかも僕は今年で25歳になりました。
これはきっと祖母が僕に遺してくれた最期のメッセージだったのだと僕は信じています。

孫思いで心優しい祖母が僕は小さい頃から本当に大好きでした。
僕は祖母の孫で本当に幸せでした・・・。
**********

四十九日の前日の7日、2つ下の弟が車で僕の職場まで迎えに来てくれ、実家へ帰省しました。
祖母の葬式の時以来に家族と再会し、本当に時の流れとは早いものだとしみじみ思っていました。
夕食を食べ終え、父と弟2人と一緒に何気なくテレビを見ている時、不思議な出来事が起こりました。
僕の後ろをかすかな風が吹き、床を踏みしめる音が聞こえたのです。
僕が背を向けていたのは洋服タンスがある部屋なので、誰かが僕の後ろを通り、風呂に入るのに下着でも取りに行ったものだと思っていました。
ところが、改めて周りを見渡すと父も弟2人もテレビを見ており、母も台所で洗い物をしていました。
「あれっ?」と思い、母に話したところ、奇しくも僕が座っていたのは生前祖母が座っていた場所(祖母のイスがあった場所)だったらしく、きっと祖母が僕に歩み寄ってくれたのだと確信しました。
このような不思議な体験は人生で初めてだったので、本当に何とも言えない気持ちでしたが、とても嬉しかったのを覚えています。
翌8日、ついに迎えた四十九日は両親や弟2人に加え、伯母(父の姉)や母方の伯父(母の兄)も駆けつけてくれ、法要、納骨を無事に終えることができました。
伯父は午後から仕事があって帰宅しましたが、伯母も含めて久しぶりにみんなで食卓を囲んで食べた食事(仕出し)は本当に美味しかったです。
そして、何より晴天に恵まれた中で四十九日を行うことができ、本当に良かったです。



実家で法要を終えた後、ご院所さんが説法して下さった際に紹介していたお言葉がとても印象的でした。
「今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である」
僕にとって祖母の死は「二度と立ち直れないかもしれない・・・」と一時本気で思うほどの出来事で、人生で最も訪れて欲しくなかった出来事と言っても過言ではありませんでした。
時間の流れとともに立ち直ることはできましたが、今でも時折ふとした瞬間にどうしようもなく寂しくなることもあります。
しかしながら、生きている限り、後ろへ戻ることはできず、常に前へ進んでいかなければなりません。
祖母が生きられなかった1日を今後の人生も1日でも多く生きていきたいと思います。


2015年度運動会

過ぎし日の思い出37弾!
去る6月27日、僕の働いている認定こども園で運動会がありました。
僕が現職場に来て以来、毎年運動会といえば雨模様で、2012年度と2013年度は雨天中止で翌日の開催となり、前年度は何とか開催できましたが終盤で少し雨が降りました。
しかしながら、今年度は晴天に恵まれ、風もほど良く吹いており、とてもいい運動会日和でした。
今年度の運動会のテーマはブレーメンの音楽隊でした。
舞台は「おんぷランド」で、イヌのワンダー、ネコのニャロン、ロバのヨーイ、ニワトリののコンサートに招待され、コンサートが成功するように各学年がかけっこやお遊戯で四重奏にパワーを送るという設定の運動会でした。
僕は今年度フリーのため、全体的に見させていただきました。
0・1・2歳児は保護者と一緒に競技を行い、大好きな保護者と一緒の嬉しそうな顔がとても印象的でした。
年少は初めての運動会ということで緊張もありましたが、年少らしいあどけなさや可愛らしさをたくさん見せてくれました。
年中は前年度補助させてもらった子ども達で、前年度は全く踊らなかった子が踊っていたり、緊張して泣いていた子がノリノリで踊っていたり、様々な成長が見れてとても嬉しかったです。
年長は僕が初めて補助させてもらった子ども達で、「つい最近まで年少だったのになぁ」と感じつつ、よさこいやリレーを見せてもらい、とても感動しました。
卒園児にもたくさん会え、「やす先生ー!」と駆け寄ってきてくれる子ども達もたくさんおり、嬉しかったです。
そんなこんなで無事運動会を終えることができ、良かったです。


〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=222(2012年度お泊り会)
http://importants.jugem.jp/?eid=240(2012年度親子遠足in滝野すずらん公園)
http://importants.jugem.jp/?eid=258(2012年度発表会)
http://importants.jugem.jp/?eid=321(2013年度運動会)
http://importants.jugem.jp/?eid=326(2013年度親子遠足in円山動物園)
http://importants.jugem.jp/?eid=328(2013年度夏季園外保育in湯川公園)
http://importants.jugem.jp/?eid=361(変装第4弾!〜コンサート〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=364(2013年度発表会)
http://importants.jugem.jp/?eid=370(2013年度冬季園外保育in姉妹園)
http://importants.jugem.jp/?eid=372(2013年度冬季園外保育in熊の沢公園)
http://importants.jugem.jp/?eid=375(2013年度マザーズティーチャー)
http://importants.jugem.jp/?eid=377(2013年度クラスお別れ会)
http://importants.jugem.jp/?eid=378(2013年度修了式)
http://importants.jugem.jp/?eid=379(2013年度卒園式)
http://importants.jugem.jp/?eid=384(2014年度入園式)
http://importants.jugem.jp/?eid=385(2014年度年少休園日)
http://importants.jugem.jp/?eid=393(9ヶ月振りのアブラハム、そしてサプライズ〜年少中合同保育〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=395(2014年度親子レク)
http://importants.jugem.jp/?eid=400(2014年度運動会)
http://importants.jugem.jp/?eid=403(2014年度遠足in虹ヶ丘公園)
http://importants.jugem.jp/?eid=414(エビカニクス〜年少中合同保育〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=419(2014年度秋祭り)
http://importants.jugem.jp/?eid=427(約1年振りのさわじい〜年少中合同保育〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=431(2014年度ファザーズティーチャー)
http://importants.jugem.jp/?eid=434(2014年度マザーズティーチャー)
http://importants.jugem.jp/?eid=435(2014年度ファザーズティーチャー兼マザーズティーチャー)
http://importants.jugem.jp/?eid=441(2014年度発表会)
http://importants.jugem.jp/?eid=453(2014年度クラスお別れ会)
http://importants.jugem.jp/?eid=456(2014年度修了式)
http://importants.jugem.jp/?eid=457(2014年度卒園式)
http://importants.jugem.jp/?eid=458(2015年度入園式)

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2キロポテト

過ぎし日の思い出第36弾!
去る6月17日、高校時代からの友達のS・Iくんが僕の自宅に遊びに来てくれました。
S・Iくんと会うのは今年3月以来3ヶ月振りのことでした。
この日、僕は18時過ぎに仕事を終え、職場まで迎えに来てくれたS・Iくんの車で僕の自宅方面へ。
その途中、サツドラに寄り、タイトルにもある2キロのポテトを購入(笑)。
以前、S・Iくんが遊びに来た時にサツドラで1キロのポテトを買って完食し、後日に僕がサツドラで今度は2キロのポテトを見つけ、「今度は2キロのポテトに挑戦したいね!」と話しており、ついに実現の時が(笑)。
サツドラでポテトやおやきを買った後、今度は東光ストアでお弁当やお総菜、お菓子、お酒やジュースなどの飲み物を買いました。
S・Iくんが全て払ってくれ、本当にありがたかったです!
そして、僕の自宅に向かい、ポテトを揚げつつ、乾杯してお弁当やお惣菜を食べながら近況や悩み事を聞き合って過ごしました。
ちなみに、ポテトはというとS・Iくんがたくさんお弁当やお惣菜をご馳走してくれたお陰で満腹になり、結局4分の1しか食べられませんでした(笑)。
その後、笑点などを観て過ごし、0時過ぎには眠りにつきました。
翌朝、S・Iくんに職場まで送ってもらって解散しました。
次回は何も食べず、2キロのポテトを完食できたらと思っています(笑)。




結婚式〜元サークルメンバー集結〜

過ぎし日の思い出第35弾!
去る6月14日、専門学校時代からの友達のA・Iさんの結婚式がラヴェール教会にて行われ、出席してきました。
タイトルにもあるサークルとは専門学校時代にクラスメイト15人で立ち上げた表現サークルのことで、僕やA・Iさんもまたサークルメンバーで、奇しくもこの日出席した専門学校時代からの友達のR・Sさん、H・Nくん、H・FくんとY・Fくん夫妻、Y・Yくんもまたサークルメンバーでした。
また、さらに奇しくもラヴェール教会は僕が小学4年生の時に出席した従姉の結婚式の式場でもあり、まさに15年振りのラヴェール教会でした。
涙する花嫁のA・Iさんに感動しつつ、元サークルメンバーのみんなでA・Iさんの新たなる門出を祝わせてもらうことができ、良かったです!
また、今回、新郎新婦の共通のお友達の方が発起人となって新郎新婦のご両親やご親戚を始め、小中高や大学または専門学校の友達みんなでサプライズムービーを作るという壮大な企画があり、僕は専門学校時代の友達への声掛け係りを担当させていただき、M・Oくん、A・Kさん、S・Kくん、O・Sさん、H・Nくん、K・Nくん、A・Nさん、M・Mさん、C・Yさんが参加してくれました。
僕達専門学校時代の友達10人を含め、総勢103人の参加だったそうで、とても素晴らしく、感動的なサプライズムービーで、参加させていただいて本当に良かったと心から思いました!


その後、僕はH・Nくんと一緒に2次会に参加させてもらうことになっていましたが、2次会まで時間があったことや小腹が空いていたこともあり、ラーメンを食べに寶龍へ。
僕達ともに味噌ラーメンの半ラーメンを頼み、とても美味しかったです!
勘定はH・Nくんが払ってくれ、大変ありがたかったです!!
そして、ちょうど時間になり、2次会へ。
H・Nくんと近況や仕事の話をしながら過ごし、新郎新婦到着後にはA・Iさんとも近況や仕事の話をしたり、新郎さんとも少しお話させていただき、とても楽しいひと時でした!


今回、個人的には今年2度目の結婚式への出席でした。
サークルメンバーだったA・Iさんの新たなる門出を奇しくも元サークルメンバーだったみんなで祝わせてもらうことができ、本当に良かったです。
A・Iさん、大変遅ればせながら、結婚式に招待してくれて本当にありがとう!
末永くお幸せに!!

〈おまけ〉
その1

去る3月22日、サプライズムービーの撮影のため、K・Nくんが僕の自宅に来てくれました。
この日、昼食を食べに僕の自宅近くにある聚豊園へ行ってきました。
昨年11月にもK・Nくんと一緒に行き、奇しくもその時もまたH・FくんとY・F夫妻の結婚式のサプライズの写真撮影のために集まっていました。
僕は聚豊園へ行ったらほぼ絶対頼むザンギ定食をこの日も頼み、とても美味しかったです!
ちなみに、その2日後の24日にもサプライズムービーの撮影のためにK・Nくんが僕の自宅に来てくれました。


その2
去る4月1日、同じくサプライズムービーの撮影のため、M・Oくんが僕の自宅に来てくれました。
M・Oくんと会うのはこの日が今年初めてで、M・Oくんが買ってきてくれたポテトチップスをつまみながら近況や仕事の悩みを相談したりしつつ、過ごしました。
ちなみに、その2日後の3日、帰宅途中に雨の中自転車がパンクし、所持金が少なかったことや21時を過ぎておりATMも閉まっている状態だったため、M・Oくんに頼んで自転車と一緒に自宅まで送ってもらうことになりました(苦笑)。

その3
去る4月17日、サプライズムービーの撮影のため、三度K・Nくんが僕の自宅に来てくれました。
この日、夕食を食べに僕はすっかり行きつけとなったホルモン食堂へ一緒に行きました。
1週間前にも行ったばかりでしたが、何度食べてもとても美味しかったです!
ちなみに、K・Nくんがおごってくれ、大変ありがたかったです!!
その後、カラオケをしに道路挟んでホルモン食堂の向かいに当時あったカラオケドラマ(現在はまねきねこ)へ。
久しぶりに2人でカラオケへ行き、2時間たっぷり歌い、とても楽しかったです!





誕生日祝い、就職祝い、そしてもうひとつ・・・

過ぎし日の思い出第34弾!
去る6月13日、幼稚園時代からの幼馴染のS・Uくん、小学校時代からの幼馴染のT・Cくんと飲みに行ってきました。
この日は20時にすすきので待ち合わせ、久しぶりにしゃぶしゃぶの食べ飲み放題のしゃぶーんへ。
T・Cくんの誕生日並びに就職祝いも兼ねつつ、みんなで近況や思い出話に花を咲かせながら食べるしゃぶしゃぶや飲むお酒は本当に美味しく、とても最高でした!
また、今回ザンギのサービスもあり、ザンギもまたとても美味しかったです!!




店を出る前に色々話し合った結果、2人が僕の自宅に泊まりに来てくれることになり、T・Cくんは今年2月以来、S・Uくんは初めての宿泊でした。
その前にカラオケへ行くことになり、店は僕の自宅方面の東札幌に当時あったカラオケドラマ(現在は閉店し、まねきねことなって新装開店しました)に決まり、僕とS・Uくんは歩いて、T・Cくんは一度地下鉄で自宅に戻ってからカラオケドラマに集合することになりました。
約1時間後、カラオケドラマで集合しましたが、まさかの満席・・・。
そこで白石にあるまねきねこに問い合わせると空席があるということで、急遽まねきねこへ。
まねきねこに着いた時刻は0時半近くとなっていましたが、そこから2時間たっぷり歌いました。
しかしながら、さすがに眠気も徐々に押し寄せ、最後は完全燃焼(笑)。
そこから30分あるいて僕の自宅へ向かい、即爆睡(笑)。
そして、翌朝は10時前に起床し、本当はもう少しゆっくりしたかったのですが、僕はこの日結婚式があったため、3人で一緒に自宅を出て、途中まで一緒に歩き、そこから各々分かれて解散しました。

ところで、タイトルにもあるように今回の飲み会は僕にとってはもうひとつの意味のある飲み会でした。
去る5月21日、最愛の祖母が他界しました。
祖母とは5月5日に最後に会って話すことができ、それができたのも2人のお陰でした(最も最後になるとは思っていませんでしたが・・・)。
去る4月11日、S・Uくんからお誘いをもらい、T・Cくんと3人で飲みに行きました
その時、僕達3人の服の色が偶然同じだったのです。
3人で「あれ、にもあったよね!?」と談笑しつつ、S・Uくんが以前服の色が同じだった時に僕が書いて載せたフェイスブックのページを開き、3人で写真を見て懐かしみました。
また、そのフェイスブックのページにはS・Uくんの妹のA・Uちゃんが「私も混ざりたいです!」とコメントを寄せてくれていました。
そこから「そういえばA・Uちゃんともしばらく会ってないなぁ・・・」という話から始まり、次第にゴールデンウィークの話になりました。
当初、僕はゴールデンウィークを札幌で過ごそうと考えていましたが、聞けばS・UくんもT・Cくんもゴールデンウィークは倶知安へ帰省するということに加え、A・Uちゃんもまたゴールデンウィーク中は倶知安で過ごすということを聞き、「上手くみんなの都合が合うかはまだ分からないし、A・Uちゃんも参加してくれるという保証もないけど、とりあえず3人だけでもいいから倶知安でも集まろう!」という話になり、その場で僕も倶知安へ戻ることに決めました(その後、上記の通りで5月4日に倶知安へ帰省し、S・UくんやT・Cくんとも都合が合い、A・Uちゃん、さらにはT・Cくんの弟のK・Cくんや小学校時代からの幼馴染のH・Iくんらと4日と5日の2日間に亙って遊び、大いに楽しいゴールデンウィークでした)。
そして、ゴールデンウィーク直前に母に倶知安へ帰省する旨を伝えるために電話をかけたところ、母から「実はおばあちゃんが1ヶ月近く食事摂れてなくて、あまり体調が良くないんだ・・・」という話を聞き、上記の通り5月5日に母と一緒に祖母のお見舞いに行き、祖母と話してきました。
それから僅か1週間後、祖母は意識レベルが低下してほぼ眠ったままとなり、そのような状態になって初めて僕同様に地元を離れて暮らす2つ下の弟には母から話が伝わり、実家に暮らす4つ下の弟も祖母がまだ元気な時にお見舞いに行って以来だったそうで、遠方に暮らす従姉弟には祖母が亡くなってから話が伝わりました。
つまり、兄弟、従姉弟も含めた孫の中で最後に祖母と話すことができたのは僕だったのです。
それができたのもS・UくんとT・Cくんのお陰でした。
もしもS・Uくんが飲みに誘ってくれてなかったら、もしも2人とも倶知安に帰省しなかったら、もしも3人の服の色が違っていたら・・・僕は倶知安へ帰省していなかったでしょうし、弟達同様に祖母が危篤状態になってから連絡を受けていたことでしょう。
ある意味、これは虫の知らせだったのかもしれません・・・。
S・UくんとT・Cくんには本当に頭を下げても下がりきらないくらい本当に感謝をしています。
また、S・Uくんはいつも遊ぶ時に多めに勘定を払ってくれたり、僕の自宅の近くに住むT・Cくんは学校の課題や就活で忙しい中、祖母の危篤状態の時から死の直後まで部屋の灯りやテレビをつけたままでないと眠れないほど精神的に不安定だった僕を何度となく自宅に泊めてくれたり、祖母の告別式の翌25日は僕の誕生日で僕を元気づけようとカラオケバンバンに誘い並びに奢ってくれるなどメンタル面で支えてくれたり、そういった日頃の感謝も込め、今回はささやかながら僕がご馳走させてもらいました。
これくらいしか僕にはできませんでしたが、2人がとても喜んでくれたので、とにかく僕は感無量でした。
これからも幼馴染との親交をさらに深め、今後の人生もずっとおつき合いしていければと思っています。


2015年公式戦〈日本ハムVSDeNA〉1回戦in札幌ドーム

過ぎし日の思い出第33弾!
去る6月12日、昨年の稲葉篤紀氏(現在:日本ハムのスポーツ・コミュニティー・オフィサー〈通称:SCO〉)の引退試合以来、札幌ドームへ野球観戦に行ってきました。
この日、職場の先輩からチケットを譲り受け、急遽行くことになり、今季初の札幌ドームでした。
まずはこの日のスターティングラインナップを紹介します(敬称略)。

先攻:DeNA
1番(中)荒波翔
2番(遊)飛雄馬
3番(右)梶谷隆幸
4番(指)筒香嘉智
5番(一)ホセ・ロペス
6番(三)アーロム・バルディリス
7番(二)石川雄洋
8番(左)乙坂智
9番(捕)嶺井博希
先発(投)山口俊

後攻:日本ハム
1番(左)西川遥輝
2番(遊)中島卓也
3番(二)田中賢介
4番(一)中田翔
5番(中)岡大海
6番(指)矢野謙次
7番(右)淺間大基
8番(三)ブランドン・レアード
9番(捕)大野奨太
先発(投)武田勝

3年振りに日本ハムに復帰した田中選手!



前日の11日に巨人からトレードで移籍し、この日今季初出場だった矢野選手!


7回表、スタンドは青風船一色に!


11回裏、5時間近くに及ぶ熱戦をサヨナラで制した日本ハムの勝利を祝してスタンドは白風船一色に!


ヒーローは移籍後にいきなり3安打猛打賞の活躍を見せた矢野選手!


勝利の花火!


この日は仕事を終えてから一度帰宅後に札幌ドームへ向かったため、途中からの試合観戦となりました。
上記した通り、5時間近くの熱線で、まさにシーソーゲームでした。
1回裏、岡選手が二死一、二塁の場面で右翼への適時打を放って日本ハムが1点を先制するも、2回表に同点とされ、3回表には2点を追加されて逆転を許しました。
4回裏、レアード選手が一死二塁の場面で左翼への2点本塁打で同点とし、さらに5回裏にはルーキーの淺間選手が二死満塁の場面で中堅への2点適時打で逆転しますが、6回表には1点差に。
7回裏、選手会長の大野選手が二死一、三塁の場面で中堅への適時打で1点を追加し、さらに続く西川選手が二死一、二塁の場面で右翼への適時二塁打でさらに1点を追加してそのまま勝利・・・かと思いきや、8回表にまさかの3点を追加されて同点となり、そのまま延長線へ。
11回裏、先頭の矢野選手がこの日3本目となる安打(左翼越えの二塁打)を放つと、淺間選手に代わって代打で登場した杉谷拳士選手が四球で出塁し、さらにレアード選手に代わって代打で登場した飯山裕志選手が犠打を決め、さらに西川選手が四球で出塁して二死満塁となり、最後はこの回からリリーフ登板していた国吉佑樹投手の暴投で日本ハムがサヨナラ勝ちを決めました。
本心としては最後は打ってサヨナラを決めて欲しかったですが・・・それでも勝ちは勝ちなので、良かったです。
また、僕の大ファンである稲葉氏が昨季限りで引退し、正直もう札幌ドームで観戦することはないかもしれないと思っていましたが、やっぱり生の観戦は最高でした!
また機会を見つけ、札幌ドームへ行けたらと思います!!

〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=180(2012年公式戦〈日本ハムVSオリックス〉7回戦in札幌ドーム)
http://importants.jugem.jp/?eid=194(2012年公式戦〈日本ハムVSDeNA〉2回戦in札幌ドーム〜稲葉篤紀2000本安打メモリアルナイター〜)
http://importants.jugem.jp/?eid=246(2012年公式戦〈日本ハムVS西武〉23回戦in札幌ドーム)
http://importants.jugem.jp/?eid=248(3年振りのリーグ優勝in札幌ドーム)
http://importants.jugem.jp/?eid=249(2012年公式戦〈日本ハムVSソフトバンク〉最終戦in札幌ドーム)
http://importants.jugem.jp/?eid=254(2012年日本シリーズ〈日本ハムVS巨人〉第4戦in札幌ドーム)
http://importants.jugem.jp/?eid=390(2014年公式戦〈日本ハムVS西武〉8回戦in札幌ドーム)
http://importants.jugem.jp/?eid=430(2014年公式戦〈日本ハムVS楽天〉24回戦in札幌ドーム〜日本ハム最終戦、そして稲葉篤紀選手引退試合〜)


日本プロ野球史上45人目の通算2000安打

過ぎし日の思い出第32弾!
去る6月11日、ロッテVS中日3回戦で中日の和田一浩選手が日本プロ野球史上45人目となる通算2000安打を達成しました。
この日、2000安打まで残り2本と迫っていた和田選手は6番指名打者で先発出場し、1回2死満塁の場面で迎えた第1打席でロッテ先発の植松優友投手から先制の2点適時打を放ち、続く2回2死一塁の場面で迎えた第2打席で同じく植松投手から左翼線へ安打を放ち、2000安打達成となりました。
和田選手は大学、社会人を経て25歳の時にドラフト4位で西武に入団し、調べるとレギュラーに定着したのは30歳の時だったそうです。
和田選手本人も「まさかこの数字に到達できるとはプロに入った頃には思っていなかった」と言い、その言葉通り42歳11ヶ月での2000安打達成は一昨年の谷繁元信選手(現・選手兼任監督)の42歳4ヶ月を抜き、歴代最年長記録となりました。
その後もコンスタントに安打を積み重ねる和田選手。
あと何年現役で活躍して下さるか分かりませんが、今後とも和田選手らしいご活躍を祈っております!
大変遅ればせながら、和田選手、2000安打達成、本当におめでとうございました!!


〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=53(日本プロ野球史上38人目の通算2000安打)
http://importants.jugem.jp/?eid=175(日本プロ野球史上39人目の通算2000安打)
http://importants.jugem.jp/?eid=182(日本プロ野球史上40人目の通算2000安打)
http://importants.jugem.jp/?eid=212(日本プロ野球史上41人目の通算2000安打)
http://importants.jugem.jp/?eid=297(日本プロ野球史上42人目の通算2000安打)
http://importants.jugem.jp/?eid=304(日本プロ野球史上43人目の通算2000安打)
http://importants.jugem.jp/?eid=305(日本プロ野球史上44人目の通算2000安打)


結婚式〜催し盛りだくさんの大披露宴〜

過ぎし日の思い出第31弾!
去る5月30日、専門学校時代からの友達のN・Sくんの結婚式がジャルダン・ドゥ・ボヌールにて行われ、出席してきました。
N・Sくんとは専門学校時代から幾度となくプライベートで一緒に遊び、特に印象に残っているのは2年次の夏休みの最後の方にルスツリゾートへ行ったことや2年連続のクリスマスパーティー(2010年2011年)などが思い浮かびます。
専門学校時代の元クラスメイトはM・Oくん、E・Oくん、A・Kさん、O・Sさん、Y・Bさん、Y・Mさん、H・FくんとY・F夫妻、M・Mさん、C・Yさん、Y・Yさん、Y・Yくんが出席し、新郎を含めて総勢14人が集まり、さらには専門学校在籍当時にピアノや表現の授業でお世話になったT・H先生も出席しておられました。
N・Sくんの結婚式はタイトル通り催しが本当に盛りだくさんでした!
屋外での挙式後にワンピースの人物に扮した式場の方が登場し、おつまみやお酒をいただきつつ、ダーツやビリヤードなどのゲームに自由に参加でき、ゲームで勝った分だけおもちゃのお金をもらえ、披露宴ではそのお金を使ったオークションが行われ、商品はディズニーランドのペアーチケット、新郎新婦のワンピース風絵画、ドンペリがありました。
たくさんの催しを楽しみながら、美味しい料理やお酒もいただきつつ、元クラスメイト達と近況や思い出話に花を咲かせながら、とても楽しいひと時を過ごすことができました。
ちなみに、僕が頼んだお酒はカシスオレンジでしたが、式場の方が面白く、写真を見ていただければ分かりますが、カシスオレンジの上に丸ごと1個のオレンジが(笑)!
こういった面も含め、本当に楽しませていただきました!!




その後、ラウンジ ヴァローレでの2次会にも参加させてもらい、2次会にはM・Tさんも参戦!
新郎新婦到着後、ここでも催しが行われ、ひとつは哺乳瓶でのコーラ早飲み競争(笑)、もうひとつは新郎新婦の合計体重当てクイズでした。
コーラの早飲み競争は抽選で男女のペアが決められ(男子がコーラーを飲み、女子は哺乳瓶を持つ役)、僕はM・Mさんとペアになり、結果は3位でムール貝の缶詰とベーコンの缶詰をいただき、重当てクイズではピッタリ賞はおらず、1キロ差賞で僕を含めた4人でのジャンケンで僕が優勝してホットプレートをいただきました!
昨年のH・FくんとY・Fさん夫妻の結婚式の2次会の抽選会でも最後の最後に5000円分の買い物券が当たり、前回といい今回といい本当につくづくついてました!!

今回、たくさんの催しで楽しませてもらいつつ、友達の門出を祝わせていただくことができ、本当に良かったです。
N・Sくん、大変遅ればせながら、結婚式に招待してくれて本当にありがとう!
末永くお幸せに!!


初メンで連日レジャー〜2つの8年振り、初対面、ドライブ〜

過ぎし日の思い出第30弾!
去る5月4日と5日、幼稚園時代からの幼馴染のS・Uくんと同じく幼馴染のA・Uちゃん兄妹、小学校時代からの幼馴染のT・CくんとK・Cくん兄弟、小学校時代からの幼馴染のH・Iくんと遊んできました。
A・Uちゃんと会うのは僕が高校2年生の時、当時中学3年生だった僕の弟やA・Uちゃん、同じく中学1年生だった僕の弟の学校祭を観に行った時に会って以来8年振り、現在中学1年生のT・Cくんの弟のK・Cくんと会うのは全員初めてでした。
また、今回倶知安で集まることは4月11日にS・UくんとT・Cくんと集まった時に決めており、最終的に僕を含めた3人以外に上記のメンバーが参加してくれ、とても嬉しかったです!

1日目の4日、S・UくんとA・Uちゃん兄妹、T・CくんとK・Cくん兄弟と5人で焼き肉店の一起とカラオケ店の歌屋へ行ってきました。
僕は夕方に札幌から倶知安へ帰省し、一度帰宅後、A・Uちゃんが車で迎えに来てくれ、S・Uくんと3人で一緒に一起へ向かい、T・CくんとK・Cくん兄弟は現地で合流しました。
個人的に一起へ行くのは奇しくもA・Uちゃんと最後に会った高校2年生の時で、当時僕は生徒会で会計をしており、学校祭の打ち上げで生徒会の先輩方と一緒に行った時以来8年振りのことでした(もちろん、当時全員未成年なので、当然飲酒はしませんでした)。
当時、一起へ行った後、総合体育館の駐車場で花火をし、先輩にねずみ花火を僕の方へ投げられまくったのが懐かしいです(笑)。
その話は置いておき、8年振りの一起の焼き肉は本当に美味しかったですし、このメンバーでお酒を飲むのも初めてかつ何より思い出話に花が咲き、本当に楽しいひと時でした(くどいようですが、K・Cくんは未成年のため、当然飲酒はしていません)!
また、T・Cくんが隣町のニセコにある道の駅のニセコビュープラザへ行ってみたいという話をしており、翌日僕を含めた5人のメンバーに加え、この日札幌から倶知安へ一緒に帰ってきた小学校時代からの幼馴染のH・Iくんも含め、6人でドライブでニセコまで行くことが決まりました!!
そうこう話している時、後ろから僕達の肩を叩く人が・・・。
何と小学校時代からの幼馴染のR・Sくんだったのです!
個人的にR・Sくんに会うのは成人式と東陵中学校同窓会の時以来で、とても懐かしかったです!!
そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、1次会はここでお開き。
店を出る前にみんなで記念撮影!
会計は一応割り勘ですが、S・UくんとA・Uちゃん兄妹が多く出してくれ、ありがたかったです!!



その後、当初から予定していたわけではありませんが、流れで2次会を行うことになり、歌屋へ!
当初、2時間の予定でしたが、歌い足りず、延長して結局トータル3時間半歌い、本当にこちらも楽しいひと時でした!!
時刻は日付も変わって0時半を過ぎ、T・CくんとK・Cくん兄弟は歩いて帰宅し、僕はA・Uちゃんに送ってもらい、1日目が終了しました。

2日目の5日、上記の通り5人のメンバーにH・Iくんも加え、6人でニセコビュープラザ、味の時計台、再び歌屋へ行ってきました。
11時半頃、この日は僕が実家のワゴン車を借り、みんなを迎えに行きました。
そのままニセコへ向かい、個人的にニセコビュープラザへ行くのは初めてだったため、ナビは道を知っているT・CくんやA・Uちゃんに任せ、無事ニセコビュープラザへ着きました。
しばらく店巡りをした後、キレイな羊蹄山をバックにみんなで記念撮影!



その後、倶知安へ戻り、昼食は味の時計台へ。
個人的に久しぶりの味の時計台でチャーハンかラーメンか迷いましたが、結果的にチャーハンにし、とても美味しかったです!
・・・が、僕以外みんなラーメンを食べていたので、やっぱりラーメンにすれば良かったかなとも思ったり(笑)。


T・CくんとK・Cくん兄弟は予定があってここで帰宅し、残った4人はどうするか話し合い、カラオケをしに高校時代によく通ったドレミへ。
個人的にドレミへ行くのは社会人1年目だった2011年に行って以来4年振で、とても懐かしかったです!
また、店主の方が僕やH・Iくん、S・Uくんのことを覚えていて下さり、とても嬉しかったです!!
しかしながら、店舗の規模縮小で部屋が減り、この日は満席で、2時間待ちの状態でした。
どうするかみんなで話し合った結果、歌屋へ行くことになりました。
歌屋でも20分ほど待ちましたが、待ってから3時間歌い、とても楽しかったですが、前日も3時間半歌ったので、もう喉がお陀仏でした(笑)。
カラオケを終え、「ツタヤに寄るから、歩いて帰るわ」というS・Uくん以外のみんなを自宅まで送って行き、その後ツタヤへ行ったらまだS・Uくんがいたので、S・Uくんとツタヤ巡りをした後、みうら菓子店に寄って各々お土産を買い、S・Uくんを自宅まで送って行き、2日目が終了しました。

今回、札幌でもよく集まっているS・UくんやT・Cくんに加え、H・Iくん、8年振りの再会となったA・Uちゃん、初対面となったK・Cくんと濃い2日間を過ごすことができ、本当に充実したいいひと時でした。
またみんなの休みが合った時にはぜひ再び集まりたいですし、個人的に近間でもいいので泊りがけの旅行へも行ってみたいなと思っています!


日本プロ野球記録更新の27年連続安打、そして27年連続本塁打

過ぎし日の思い出第29弾!
去る5月4日、阪神VS中日7回戦で中日の谷繁元信選手兼任監督が自身の持つ日本プロ野球記録更新となる27年連続安打、同じく27年連続本塁打を達成しました。
3回表の第1打席で先頭打者として阪神先発のランディ・メッセンジャー投手から中前打を放ち、4回表の第2打席で一死2、3塁の場面で左翼へ今季1号となる3点本塁打を放ち、それぞれ記録更新となりました。
もうただただ素晴らしいの一言で、あと何年現役でご活躍して下さるのか分かりませんが、28年、29年、30年と記録の更新を楽しみにしています。
大変遅ればせながら、谷繁選手兼任監督、27年連続安打、そして27年連続本塁打、本当におめでとうございました!

〈リンク〉
http://importants.jugem.jp/?eid=305(日本プロ野球史上44人目の通算2000安打)
http://importants.jugem.jp/?eid=405(日本プロ野球新記録の26年連続本塁打)
http://importants.jugem.jp/?eid=415(日本プロ野球新記録の通算捕手2922試合出場)
http://importants.jugem.jp/?eid=462(日本プロ野球史上2人目の通算3000試合出場)


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