スポンサーサイト

  • 2017.06.24 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

一定期間更新がないため広告を表示しています


祖母の月命日

過ぎし日の思い出第11弾!
去る昨年9月21日、亡き祖母の月命日でした。
19日からシルバーウィークで倶知安へ帰省しており、ちょうど月命日にお参りすることができました。
また、実家では毎月21日にご院所さんにお参りに来ていただいており、ご院所さんと一緒にお参りすることもでき、良かったです。
今後また月命日に帰省できる時には帰省し、お参りできたらと思います。


祖母の百箇日

過ぎし日の思い出第9弾!
去る昨年8月28日、亡き祖母の百箇日でした。
百箇日の法要があったわけではありませんが、ただただ祖母の仏前に手を合わせたく、実家へ帰省しました。
両親には帰省することを伝えていなかったため、突然の帰省にとても驚いていました。
生前、祖母が好きだった助六寿司を祀り、線香を上げてきました。
翌日は仕事だったため、朝のうちに札幌へ戻りました。
午後から仕事だったので、供養の意味も込めて前日祀った助六寿司と母が持たせてくれたおかずを食べ、職場へ向かいました。
四十九日が終わったばかりと思っていたらあっという間に百箇日を迎え、時間の流れとは早いものだと改めてしみじみと感じたことを今でも鮮明に覚えています・・・。



祝・還暦

過ぎし日の思い出第6弾!
去る昨年8月14日、実家で両親の還暦祝いをしました。
ちょうど1年前、両親が数え年で還暦及び結婚25年目、祖母の卒寿、僕達男3兄弟の一番下(4つ下)の弟が二十歳を迎えて兄弟全員が無事に成人するなど4つの節目が重なり、家族6人全員揃って内祝いをしました。
その後、昨年5月に祖母は亡くなってしまいましたが、両親の正式な還暦を祝うべく両親には内緒で兄弟3人で企画し、昨年も家族5人全員揃って内祝いをしました。
一昨年はスーパーの惣菜で済ませてしまったので、昨年は2つ下の弟お勧めの、弟が在住している岩内の清寿司の寿司を取り寄せました。
14日、弟の車で岩内へ!
寿司を取りに行く時間まで少し時間があったので、弟の自宅にお邪魔し、少し時間潰しをしてから清寿司に向かいました。
寿司を受け取り、倶知安へ戻る帰り道、私用で共和にある鳳翔寺に立ち寄りました。
僕の小学生時代、倶知安の近隣の住職さんが集まって企画していたお寺のお泊り会が毎年夏休み期間にあり、僕も小学4年生時を除き、毎年参加していました。
その時、僕のことを「やっくん」と呼んで可愛がって下さったのが鳳翔寺の住職さんで、久しぶりにお会いしたく、訪れました。
かれこれお会いするのも僕が中学2年生時以来(当時、2つ下の弟が小学6年生で、お泊り会に参加していましたが、開催地が倶知安だったため、僕も住職さん達に会いに行きました)11年振りのことで、住職さんも突然の訪問に大変驚いておられました。
30分近く住職さんと奥様とお話しし、奥様も僕のことを覚えていて下さったようで、とても嬉しかったです!
・・・という余談はここまでにし、倶知安のラッキーでおかずやそばなどを買い、自宅へ。
夕食前に赤いちゃんちゃんこをプレゼントし、両親も「まさか自分達が着るとは思わなかった」と驚きつつ喜んでくれ、とても嬉しかったです!
赤いちゃんちゃんこを纏った両親の写真、1年振りの家族写真を撮影し、撮影を終えようとしたところ、2つ下の弟が「ばあちゃんも写してあげようよ!」と提案し、祖母の遺影も含めた家族写真も撮影しました。
当初、僕も祖母の遺影を一緒に写すべきか迷っていましたが、結果的にとてもいい写真となり、一緒に写して本当に良かったです!
そして、その後は美味しいご馳走を家族全員で堪能し、お酒も飲みながら色々と語り合い、とても楽しい内祝いでした!!


昨年は祖母が亡くなり、僕達兄弟にとっては初めて身近な身内の死で、改めて家族と当たり前に過ごせることがいかに幸せなことかを感じました。
今年は特に何も節目はありませんが、また家族全員揃って集まれたらと思っています!
今年は1泊2日で温泉旅行にでも行けたらいいなぁ〜!!


祖母の四十九日

先月8日、祖母の四十九日の法要がありました。

**********
ちょうど3ヶ月前の今日、つまり5月21日、最愛の祖母が他界しました。
享年91歳、老衰でした。
僕が生まれた時、既に母方の祖父母は他界しており、父方にも祖父はおらず、5月に亡くなった父方の祖母がたった1人の祖母であり、僕は兄弟、従姉弟を含めた孫の中で最もおばあちゃんっ子でした。
母の話だと僕が既に2歳の時、当時倶知安で一人暮らしをしていた祖母の自宅に泊まりに行ったほどだったそうです(結局、夜泣きして実家に戻ったそうですが 笑)。
僕が幼稚園に年中から入園した1995年、当時まだ週休2日制ではなく、幼稚園のなかった第2・4土曜日の前日(金曜日)に祖母の自宅に泊まりに行き、一泊して帰ってくるのが恒例行事となり、当時僕の一番の楽しみでもありました。
祖母の自宅に泊まりに行ったある日、祖母が作る夕食が美味しく、つい僕は何度もおかわりし、祖母は僕が食べたいだけ食べさせてくれ、結果的に食べ過ぎでお腹を壊してしまったことがありました。
急遽、父が迎えに来て、僕が悪いのに祖母が父に叱られ、それに加えて僕は普通に立って歩けるのに「歩けない…」と言い、祖母は腰が痛いのに重たい僕をおぶって父の車まで連れて行ってくれました。
その当時は冬で、僕が重いがために祖母が何度も雪に手をつきながら、父の車まで連れて行ってくれたのを今でも鮮明に覚えています。
その後、僕が幼稚園の年長だった1996年、祖母は早くに奥さんを亡くされた、かつて父と一緒に仕事をしたことがあった方(通称:喜茂別のおじさん)の自宅へ同居することになり、喜茂別へ移り住みました。
小学校入学後にも幼稚園時代同様、夏休みや冬休みには祖母の住む喜茂別のおじさんの自宅へ泊まりに行くのが毎年恒例行事となりました。

月日は流れ、僕が小学4年生となった2000年、祖母が係りつけの病院などの都合で再び倶知安へ戻ることになり、かつて祖母が一人暮らししていた自宅は既に人手に渡っていたため、実家で同居することになりました。
大好きな祖母との夢にまで見た同居生活、本当に嬉しかったのを今でも忘れません。
この生活は僕が高校1〜2年生頃(2006〜2007年頃)まで続きました。
その後、祖母が伯母(父の姉)の自宅(洞爺湖)へ移り住むことになりました。
祖母と毎日会えなくなるのは少し寂しかったですが、祖母が元気でさえいてくれればそれで良しと思っていました。
しかしながら、2010年、祖母が1人で洞爺湖の町中へ出かけた際、めまいを起こして倒れ、救急車で町内の病院へ運ばれ、入院生活を送ったことがありました(入院原因は転倒時の骨折)。
退院以降、趣味だった畑仕事もしなくなり、町中へ出かけることもなくなりました。
それでも祖母は徐々に歳を重ねつつも元気で過ごしており、2012年4月には2つ下の弟を除き、両親、4つ下の弟、伯母とともに祖母の米寿祝いもしました。
祖母が元気でいてくれることに安心していた一昨年10月、伯母が脳梗塞で倒れてしまい、以後祖母は訪問介護やデイサービスを利用しつつ引き続き洞爺湖で暮らすことになり、この年の年末に僕は父と一緒に洞爺湖へ行き、祖母の手を引きながら年末年始の買い出しに出かけたり、温泉へも連れていきました。
それから間もなく、祖母は味覚障害のようなものが起きて年末年始の数日をほとんど飲まず食わずの状態で過ごしてしまい、昨年の年始に両親が祖母の様子を見に行った際には栄養失調を起こしており、即入院となりました。
退院後、祖母の年齢ややはり一人暮らしは心配ということもあり、昨年2月に8〜9年振りに再び実家へ戻ってきました。
両親ともに仕事をしていることもあり、デイサービスやショートステイも利用しながらの同居でした。
僕が久しぶりに実家で祖母との時間をともにしたのは5月のゴールデンウィークに帰省した時で、元気そうで何よりだったことを覚えています。
3ヶ月後の8月にはもう何年振りになるのか分からないほど久しぶりに両親、祖母、2つ下の弟、4つ下の弟と家族6人全員で揃うことができ、さらに両親が数え年で還暦並びに銀婚式、祖母が卒寿、僕達男3兄弟の一番下の弟が二十歳を迎えて兄弟全員が無事成人するなどの節目が重なり、4つの節目を6人全員で祝うことができ、最初に祖母が実家に同居することになった2000年以来15年振りに家族写真を撮影することもできました(結果的に6人全員揃っての家族写真はこの時が最後となりました・・・)。
また、寺参りや墓参りにも祖母と一緒に行きましたが、これも昨年が最後となりました・・・。

祖母の元気な姿に安心し、お盆休みを終え、僕は札幌へ戻りましたが、それから間もなく祖母は肺に水が溜まって入院し、退院後に今度は再び味覚障害や食道狭窄で食事が摂れなくなって再入院し、しばらく病院での生活を余儀なくされることになり、年末年始も病院で過ごしました。
僕は昨年12月29日〜今年1月2日の5日間、実家へ帰省しました。
上記の通り、祖母は病院での生活を送っており、僕は帰省中の5日間毎日病院へ通い、祖母に会ってきました。
祖母は流動食ですが食べれるようになって元気だったので安心しつつ、ほんの5〜10分くらい何気ない話を一言二言話したのみでしたが、今となってはとてもかけがえのない時間でした。
なぜか毎日会いに行きたくなり、欠かさず行きました。
そのため、ここ数年祖母と会うのは年に2〜3回でしたが、実に年末年始だけで5回も会うことができました。
今思えば虫の知らせだったのかもしれません・・・。
その後、祖母は1月末に普通のごはんが食べられるようになったことで退院し、2月から老人ホームへ入所して以降は普通のおかずまでも食べられるまでに回復したということを母との電話の中で聞き、まだまだ生きてくれるものだと思っていました。
ところが、ある理由から僕はゴールデンウィークに倶知安へ帰省することになり、ゴールデンウィーク直前に母に倶知安へ帰省する旨を伝えるために電話をかけたところ、母から「実はおばあちゃんが1ヶ月近く食事摂れてなくて、あまり体調が良くないんだ・・・」という話を聞きました。
そして、僕は5月4日に倶知安へ帰省し、翌5日に母と一緒に祖母のお見舞いに行ってきました。
4月10日に祖母は誕生日を迎えて90歳となり、僕は手作りの誕生日カードを祖母にプレゼントしました。
祖母はとても褒め上手で、今までどんなに下手でも「上手だね!」と必ず褒めてくれました。
しかしながら、祖母は誕生日カードを手に取ってもそれを無言でじっと眺めるのみで、相当体調が良くないことが伺えました。
老人ホームの医師の方との話し合いの末、この日のうちに祖母は病院へ移り、三度入院することになりました。
昨年、一時食事が摂れなくなった時も病院へ入院したことで普通食を食べられるまでに回復したこともあったため、普通食とまではいかなくてもまた少しは食事を摂れるように回復するものだと信じていました。
それから僅か1週間後、祖母は意識レベルが低下してほぼ眠ったままとなり、最期は両親と4つ下の弟に看取られ、5月21日3時59分に亡くなりました。
僕が祖母の亡骸を見たのは翌22日のことで、半ば現実逃避をしていた僕にとっては本当にショックが大きく、まともに食事が喉を通らず、告別式のあった24日は最後のお別れでも、火葬場でも、実家へ戻っても、札幌へ戻ってもとにかく涙が止まりませんでした・・・。

幼稚園時代、僕は祖母に「おばあちゃんは何歳まで生きたいの?」と聞いたことがありました。
祖母は「やっちゃん(僕)が高校生になるまで生きれたらいいかな」と言っていました。
しかしながら、祖母は僕の高校入学どころか、僕達3兄弟全員が成人するまで元気でいてくれました。
僕の誕生日は5月25日です。
個人的には願わくば僕の誕生日まで生きて欲しいという気持ちがとても強かったですが、残念ながら僕の誕生日の4日前に亡くなってしまいました。
本当に残念でなりませんでしたが、僕はある物凄いことに気がついたのです。
祖母が亡くなったのは上記の通りで5月21日3時59分のことでしたが、この数字を一文字ずつ足すと、5+2+1+3+5+9=「25」・・・。
上記の通り、僕の誕生日は25日、しかも僕は今年で25歳になりました。
これはきっと祖母が僕に遺してくれた最期のメッセージだったのだと僕は信じています。

孫思いで心優しい祖母が僕は小さい頃から本当に大好きでした。
僕は祖母の孫で本当に幸せでした・・・。
**********

四十九日の前日の7日、2つ下の弟が車で僕の職場まで迎えに来てくれ、実家へ帰省しました。
祖母の葬式の時以来に家族と再会し、本当に時の流れとは早いものだとしみじみ思っていました。
夕食を食べ終え、父と弟2人と一緒に何気なくテレビを見ている時、不思議な出来事が起こりました。
僕の後ろをかすかな風が吹き、床を踏みしめる音が聞こえたのです。
僕が背を向けていたのは洋服タンスがある部屋なので、誰かが僕の後ろを通り、風呂に入るのに下着でも取りに行ったものだと思っていました。
ところが、改めて周りを見渡すと父も弟2人もテレビを見ており、母も台所で洗い物をしていました。
「あれっ?」と思い、母に話したところ、奇しくも僕が座っていたのは生前祖母が座っていた場所(祖母のイスがあった場所)だったらしく、きっと祖母が僕に歩み寄ってくれたのだと確信しました。
このような不思議な体験は人生で初めてだったので、本当に何とも言えない気持ちでしたが、とても嬉しかったのを覚えています。
翌8日、ついに迎えた四十九日は両親や弟2人に加え、伯母(父の姉)や母方の伯父(母の兄)も駆けつけてくれ、法要、納骨を無事に終えることができました。
伯父は午後から仕事があって帰宅しましたが、伯母も含めて久しぶりにみんなで食卓を囲んで食べた食事(仕出し)は本当に美味しかったです。
そして、何より晴天に恵まれた中で四十九日を行うことができ、本当に良かったです。



実家で法要を終えた後、ご院所さんが説法して下さった際に紹介していたお言葉がとても印象的でした。
「今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である」
僕にとって祖母の死は「二度と立ち直れないかもしれない・・・」と一時本気で思うほどの出来事で、人生で最も訪れて欲しくなかった出来事と言っても過言ではありませんでした。
時間の流れとともに立ち直ることはできましたが、今でも時折ふとした瞬間にどうしようもなく寂しくなることもあります。
しかしながら、生きている限り、後ろへ戻ることはできず、常に前へ進んでいかなければなりません。
祖母が生きられなかった1日を今後の人生も1日でも多く生きていきたいと思います。


家族とともに〜2014年大晦日〜

過ぎし日の思い出第9弾!
去る昨年12月31日、2014年の締めくくりの日を家族とともに迎えることができました。
仕事だった2つ下の弟、当時入院中だった祖母は残念ながら不在でしたが、父、母、4つ下の弟とともにこの日の朝に父と一緒に買ってきた寿司や母の手料理、年越しそばを食べることができ、家族みんなで食べる食事はとても美味しかったです!
毎年、欠かさず写真を撮ってきましたが、昨年は撮り忘れてしまい、寂しいブログとなってしまい、あしからず(笑)。
今年は撮り忘れないようにします(笑)。
そして、今年もすでに半分終わってしまいましたが、今年も家族との時間を大切にしていきたいです。


家族6人全員揃って〜4つの節目を祝す〜

過ぎし日の思い出第29弾!
去る8月9日、お盆休みを利用してゴールデンウィーク以来に実家に帰省してきました。
その4日後の13日、両親や祖母には内緒でサプライズパーティーを行いました。
何のサプライズかと言えば、今年は両親が数え年で還暦(来年、正式な還暦)及び結婚25年目、祖母が卒寿(数え年で90歳)、僕達男3兄弟の一番下(4つ下)の弟が二十歳を迎えて兄弟全員が無事に成人するなど様々な節目が重なり、これだけの節目が重なることもなかなかないため、1月から弟達と秘密で企画してきました。
まあ、パーティーといっても兄弟で割り勘して惣菜を買ってきて実家で食べただけですが(笑)。
それでも、両親や祖母はとても喜んでくれて本当に良かったですし、家族全員揃って美味しいものをたくさん食べ、早めに眠りについた祖母とあまりお酒が好きではない4つ下の弟を除いてみんなでお酒を飲みながら語り合い、本当に楽しいひと時でした。
さらに、僕からのサプライズで家族みんなに名前入りのコーヒーカップをプレゼントし、これもまた両親や祖母が喜んでくれ、弟達もまさか自分達にもあるとは思っておらずに驚いていました。
ちなみに、マグカップを作って下さったお店ではおまけの湯呑を2つもつけて下さり(本当にありがとうございました!)、湯呑には羊の絵が描かれていましたが、奇しくも両親は2人とも未年生まれのため、湯呑は両親にプレゼントしました。
サプライズパーティー大成功で本当に良かったです!
また、祖母が6〜7年前に洞爺湖の伯母の自宅に実家から移り住んだこと、2つ下の弟が消防士という関係もあり、なかなか家族全員で顔を合わせるということがここ数年なく、「祝・米壽」や「本家にて」の時も2つ下の弟だけ仕事の都合で集まることができませんでした。
しかしながら、今年は2月に祖母が実家に戻ってきたこと、2つ下の弟が珍しくお盆休み(3連休)をもらえたこともあり、ようやく数年振りに家族全員で集まることができ、何よりそれが本当に嬉しかったです!
もちろん、家族全員揃って記念写真を撮り、家族全員揃って写真を撮るのも僕が小学5年生の時以来のことでした。

↑家族全員で食べた惣菜の数々

↑僕がプレゼントしたマグカップ(2つずつ色違いのおそろいなのお分かりでしょうか!?)

↑おまけでいただいた湯呑

今回、本当にいいひと時を家族と一緒に過ごすことができました。
僕達3兄弟もそれぞれ社会人となって自立し、各々別々の地域で仕事しているため、なかなか家族全員揃うことも少なくなってしまいましたが、これからも1回でも多く家族全員で揃うことができたらこれいじょう幸せなことはありません。
年末年始も実家に帰省する予定のため、その時にもぜひ家族全員で揃うことができたらと思っています。


2年振りのゴールデンウィーク帰省

過ぎし日の思い出第9弾!
5年振りのプチ同窓会」で述べた通りに去る5月2日、年末年始以来、久しぶりに倶知安にある実家へ帰省しました。
昨年はゴールデンウィークは札幌の自宅でゆっくりと過ごしましたが、今年は祖母が数年振りに実家に住むことになったことや後のブログで書きますが地元の友達と久しぶりに同窓会をする約束もしたため、「家族とともに過ごす時間」・「倶知安町のんびり旅〜その8〜」以来2年振りとなるゴールデンウィークにおける帰省となりました。
2日の夜、父が車で迎えに来てくれ、実家へと向かいました。

3日、この日の午前中は久しぶりに自転車で町内を回りました。
数年前から実家では飾らなくなってしまいましたが、町内会の鯉のぼりが今年も風に乗って気持ち良さそうに泳いでいました。
久しぶりに見れて良かったです!


その後、以前にも紹介したペリカンバーガーへ久しぶりに行きたいと思い、自転車を走らせたのですが、すでにペリカンバーガーはなくなっていました・・・。
しかしながら、かつてペリカンバーガーだった店舗は別のハンバーガー屋のパティー・ダディーという店に変わっており、行ってきました。
店は変わっても、本場アメリカのハンバーガーというのはペリカンバーガーと同じで、味もとても最高でした!


4日、午前中は弟の車を借りて町内をドライブ!
久しぶりのマニュアル車の運転、楽しかったです!!
その足で小学校時代からの幼馴染のH・Iくんの自宅へ向かいました。
H・Iくんとは久しく会っておらず、ちょうど現在から3年前に研修で札幌へ来た際、僕の自宅に泊まって以来の再会でした。
元気そうで何よりでした。
帰ろうとした際、ちょうど前日に同窓会でも会い、札幌でもちょくちょく会っているS・Uくんもこれからでかけるということで実家から出てきて、3人で少し話し、またいつか集まろうと約束して解散しました。
この日の夜、夕食は鉄板を囲んでジンギスカンでした。
しかも、この日は僕が小学校時代からとても好きなときわジンギスカンで、取り立てのギョウジャニンニクとのコラボが本当に最高でした!
また、その他にもヤチブキの玉子とじやウドの酢味噌和えなど、山菜づくしの夕食で、本当に美味しかったです!!


5日、帰省前に自宅近くから羊蹄山を撮影!
まだまだ雪がたくさん残っている羊蹄山、とてもキレイでした!!


そして、午前中のうちにバスに乗って札幌へと戻ってきました。
両親や弟はもちろん、実家に戻ってきた祖母もとても元気そうで、良かったです。
束の間の帰省でしたが、とても濃いゴールデンウィークを過ごすことができました。
また来年もゴールデンウィークは帰省しようと思っています。


家族とともに〜2013年大晦日〜

一昨日、今年もまた実家で大晦日を迎えました。
2つ下の弟のみ仕事で来れませんでしたが、父・母・4つ下の弟とともに寿司やお節料理を囲みながら、平穏な年末を迎えることができ、とても幸せでした。
ちなみに、2つ下の弟は昨日帰ってきたため、年越しこそ一緒にできませんでしたが、会うことはできたので良かったです。
実家へ帰省できるのはほとんど年末年始かお盆休みと少ないですが、できるだけ実家へも顔を出せるようにできればと思っています。
今年も何事もなく、家族全員がいい年でありますように!




束の間の実家

ご無沙汰しております。
前回の更新から早1ヶ月が経ってしまいました。
最近、マメに更新できず、申し訳ありません・・・。

去る8月12日、年末年始以来8ヶ月振りに地元の実家に帰省してきました。
2日前にパンクした自転車を実家で修理してもらうために父に車で迎えに来てもらいました。
ちなみに、2日前のパンクは職場への出勤途中に起り、パンクした場所が職場の近くだったから良かったものの、帰りは職場から10キロ離れた自宅まで自転車を押して帰り、足腰パンパンになり、筋肉痛は半端なかったです(笑)。
・・・という余談はさておき、やっぱり実家は落ち着きます。
久しぶりに親戚や祖母に会えたり、お寺やお墓で今年も手を合わせることができ、良かったです。
また、実家の畑で採れた夏野菜はとても最高で、収穫したシシトウ、ナス、ピーマン(他はタラ、カニカマ)の天ぷらが入った天丼はとても最高でした!


ところで、何年振りになるか分かりませんが、久しぶりにマニュアル車(弟の車)を運転し、倶知安町内を回ってきました。
なかなか車のエンジンがかからないなぁと思ったらクラッチを踏んでなかったという(笑)。
・・・「継続は力なり」、やっぱり何事も日々継続が必要ですね。
スーパーや地元に帰省した時には必ず買う弁当屋、そして母の母校でもある旧寒別小中学校(現・FAF工房)へも足を運んできました。
久しぶりの町内ドライブ、とても最高でした!

↑必ず地元に帰省した時に買うあったかい弁当屋ののり唐弁当(左)。一緒に写ってるのは母が作ったサバの押し寿司

↑FAF工房

16日から仕事ということもあって15日を丸1日札幌で過ごしたかったがため、14日の夜に再び父に車で送ってもらい、札幌へ戻ってきました。
束の間の実家、そして倶知安でしたが、とても充実していました。
次に実家へ帰省するのは恐らく年末年始になるため、しばらく帰省しませんが、次に帰省する日を楽しみにしています!


家族とともに〜2012年大晦日〜

過ぎし日の思い出第18弾!
去年の年末から今年の年始にかけて僕は倶知安へ帰省し、のんびりと過ごしました。
やっぱり実家はいいですなぁ。
大晦日はなかなか一人暮らしでは味わえない料理の数々、そしてやはり大勢で食べる食事は本当に格別でした。
ひとつ残念だったのは2つ下の弟だけ仕事の都合で実家へ帰って来られず、一緒に年越しをできなかったことです。
ただ、2つ下の弟は僕が札幌へ戻る日に偶然実家に来て1年振りに会うことができました。
今年もできるだけ多く実家に顔出せたらと思っています。







calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
PR
selected entries
categories
archives
recent comment
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM